サイゴのイタズラ

二条橋終咲

【奇妙な邂逅】

 とある街に佇む病院の一室。


 清潔感のある大きなベッドが置かれた白い部屋。


 色もない。音もない。ここにあるのは窓から差し込む月明かりと、その光が生み出す陰……それと、一人の少女だけ。


「……」


 純白の病衣を纏った少女は、ただ静かにベッドの上で座っていた。


【ククク……】


 するとそこへ、招かれざる小煩い何かが現れる。


【trick or treat! お菓子を寄越しな! くれないとイタズラするぞ!】


 部屋の隅にあった陰の中から突如として謎の生き物が現れ、部屋の中で宙に浮遊しながら子供っぽい高めの声でそう言った。


「ん?」


 突然の出来事だったにも関わらず、どこか達観した雰囲気の少女は夜空を思わせる艶やかな漆黒の長髪を揺らしながら声の方を振り向く。


「君は……」

【フッ……。聞いて驚くなよ?】


 物静かな声音で少女が聞くよりも先に、小生意気な声がそれを遮った。


 声の主であるそいつは、背中に有した小さな黒い翼をパタパタと羽ばたかせつつ、口元から無邪気な幼さを感じさせる八重歯を覗かせて高々と素性を名乗る。


【俺は、あの世から来た怖くて恐ろしい悪霊なのさ!】


「……?」


 幼く可愛らしい容姿をしたその悪霊の男の子は、両手を腰に当てて小さな体を堂々と反らしてそう言い、それを少女は不思議そうな表情で静かに受け止めた。


「あく、りょう……?」


【そうだ。この世とあの世が繋がる『ハロウィン』の日に、お前ら人間からお菓子を貰うために来てやったんだぜ!】


 そう言われて少女は視線をゆっくりと動かし、ベッドのすぐ側に置かれたデジタル時計に表示された日付を見る。


「ああ……。今日は、ハロウィンだったのね」


 気力を感じない虚な表情のまま、少女は無関心な声で何気なくそう呟いた。


【って……。お前はそんなに驚かないんだな……】

「ん?」


【まぁいい。とにかく、人間のお前は悪霊の俺にお菓子を寄越しな! くれないってんだったら俺がお前にイタズラするからな!】


 悪霊の男の子は年相応の元気いっぱいな声で自信満々に叫びつつ、白いベッドの上で静かにこちらを見据える少女を指さしている。


「イタズラ……。イタズラ、か……」


 理不尽に二択を迫られているにも関わらず、少女は調子を崩すことなく思考を巡らせるように言葉を繰り返すばかり。


【な、なんだよ……】

「ふ〜ん……。イタズラねぇ〜……」


 今まで虚な様子だった少女の顔に、うっすらと悪意の色が滲む。

 すると、それを見て何かを察した悪霊の男の子が、得意げに口角を上げて言葉を紡ぎ出す。


【あ! もしかしてお前、今日ハロウィンなのにお菓子持ってないんだろ!?】

「……」

【クックック……。そんな悪い人間には、悪霊である俺のイタズラを受けてもらわなくちゃなぁ!】


 悪霊の彼にとって、甘いお菓子は好物中の好物。

 そんなお菓子と同様に、人間へのイタズラも、またとても気に入っていた。


【ククッ……】


 目の前の人間を、どう弄んでやろうか……。


 そんな邪気に満ちたことを考えていると、彼の顔から自然と悪い笑みが溢れる。


「うん……。そ〜なの……」



 が、今回は、相手が悪かった。



 年上の『お姉さん』と二人きりの空間で、年下の『ショタ』が主導権を握れることなど、万に一つもあり得ないのだから。


「お姉ちゃん、ず〜っとベッドの上にいたから、お菓子……持ってないの」


 悪霊を前にしてもなお、少女は全く怯える素振りなど見せず、むしろ温かみのある声音で自白をした。


【な、なんで嬉しそうにしてんだよ……】

「え〜っと、お菓子あげないと、イタズラされちゃうんだっけ?」

【そ、そうだって言っただろ……】

「ふ〜ん?」


 格好の標的を見つけたと言わんばかりに、人間の少女は、まるで霊界に住む悪魔のような嫌らしい笑みを浮かべつつ、ほんのりと色気を伴った声を溢す。


