最終話 魔女の師弟は、変わらない幸福を誓う

 空から景色を堪能した師弟は、目立たないように地上に降りて港街に入る。

 税金の銀貨を払って石門を潜ると真っ先に、あたりを歩いている人の服装が全く違うことに気付いた。


「師匠、建物も人も、いつも行く街とは全然違うね!」

「同じ国が治めている場所でも、海のそばというだけで生活が全く違うのさ」


 ホウキを握った師匠と手を繋いで、熱気あふれる街を堪能する。 

 男女ともに何となく荒っぽい雰囲気だ。日焼けしていて、筋肉がついている人が多い。昔から筋肉がつき辛い体質のフランツは少し肩身が狭く感じた。

 

「売っているものはあんまり変わらないんだね」

「このあたりは外から来た行商人が出入りする場所だからね。この街特有のものや、海産物は海に近い市場に多くあるはずだよ」

「そっか、だから見慣れたものばかりあるんだ」


 一般的な野菜や肉、あとは汎用の日用品などばかりだ。

 多くの街を巡って目が肥えているフランツは、いくつかは国に店舗を広げる大商人が取り扱っている品々だと気づくことができた。

 期待していたような、街の特産物はもっと奥にあるようだ。


「坂の下には水揚げしたばかりの海産物販売所があるよ」

「海の魚が食べれるね! 楽しみだなあ……!」

「ご飯も売っているさ。ボクも久しぶりだから期待しているよ」


 フランツは、オリオンの手を引いて、石で舗装された坂道を降りて行った。

 人の声に紛れて波の音が聞こえている。一人で森のさざめきを聞いている時と違って、かき消されないほど大きな音が近づいてくるとワクワクした。


 坂を下り切ると、雰囲気が変わった。

 人混みはより多くなって、入り口では見かけなかった大きな商用の馬車も、たびたび見かけるようになってくる。海産物市場は潮の香りが蔓延して、フランツは興奮しながら指差した。


「師匠、あってもしかして海の魚だよね!?」


 店主が網を使って、四角形に網を引いた海から何かをすくいあげて売っているのを見つけた。銀色の細い体がいくつも、びちびちと跳ねている。

 人生で見たことのある川魚とは全く違う赤色の姿は、特別に目を引いた。


「向こうも見てごらん」

「えっ……!? に、人間より大きい……」


 反対側の市場には、人間よりも大きな、頭の尖った魚が吊り下げられていた。

 解体を進めている最中で競りが行われている。

 どうやら切り分けた部位を分けて、商人に売り捌いているようだ。姿形も異様だが、あんな生き物が水の中に存在するのかと驚愕した。

 

