第21話 フランツは、オリオンとデートする
「フランツ、久しぶりじゃない」
「やあニコル。久しぶり」
市場の屋台に近づいていくと、パン屋の店主が顔を上げる。
気の強そうな金髪の大人は嬉しそうに手を伸ばして、少年もそれを真似るように手を重ねた。
女性の名前はニコル。かつてフランツが、父親の命を救った少女である。
「まったく。最近、全然顔を見せなかったから死んだかと思ったわよ」
「ごめんね。また隣の国で呪いが流行しちゃってあ」
「薬を作ってたの?」
「うん」
二人は明らかに歳が離れていたが、同い年のように言葉を交わしている。
少女ニコルは、すっかり美人に成長した。
一方でフランツは少年と青年の境目のような姿のまま、ずっと変わらない。
「それにしても、ほんとに成長しなくなったのね」
「師匠と暮らしているからね」
再会を喜びあったあとに、十五歳の姿の恩人を呆れたように見下ろした。
「あたしも若い姿のままでいられる薬を分けて貰えないかしら」
「あはは、それはちょっと……」
永遠に美しくあることは女の夢。
成長期を終えたニコルは、彼を羨んだ。
月に一度パンを買いにやってくるフランツは、ある時期から成長しなくなった。希少な魔女の秘薬を口にいたからだという。
「意地悪で言ってるわけじゃないよ。歳を取らなかったら、この街で暮らせなくなっちゃうよ」
「万一そうなっても、あんたに養ってもらえばいいでしょう」
「ええっ。それは、えっと……」
「冗談よ」
相変わらず、何でも真面目にとらえすぎだ。
フランツがそれを与えられてる理由もぼんやりとは知っているので、諦めはついている。貴族や王族でさえ願いが叶うことは絶対にないのだ。
それでも冗談では抑えきれず、やっぱり残念そうに息をついた。
「で。相変わらずお金も貰えないのに、魔法薬を作ってるの?」
「うん、まあね」
「あんたも魔女もほんとお人好しよね」
「それが僕と師匠の仕事だから仕方ないよ。お金にも困ってないしね」
「……はいこれ、今回のぶんね」
「ありがとう」
慣れた手つきで店頭のパンを包んで渡した。フランツもいくぶんか割引された金額をニコルに引き渡す。
魔女の家の貴重な食料であり、特に彼女とは定期的に取引していた。
「ところでニコルに相談があるんだけど、いいかな」
「言ってみなさい」
フランツから持ちかけてくるのは珍しい。
続きを促してみると、恥ずかしそうな様子でひっそり申し出てきた。
「女の子って、何をしてもらったら喜ぶのかな」
「はぁ? 何よそれ」
漠然としすぎてる質問に、怪訝な声で突っ込んだ。
フランツは困ったようにうつむいて言う。
「師匠と一緒にいられるようになったのはいいんだけど、全然進展がなくって。男として見てもらえていなんじゃないかと思って……」
「知らないわよ。なんでそんなことをあたしに聞くの?」
「ニコルはもう結婚してるし、そういう知識も豊富なんじゃないかと思って」
「同い年なんだから変わらないでしょう。情けないわね」
辛辣な言葉を投げつけてくる。
正論すぎて、何も反論できずに縮こまった。
ニコルは何年か前に、近くで露天の店主をしている屋台の若店主と結婚しているが、森で師匠と暮らしているフランツには浮いた話が一切ない。
フランツは、魔女オリオンに惚れている。
人生の目的を抜きにしても一緒にいたいと思っていた。
しかし願いが叶った今でも、男としてどう思われているのか、さっぱりわからなかった。
「師匠、表情が分かりづらくてぜんぜん分からないんだ」
「確かに無感情な人だったわよね。昔のことだからよく覚えてないけど」
「あはは……」
「で。あんたは好きになってもらえるように、どんな努力をしたの?」
「何をすればいいか分からなくて」
「はぁぁぁ……っ」
目の前の男に、笑っている場合ではないと言ってやりたかった。
何十年という月日を過ごしているのに進展がないとは何事か。
「なんであたしが、国の英雄の痴話を聞いているのやら」
