♯3 肖

「係長って……うさぎ好きなんですか?」


 部下に、ふとそんなことを言われた。

 私のディスク周りには、うさぎがたくさん生息している。クリアファイル、ボールペンの先、手帳、付箋の大きいものと、小さいもの。筆箱。筆箱に付いているストラップ……などなど。

 うさぎの耳は顔にまで垂れ下がり、つぶらなおめめを隠している。あまりにも耳が長いので頭痛持ちらしい。長い耳をマフラーのように首に巻いている姿が、私のお気に入りである。

 この子の名前は、ミミさん。ミミさんは、彼によって生み出されたキャラクターで、新作が出るたびにこっそり買っている。

 新作と言っても舞台の物販が主なので、一般には流通せずに、劇場で売買されている。故に、購入はサバイバルである。帽子を深く被り俯いて指先で、物販に立つ売り子さんに欲しいものを伝える。本人が買いにきたように見られるのだけは避けたいがために、声も極力出さない。客として、ものすごく感じが悪いのだろうな……。帰りの電車で反省会を開くまでがセットである。

 いくらでもあげますよ。彼からは何度も言われてしまってはいるのだが、毎度断っている。こういうのはたぶん、対価を払うべきなのだ。彼は少し不服そうで切ない表情を浮かべる。彼には是非とも、そんな顔を見せられて歯を食いしばり振り切っている私の身にもなってほしい。


「あぁ……うん。すきかな」

「へぇ、意外です。かわいいものには縁がなさそうなイメージでした」

「……そうですか」

「すごくなんというか、寡黙でクールな感じがします」

「……」


 寡黙なのは認めよう。私は、口下手だ。会話が苦手なので、黙っていることの方が多い。部下の返答に困っているのが、その証拠だ。だからっといって、クールという自覚はない。

 仮にも私が寡黙でクールだとして、かわいいものに縁がないのはまた違う話なのではないか? と、そんなことも言えない。しかし、特に必要なことではないので、胸の中で返す。

 私の判子を貰うためにこちらにきた筈の部下は、書類そっちのけでにこにこと会話を続ける。そのポテンシャルが羨ましい。


「このうさぎさん、どこで売ってるんですか?」

「……劇場とかですかね」

「げきじょう……? 映画のキャラとかですか?」

「演劇です。応援してる人がデザインをしてるので」

「演劇?! 係長、演劇すきなんですか?」


 声のトーンが上がったような……。なんだか、まずい予感がする。簡単な嘘でもつけばよかった。手汗が滲む。逃げろ。そう身体が訴えている。


「えっ……まぁ……はい」


 部下の話の続きはこうだ。

 部下の友達が、会社員をしながら演劇をやっていて、公演を打つたびに観劇するそうだ。その友達に、このミミさんの存在を聞いてみる……と。

 まず最初に浮かんだのは以下の二つ。


 一、何故、そのようなことをする必要があるのか?

 二、彼と私が、ドッペルゲンガーと公になってしまう可能性がある。


 確かに。共通の話題ができるとなると、ふとした会話が弾むことだろう。部下は、もしかしたら私との親交を深めようと、前向きに努力してくれているのかもしれない。

 が、しかしだ、それが目的だと断定もできない。自惚れてはいけない。


 次に、ドッペルゲンガーの件である。ここが重要だ。彼は本名で活動しているプロの表現者だ。彼と間違われて、握手やサインを求められたことが何度かある。テレビの露出がないのにも関わらず、だ。知る人は知る彼なので、世間に出る時は、極力似ないように髪型を変えたりする。さすがに、名前までは誤魔化せないが。

 舞台を拠点に活動している、そんな彼だ。ましては、演劇の土壌にいる知人など、確率を上げたようなもの。やってしまった……。

 単純に人違いをされてしまうのは、彼にとってもあまり気分が良くないと思う。最悪、ドッペルゲンガーであることを知られて、そこで終わるのならいい。何かの拍子で、私たちの生活が公になってしまうのが一番困る。彼への妙な憶測が、私発信であってはならない。

 彼の足を引っ張るような、そんな醜いことは私が許さない。


 山本と赤く記された書類を持った部下は、離れて行ってしまった。訂正というていで、真実を捻じ曲げるべきか、否か。机の上で震える拳は、空を舞ってぽろりと膝に落ちた。









 あれから、生きた心地がしなかった。部下が知人に、ミミさんの一件を聞いたかどうかも定かではない。

 あれだけテンションを上げて伺いを立てると言ったのだから、何かしら報告があってもいいだろう。いや、そもそも聞くことを忘れているといういう可能性もある。また、ミミさんについては、知らなかったというのもあるかもしれない。

 仮にドッペルゲンガーという事実が発覚したところで、詮索している様子もないといったら、ない。いつも通り、へらへらとふわふわしている。いや、あの部下のことだから、事実を知ればドッペルゲンガーじゃないっすか〜〜〜と、ストレートに直接聞いてくるだろう。いやいや、己の主観だけで他人を決めつけてはいけない━━━━━

 

「係長、判子お願いします〜」

「……あっ……はい」


 例の部下が紙を持って此方に向かっている。なんとなく探りを入れれるチャンスが来た。これを逃すわけにはいかない。数日間も、一人で格闘しているのも馬鹿馬鹿しい。そうだろ?!

 これは、コミュニケーション!

 上司と部下の他愛もないおしゃべり!!

 なにも恐れることはない!!!


「……あの」


 ━━━━いや、待て。ここでミミさんの話題を出したとする……見方によってはまるで、我々がドッペルゲンガーということに気付いてほしいみたいじゃないか……? 

 芸能人と名前も顔も同一なんですよ。いいでしょ。

 ………………それだけは確実に避けたい。どこまで核心に迫っているのか、探りを入れたいだけなのに、そう捉えられたらとんでもない戦犯だ。


「係長!」

「はっ、はい!」

「判子、お願いします」

「あっ……すいません」

「珍しいですね。ぼーっとしちゃって」

「あぁ……いえ。すみません」

「何か悩み事ですか?」

「えっ」


 そうです。

 あなたの何気ない言葉にここ数日、踊らされている……いや、勝手に踊っているんです。


「完璧に見える係長も悩むことあるんですねぇ」


 判子を押せば、大変だなぁ〜とただ一言吐き、机に戻っていく。

 どうでもいいようなそんな言葉の色だった。

 心の鼓舞も虚しく敗れた。赤字の山本がひらひら部下の手元で靡く。

 例の件は忘れている……のかもしれないし、わざわざ話題にすることもないのかもしれない。いっそのことどうか部下の心の中で、私という存在がどうでもいいところに位置付いていることを願うばかりだ。

 そう、つまり。

 生き地獄は続く━━━━━━

 

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