「海ってすごいんだね、師匠」

「生魚だけじゃない。貝類や藻類。塩もこの街で生産されているんだよ」

「それって僕たちが研究で使っている材料だよね。すごいなあ、元の姿はこんな風なんだ」

「フフ、まるで子供の頃に戻ったようだね」


 小さく笑われたが、フランツはひたすらに楽しかった。

 手を繋ぎながら並び歩いていると、見たことがないものを沢山見つけた。

 鋼鉄のような艶を持った巻貝、透明な魚。どれも今朝の漁で取れたものだと言うだけあって、テーブルの上で生きているものも多かった。


「帰りにいくつか買って行こうよ。保存の魔法をかければ、たくさん家に持って帰れるよね」

「また料理を作ってくれるのかい」

「うん。どんなものができるか分からないけど、きっと美味しいものができるよ」

「キミが作ってくれる料理は美味しいからね。期待しているよ」


 信頼を感じて、フランツは照れた。

 師匠はいつの間にか、普通に美味しいと言ってくれるようになった。

 料理の腕前が上がったのか、味を楽しんでくれるようになったのか。どちらにしても嬉しいことだ。

 海産物市場を並んで見て回っている、その途中で足を止めた。


「あそこは何を売っているんだろう……?」


 フランツは首をかしげる。

 ぽつんと一件だけ、食料を売っていない店があった。

 アクセサリーや古びた道具などを売っていて、不釣り合いな雰囲気だ。ちょうど入荷したばかりらしく客が集まっていて、「買った買った!」と、売り子が呼びかけている。

 オリオンは優しく弟子の疑問に答えた。


「あれは沈没船の財宝や遺留品を売っている屋台さ」

「沈没船?」

「遥か昔のことだけれど、この国は他国と交易があってね。嵐なんかが原因で、貴重な品を載せたまま沈んでしまった船がいくつもあるんだ」

「あの広い水の中に、船が沈んでいるんだ……」

「それを見つけだして売っているのが彼らの仕事さ。宝探しのようなものだね」

「それって、なんだか面白そう……!」


 フランツの子供心がくすぐられて、より興味を持った。

 客に混じって店頭に並んでいるものを見てみる。確かに錆びていたり、道具の意匠が全く異なっていたり、現代のものと全く違うことが分かった。

 もしかすると、師匠よりも昔に生まれたものがあるかもしれない。

 物珍しさから見ている途中、フランツはあるものに目をつけた。


「この銀色の丸いものは何だろう」


 宝石のようで違う。

 雨雫を固めたような、綺麗な白銀の輝きは他で見たことがない。

 客からは手の届かない場所に貝殻が置かれていて、開いている皿の上に、ぽつんと置かれている。その粒を見つめていると店主が答えてくれた。

 

「坊主、そいつはマーメイドの宝石さ」

「海でも宝石がとれるんですか?」

「特別な貝を取ると、ごく稀に拾うことができる希少な品さ。この輝きはよその街じゃあ見られないぜ」

「確かに見たことがないや」


 師匠に連れられるおかげで、貴族や王族、大商人と会う機会も増えた。

 それでもこの石は見たことがない。


「これはいくらなの?」


 思わず値段を尋ねていた。

 これが相当に美しい代物であることはわかる。

 研究の邪魔にならなくて、喜んでもらえる。ニコルに相談してからずっと考えていたプレゼントにぴったりだと思った。

 しかし店主は無理無理、と手を振って笑った。


「一金貨だよ、坊主に手が届く代物じゃないさ」

「よかった。それなら手持ちで足りるよ」


 フランツは、自分自身で稼いだお金を入れた袋を取り出した。

 成人したてにしか見えない世間知らずの少年は、あっさりと言い値で金貨を商人に手渡した。

 大金をあっさりと渡されて、商人も、周囲の人間も唖然とした。

 

「飾りのお皿も綺麗だから、もらっていいかな」

「あ、ああ……ぼ、坊主、いや坊ちゃん。貴族の方ですかい」

「ううん。僕は魔女の弟子だよ」


 白銀の雨雫を、貝殻の皿ごと受け取って、その場を後にした。

 周囲の視線を浴びてるのを感じながら師匠のもとに戻る。待っていたオリオンは微笑みながら出迎えて、また歩き始めてから尋ねてきた。


「宝石に興味が出てきたのかい」

「うん、そんなところ」

「キミが自分のためにお金を使ったのは初めてだね。いいことだ」


 言われてみればそうかもしれない。

 だいたいは共用の財布から、二人で使ったり食べるものを買うばかりだ。

 

「ちゃんと師匠のお金には手をつけてないよ」

「最近は薬師ギルドの依頼でお金を稼いでいたんだったね。少しくらいボクのお金を無駄遣いしてもいいんだよ?」

「それはダメだよ。師匠のお金は、師匠だけのものなんだから」

「キミはしっかりしているねえ」


 勝手に使うこともできないが、何よりこれは師匠のプレゼントにするつもりの品だ。魔女オリオンの財布から出したのでは何の意味もない。


 頑張ってよかった――。

 品物に引き換えたフランツは密かに微笑む。


 ちなみに金貨一枚でプレゼントを買うなんて、一般人が聞けば卒倒するような出来事だ。この十数年でフランツも順調に金銭感覚が狂っていた。

 しかしそのあとは大金を使うことはなく、魔女の師弟は他愛もない話をしながら見物に徹した。


 海の露店で食事をとって、十二分に楽しんだ。

 大小とりどりの魚や貝類、何だかよく分からない生物。宝石のような美しい品から不気味な品まで揃っている海の市場を回りつくした頃。

 休日タイムリミットの、夕方がやってくる。

 