「ねぇ……。イタズラって、どんなイタズラなのかな〜?」

【え……】

「痛いこと? 酷いこと? それとも……」


 何か含みのある言葉を言い残し、少女は怪しげな笑みを浮かべたまま、その顔を悪霊の男の子の方へと近づける。


 そして、少女の体勢が前屈みになると同時に、胸元を覆う病衣が少しだけはらりとはだける。


【っ……】


 開きかけた聖域へと思わず視線が引き寄せられ、悪霊の男の子はさっきまで色白だったその顔を一瞬にして真っ赤に染め、ロクな言葉を返すこともできずに口元をぎゅっと結んだ。


 そんな反応を見た少女の顔に、意地悪な笑みが満ちる。


「あらあら〜。そんな赤くなっちゃって〜。なにを考えてたのかな〜?」

【ばっ! べ、べべべべべ別にエッッッッッ……いやらしいことなんて考えてねーしっ!?】

「ん〜? そんなこと、聞いてないんだけどな〜?」

【ぐっ……】


 この手の人間には慣れていないのか、悪霊の男の子は目を泳がせたり歯をぎりぎりしたり口元をあわあわさせたり幼い顔を赤らめるばかりで、さっきまでの威勢は完全にどこかへと消え去っていた。


「ほらほら〜。お菓子持ってない悪い人間には、イタズラするんでしょう?」


 変わらずどこか妖艶な雰囲気を纏う少女は、まだまだ面白がって悪霊の少年をからかい続ける。


【うっ……】


 たじろぐ悪霊の男の子に追い討ちをかける様にして、少女は誘惑にも似た挑発を続ける。


「ほら。ほらほら〜。おいで〜」


 真意の見えない艶美な笑みを浮かべながら、自らの胸元へと誘い込むようにして無防備に両手を広げる。


 しようと思えば、やろうと思えば、悪霊の男の子はなんだってできる。そんな状況。


【うぅ……】


 あれだけ自信満々に堂々と大見えを切ったのだから、なにかイタズラをしないわけにはいかない。


 けれど、年上の異性に何かできるほど、彼には度胸も技術も経験も何もかもなかった。


「ねぇねぇ〜。なにもしないの〜?」

【うぅぅぅ……】


 このままだとハロウィンの主役である悪霊の立場が完全になくなってしまう。


 恐怖の権化である悪霊として生まれたからには、なんとしてもそれだけは避けなくてはならない。


【えいっ!】


 すると突然、ついに耐えかねた少年が片手を突き出して、目の前に迫っていた少女のきめ細やかな白い頬を指先でむにっとつっついた。


「んむっ」


 急にほっぺを突かれ、少女はなんとも言えない声を発する。


【ど、どうだ! びっくりしただろ!】


 なんとか悪霊としての体裁を守り抜いた悪霊の男の子は、勝ち誇ったような顔付きのまま上擦った声でそう言い放った。


「うん。お姉さん、びっくりしちゃったよ〜」


 言葉に反して、驚いた様子など微塵も見せないまま、少女はにこやかに言葉を返す。


 けれど、それでも十分に満足したのか、悪霊の男の子は偉そうな口調で少女に言う。


【じゃ、じゃあ……今回は、これくらいで勘弁してやる……。つ、つつ次のハロウィンの時にはちゃんとお菓子用意しておけよ! 絶対だぞ! また来るからな!】


 早口で言いたいことだけ言い終え、悪霊の男の子はいまだに耳まで赤くしたまま、陰の中へと姿を消していった。



「……」



 祭りの後のような静けさに包まれる薄暗い病室。


 その中で、悲哀に満ちた呟きがこだまする。


「…………………………次は、無理だよ」


 少女は俯く。



「私には……明日があるかもわからないんだから……」



 時計の表示が、日を跨いだ。


 彼女にとって最後の『ハロウィン』は、なんとも微笑ましいものだった。

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サイゴのイタズラ 二条橋終咲 @temutemu_dnj

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