「ごめんね」
店を営んでいるニコルは色々な男女を見てきたが、そんなに気の長い付き合いをしている相手は目の前の男以外に知らない。
寿命が長くなると、焦らなくなるのだろうか。
「うだうだ言ってないで、デートの一つでも誘いなさいよ」
「デート?」
「二人とも空を飛べるんだから、海でも山でも、どこにでも行けるんでしょう」
「それはそうだけど、家じゃだめかな」
「普段と同じことをしていて、そういう空気になるはずないじゃない」
確かにそうかもしれない。
自分では考えもしなかった発想だった。
師匠と一緒にどこかに行って、普段と違う時間を過ごす。
確かにそれなら問いかけることができるかもしれない。
「すごいアイデアだよニコル!」
「こんなの誰でも同じことを言うわよ。あんたは常識を身につけなさい」
「他には何かないかな」
「贈り物でも用意するといいんじゃないかしら」
「それは考えたよ。でも師匠はお金持ちだから、喜んでもらえるかどうか」
さすがに自分でも考えていたらしい。
言われてみれば確かにそうだと、ニコルは初めて頭を悩ませる。
「確かに高価なものは喜ばれなさそうね」
「ニコルだったらどんなものが嬉しい?」
「歳をとらない薬」
「それはそうかもしれないけど……」
「あたしは魔女のことをよく知らないから分からないわ。そのあたりは自分で考えなさい」
適当にあしらわれたが、フランツも返答には納得した。
誰よりも長く暮らしている自分ならきっと喜ばれるものもわかるはずだ。
何を渡しても喜んでくれるだろうが、何を渡すべきだろう。
(あ、そうか……!)
フランツの目に止まったのは、ニコルの指先だった。
彼女の指には銀色のリングがはまっている。身に着けるものなんていいかもしれない。小さなアクセサリーなら研究の邪魔にはならない。
「ありがとう、何となくイメージが湧いてきたよ」
友人に深く感謝した。
デートして、プレゼントを渡す。
なぜこんな単純なことを思いつかなかったのだろうか。
「よければ、また相談に来てもいいかな」
「どうせパンを買いにくるでしょう。パパのお礼をするって決めてるから、このくらいは構わないわ。それより、あたしが死ぬまでパンはうちで買いなさいよ」
「分かってるよ。じゃあまた来るね」
たいへん感謝されながら、フランツは手を振って去っていった。
街の雑踏に紛れて見えなくなる。
ニコルは腕を下ろした後に、深くため息をついた。
「やっぱり、勿体ないことしちゃったなあ」
国の英雄と呼ばれる、魔女の弟子。
彼と一緒になればさぞ楽しいだろうと思った時期も確かにあった。
特別な存在として認識され始めている彼の噂はよく聞く。
今の相手と結婚したことに後悔はないが、アプローチをかけていればチャンスはあったかもしれない。そう思うと、逃したことを勿体なく思った。
「あっ、そこのお客さん。うちのパンを買っていってよ!」
だが今のニコルには十分に幸せな暮らしがある。
即座に気持ちを切り替えて、愛想よい笑顔を振りまきに戻ったのだった。
魔女の家。
日夜、魔法薬作りが行われているこの場所に、二人で暮らしている。
毎年のように決まって何らかの呪いに蝕まれる人が現れるため、苦しむ人間が少しでも減るように研究と生産に心血を注いでいる。
ほとんど暇はなく駆けずり回っているが、忙しい師弟にも休息は必要だ。
一年に一度だけは余暇の日を作っていた。
「海に行きたい?」
夜食をとっている最中のこと。虚ろ目の魔女が首をかしげて問い返す。
フランツは意気込んで申し入れた。
「家でのんびり過ごすのも悪くないと思っていたんだけどねえ」
「一度くらい行ってみたいんだ。師匠は、もう行ったことあるんだよね」
「そういえば、キミは海に行ったことがなかったね。ああ。あそこには港街があるから何度か顔を出したことはあるよ」
そうは言いつつも、最後に行ったのはずっと昔のことのようだ。
ニコルのアドバイスを受けて海を選んだ。