「もうすぐ夜になっちゃうね」


 賑やかだった市場も、撤収の雰囲気が漂っている。

 あと一時間もすれば空は真っ暗になってしまうはずだ。


「それなら最後は浜辺に移動して、海を見ようじゃないか」

「えっ、いいの? 家に戻るのが遅くなっちゃうよ」

「せっかくここまできたのに、間近で見ないなんて勿体ないだろう」


 街並みを楽しむあまり、自然の景色に触れるのをすっかり忘れていた。

 空の上から全景を見たけれど間近でも見てみたい。

 幸い、浜辺は今いる場所からそれほど離れてはいないはずだ。


「それに何かボクに言いたいことがあるんだろう」

「ど、どうしてわかったの?」

「もう長い付き合いだから、そのくらい表情を見ればわかるさ」


 キミはわかりやすいからねえ、と付け加えた。

 師匠はどこまで分かっているのだろう。

 少し不安になりながら、建物の隙間から浜辺に抜けられる道を探す。そうして開けた場所に出ると、見たこともないほど美しい光景が広がっていた。


「わ……!」


 フランツは、目を星のように輝かせた。

 美しいエメラルド色が水平線の果てまで続いている。茜色の空との境目まで、何も見えない。網目のような白い泡立ちが、地面と水辺の境目を行き来している。

 足元の砂も美しい。

 茜色の明かりを反射して、どこを見ても輝きに満ち溢れている。

 夜空に浮かぶ星々のように輝いているさまは、いつか師匠と屋根上で一緒に見た銀河を思い出した。


「すごく素敵な場所だね、師匠」

「目の前で見にきてよかっただろう」


 冷たい海風が肌を撫でて、波音が心を穏やかにする。

 心地の良い感情が支配した。

 まるで、夕日と一緒に果てのない雄大な世界に吸い込まれていきそうな。

 それなのに全く不快ではない魅力に囚われた。


「日が沈むまで、ここにいてもいかな」

「ここには誰も来ないから、ホウキに座ってしまおうか」


 そう言うと、オリオンは魔法の力で持っていたホウキを浮かせた。

 ちょうど椅子の高さで宙に浮かんだそれに、フランツも同じように並べて二人で腰をかけた。

 

