結末

 逮捕から約2か月後。牧田、大沼、笹川の3人は裁判に掛けられた。重過失致死傷罪や横領、廃棄物処理法及び動物愛護管理法等の違反により、それぞれに刑期が言い渡される。特に笹川はウイルスの漏洩を招いた事も相まって、他の2人よりは重い刑罰が科せられた。大沼も事件の当事者ではなかったものの、この企みの首謀者である事が尾を引いて懲役は牧田以上かつ笹川以下となった。

 研究センター幹部たちもまた、事実を知っていながらも加担してた事で罪に問われた。

 裁判で特に争点となったのは「3人にそもそも住民たちへの殺意はなく、また直接手を下した訳でもない」と言う部分である。弁護人たちもそれぞれの心情はあれど、最後までこの一線を譲らなかった。上岸地区を襲った全ての野犬は自衛隊と警察によって射殺されており、結果的にこの事態を招いたとは言え誰かに管理されている生き物が人を襲ったのではないと弁明。そこへ上岸地区の住民たちを意図的に殺そうとした意思は存在していないとし、過去に発生した様々な公害の判例も取り上げた事で一応は落ち着いた。


 研究センターは室長たちの連名で遺族へ慰謝料の支払いと生活補償を表明。同時に、全ての事後処理が終了次第、研究センターを解散する事も宣言した。


 こうして落し所を得た事件ではあったが、裁判が始まるまでの間に噛まれた住民3名が狂犬病を発症。その中には事件当日に上岸地区へ通ずる道の途中で襲われ、前田巡査部長と飯沼巡査に救護された郵便局員も含まれていた。3名は発症から約6日後に息を引き取っている。

 臨場した機動隊員ではまだ発症を確認していないが、警備部は全体の士気に関わるとして1か月の待機を経た後に訓練のみの実施を決定。体を動かしていた方が気も紛れるだろう言う事もあった。


事件から半年後・上岸地区

村岡家

 見慣れた玄関。廊下。居間。台所。仏間。娘夫婦の寝室。孫の部屋。生活臭を残しつつも、家具が無くなったこの家がこんなにも静かなのかと、修吾は感じていた。

「…………ここを手放す事になろうとは」

 玄関先では無事に回復した娘婿の高規と、生き残った孫娘の水希。良く見知った幼馴染で、ここへ遊びに来た事もある本間さゆりに、清水恒平の姿もあった。

 修吾の強い要望により村岡家は最後までこの家に住んでいたが、他の住民たちの多くは事件後、麓にある菜ノ川地区へ移住を決意。全体の2割近くは沼田市や前橋市等、渋川市外へも転居している。再びここで生活を送るには、あまりにも多くの傷跡が残り過ぎていたのだ。

 今日この日、最後まで住んでいた村岡家が引き払う事で、上岸地区の人口は0となる。少し前から家具の運び出しをしていたが、それも今回の仏壇で最後となった。修吾は理不尽に命を奪われた娘と孫の位牌を抱え、家の中を見せるように歩き回る。

 何時までも外へ出て来ない事が気に掛かった娘婿の高規がやって来た。

「……お義父さん」

「あぁ、分かってる。分かってる」

 口ではそう言うものの、儀式のような行為は30分近く続いた。外に居る3人も静かに家の中を覗き込んでいる。

「水希……もう」

「……うん」

 さゆりに促された水希は家に入り、徘徊に近い行動を繰り返す修吾を制止した。

「お祖父ちゃん。行こう。みんな待ってるよ」

「…………あぁ」

 力なく答えた修吾は高規と水希に支えられながら外へ出た。不安の色を隠せないさゆりと恒平を前に、悲しそうな笑みを浮かべて話し始める。

「済まないね。どうにも名残惜しくて」

「向こうに着いたら、遊びに来て下さい。私の家は隣の部屋ですから」

「そうさせて貰うよ。お婆さんは元気かな?」

「はい。1人で立ったり歩いたりは出来ませんが、意識はしっかりしてます」

 住民たちの中には集合住宅に入居し、隣同士の部屋に住んで身を寄せ合う光景が見られた。村岡家と本間家もその一例である。

「お久しぶりです」

「大きくなったね。お兄さんはどうしてる」

「市内の会社で働いています。自分たちはその近くにある空き家へ入居しました。時折りですが、会いに行ければと思います」

「無理せんでいいよ。テツは……残念だったね」

「いえ、テツは自分を守ってくれました。感謝仕切れません。これからを大事に生きていきます」

 清水家は他の住民たちと離れた場所に住む事が決まっていた。テツを喪った悲しみを、近くに居る誰かにも感じさせてしまうのを恐れたのだ。これもまた、住民たちの中では珍しい事でもなかった。

 

 最後の家財を積んだ軽トラックと、高規を始めとする5人が乗ったワゴン車が進み出す。2台は人気が無くなった、様々な思い出が詰まる見慣れた光景の中を静かに通り過ぎ、郵便局を左手に捉えながら舗装された林道に入った。そのまま山道を下って役場で停まり、高規が庁舎内に入って最後の手続きを終える。

 こうして上岸地区の人口は0人となり、麓にある菜ノ川地区だけが居住地となった。近い内に町名も「菜ノ川町」に変わり、この役場も移動する事が検討されていた。

 研究センターも既に解散が終わり、建物の取り壊しも終了している。役目を失った処理施設も解体工事と土壌改善の処置が実施された。

 上岸地区に残った家々の取り壊しは約1年後に始まり、すっかり更地になった所へ元住民たちが植林を始めていた。処理施設の跡地でも、同様の事が行われている。


 それから約20年。当時の上岸地区は緑豊かな自然へ還り、今はかつて上岸地区へと通じていた道だけが、当時ここに人の営みがあった事を示していた。


 入口の隣には、慰霊碑が設けられた。年に1度。あの事件があった日に、元住民たちとその子供たちが、今でも献花に訪れている。

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死が包囲する時 onyx @onyx002

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