森の傍にある辺境の村で生まれたフランツは、人生で一度も『海』を見たことがない。どうせ行くのなら美しい海の景色を見てみたいと思った。
「水がどこまでも広がっているって聞いたことがあるけど、本当なの?」
「降り注いだ雨水の行き着く最後の場所だからね。それはもう大量の水が溜まっているよ」
「それって湖とは違うの?」
「規模が全く違う、ホウキで飛んでも全く果ては見えないほどにね。でも特に面白いのは、普通の水中に生きる生物と全く生態が違っていることかな。きっと見ていて飽きないよ」
いつものように首を傾けながら、快く知っていることを教えてくれた。
薬作りで扱う素材の中には、海産の加工品が使われているものもある。しかし大抵は原型が分からないほど加工されているため、フランツはいまだに元の姿を全く知らなかった。
師匠は、薬の素材の元の姿も知っているんだ。
やっぱり凄い。
フランツは改めて尊敬の念を抱いた。
「明日の余暇は海に行ってみようか」
「いいの?」
「キミが誘ったんじゃないか。研究の参考になる素材が見つかるかもしれないし、ボクは乗り気だよ」
クスクスと笑う師匠を見て、フランツは満面の笑みを浮かべた。
そしてすぐに翌日の朝はやってくる。
一年に一度きりの余暇に、二人でホウキで浮かび上がって雲の上に出た。
「今日は晴れてくれてよかった。雲もほとんどないね」
「キミの日頃の行いがいいんだろうね」
見上げれば晴天の青空。
下には緑が広がっていて雲はほとんど見当たらない。
流れていく風がとても心地よくて、つい頬が緩む。
今日は仕事ではなく、何をしてもいい時間だ。
これから師匠と一緒に自由な一日を過ごせると思うだけで、嬉しさが体の奥から湧き上がってきた。
「自由な日に行きたいところが海とは、キミはいい感性を持っているよ」
オリオンも、フランツに負けず劣らず楽しそうに言う。
「そういえば仕事で行ったことはないけど、どうして?」
「あの街はどういうわけか呪いが広まりにくいんだ。薬の材料も薬師ギルドが買い入れてくれるから、足を運ぶ必要がなくてね」
呪いが発生していない街に行く理由はない。
手間のかかる仕事も薬師ギルドがやってくれるので、機会がなかった。
「だからかな。自由な身で行けることに、とてもワクワクしているよ」
虚ろ目のオリオンは、子供のように浮かれた声で言った。
「師匠も見慣れているわけじゃないんだ」
「あの景色は素晴らしいけれど、観賞している余裕なんてなかったからね」
「せっかく新しい街に行っても、ずっと忙しいからゆっくりできないよね」
「それもそうだけど心の余裕のほうが大きいね。長い人生に、こういう幸福を見出せるようになったのは、キミがいてくれるおかげだよ」
急にそんな風に言われて、フランツは照れた。
師匠はたまに嬉しいことを言ってくれる。たまらなく嬉しかった。
「そんなことを話しているうちに、目的地に着いたみたいだよ」
「えっ、あっ、ほんとだ……!」
空飛ぶホウキの柄を握るフランツも、前を見て気付いた。
目の前に広がっているのは、どこまでも広がっていた国境の森の途切れ目。
湖とは比べものにならないほど、雄大だ。
太陽に照らされて、宝石箱のように白く輝いている。
人生で初めて見る一面の青色の世界、海はとても美しいものにうつった。
「ほら。下の浜辺のほうに港町も見えるよ」
「すごい……!」
師匠に言われて空の上から街を探すと、海上に船が集まっているところを見つけた。そこら中に浮かんでいて、自分たちと全く違う生活を営んでいるようだ。
魔法で作られた塩のように不純物のない白色の建物が立ち並んでいる。
「来てよかった」
「まだ面白いものはたくさん見られるよ。さあ、降りようか」
今まで見てきた街とは全く違う世界だ。
普段と違う冷たい香りが、フランツの冒険心を波立たせた。
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