「僕、師匠にどうしても伝えたいことがあるんだ」

「何だいフランツ」


 いよいよその瞬間が近づいてくると、心臓が張り裂けそうなほど高まった。

 ポケットに手を伸ばして贈り物を取り出した。


「これを受け取ってほしいんだ」

「え……?」


 虚ろ目が、かすかに揺らぐ。

 フランツが取り出したのはネックレスだった。

 銀色のチェーンの先に繋がれているのは白銀色の宝石。

 フランツが購入していたものだが、美しい加工がほどこされている。


「ボクにくれるのかい」

「うん。師匠につけていてほしいんだ」

「……とても嬉しいよ」


 ネックレスを受け取ったオリオンは、目を細めてデザインを見る。

 目を離しているうちに魔法で金属を加工したのだろう。白銀色の球体を鉄の花弁が包んでいる。かなり細かい部分まで作り込まれてる。

 しかし装飾の美しさよりも、弟子に受け入れた少年の成長を静かに喜んだ。


「変じゃないかな……?」

「キミが心を込めて作ってくれたものが、変なはずがないさ。ここでつけても構わないかな」

「うん!」


 オリオンは受け取ったそれを首元に下げた。

 前の開いた白衣の胸元で、夕日の茜色の輝きを反射する。

 それを見たフランツは無性に嬉しくなった。


「それにしてもキミがプレゼントなんて、急にどういう風の吹き回しかな」

「街では、特別に思っている人にプレゼントを送るって聞いたんだ」

「そういう風習があると聞いたことはあるよ。恋人同士のやりとりでの話だった気がするけれどね」

「僕は師匠の恋人になりたいんだ」


 顔を真っ赤にしたフランツの言葉に動きを止める。

 オリオンは面食らったような顔で弟子を見ながら、しばらく言葉を返さない。

 波の音が支配して、そのあとに表情を緩ませる。


「フランツ」

「…………」

「このネックレスは似合っているかな」

「うん、素敵だと思う」


 顔を上げて師匠を見る。

 魔女の瞳の色と同じ、白銀色の宝石が胸元で輝いている。

 贈り主のフランツでさえ、彼女にこれほど似合う石はないと思った。


「恋人というのは、ボクと恋仲になりたいという意味だよね」

「はいっ……!」


 張り裂けそうになりながら、人生で一番大切な返事を待った。


「いいよ、恋仲になろう」


 静かな波の音さえ耳に入らなくなる。

 天にも登る心地とは、こういうことを言うのだろうと思った。

 体の隅々まで幸福が溢れる。

 フランツは魔女の照れるような笑みを見た。嬉しい。相手の体温を求めて、思わず師匠の手を握りしめていた。


「師匠、僕、すごく嬉しい……!」

「嬉しいけれど、キミは本当にボクでいいのかい」

「えっどうして?」

「ボクは可愛らしい女じゃないよ。歳だって遥かに上で、これだけ長い人生で研究にしか触れてこなかった」


 オリオンは僅かに不安そうに瞳を細めさせる。

 普段からは考えられないほど弱い心を打ち明けて、ばつが悪そうに視線をそらした。


「キミのことは特別に思っているけれど、良きパートナーになれるかな」

「師匠は、いつも通りでいいんだよ」

「そうなのかい」

「ボクが師匠を幸せにするんだ。きっと一緒に幸せになろうね」


 人生を賭して、魔女を追いかけてきたフランツが手を伸ばす。

 必死に背中を追いかけて、失敗や挫折を繰り返して心折れそうになって、それでもずっと走り続けてきた。憧れの人はすぐ傍にいた。

 オリオンは瞑った目から一筋の涙を流して、心の底から笑った。


「はは……こんな未来が待っているなんて、考えもしなかったなあ」


 一人ぼっちだった魔女には、幸せすぎた。

 人並みの幸せなんて手に入らないと諦めていた。

 同じ場所に立ち、同じ道を一緒に歩いてくれる弟子が想ってくれている。

 こんなのを知ってしまったら、もう二度と元の孤独に戻れない。


「僕がいなかったら、ずっと一人で生きていくつもりだったんだよね」

「うん。だから終わりを想像するのが、ずっと怖かった」

「これからは、そうはならないよ」


 手を握り合って、二人は海を見ずにお互いを見つめ合った。

 オリオンは弟子の肩に顔を乗せて、腕を回して強く抱きしめた。

 フランツも背中に手を回して抱きしめ返した。


「ボクのもとからいなくならないでおくれよ、キミが必要なんだ」

「大丈夫。僕はどこにも行かないよ、お姉ちゃん」


 二人の目指す道の先は果てしない。

 しかし、きっといつかは終わりがくるだろう。

 その時までずっと一緒だ。








 ――これは、悲劇だった・・・おとぎ話。


 昔々。

 誰も訪れない深い森の奥に、どんな願いも叶える魔女が棲んでいた。

 永遠の命を得た代償に、孤独に朽ち果てる呪いをかけられた。

 それでも呪いを解くための薬を作り続けていた。

 魔女は、自分のように不幸になる人間を少しでも減らしたかったのだ。


 ある日、いつものように、命を奪われようとしている少年を救った。

 少年は魔女に恋をして、やがて魔女も恋に落ちた。

 孤独に朽ち果てる呪いは解けて、二人は幸せのために生きるようになった。




「呪いを無くすことができた後も、最後まで寄り添って生きようね」

「うん、師匠」


 美しい海に沈みゆく夕日を前に、師弟は変わらない誓いを立てた。

 一人ぼっちだった魔女は、ようやく温かい人生を歩み始めた。


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孤児になった男の子が、孤独な森の魔女に救われる話 日比野くろ @hibino_kuro

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