最終話 そうして、彼等は

 俺がベアの怖さを再認識していたら、「で、」と机に指の爪をコン、コン、と叩いて催促するような仕草をし始めた。

 その顔は本気で分からない、と俺に訴えている。


「何で余計なこと言ったの? まさかあの女が連れて行かれたからって、自分もとか思った訳じゃないよね?」

「違うな」

「じゃあ――」

「間違えたんだ。俺は白兎に、間違えていた」


 ベアが余計に分からないといったように、眉間に皺を刻んだ。


「……白兎さん? まぁ確かに、優しい皮を被った優しくない寿に踊らされて、優しさに釣られて二人ともいなくなったけど。でもその白兎さん、寿を助けて消えたことで寿の優しさ分とどっこいどっこいって、俺は考えたけど?」


 白兎。白兎 菫。

 三つ編み眼鏡で、いつも顔を俯かせて過ごしていた女子。普通の人間であると、そう周囲に思わせるための中学三年だった時の、俺の隠れ蓑だった女子。


 間違えた。失敗した。


「俺は白兎だけに、優しさの加減を間違えた」

「優しさの加減?」

「気安くて、話し掛けやすくて、ペラペラ聞かれてもいないことを話していた。隠れ蓑の筈だったのに、いつの間にかアイツの傍にいることが心地良かった。……楽しかったんだ。初めてだった、素でそんなこと思ったの」


 なぜ白兎だったのか。なぜ紅葉の葉を見てすぐに、あの記憶が出てきたのか。


「俺は俺のために白兎に優しくした。でも、俺は自分が害されたら害を返すけど、優しくした分の見返りは誰にも求めてなかった。いらなかった。助けてほしかった訳じゃない。俺に害さえ与えなければ、それで良かったんだ。だから間違えた。俺がアイツに優しくし過ぎたから……アイツを変えてしまった」



『もっと誰かと話せるようになりたい。私も、多田野くんが私にそうしてくれたみたいに、優しさで誰かを助けられるような人間になりたい』



 誰かと話せるようになりたかったから、眼鏡もコンタクトに変えて髪型も変えた。陸上部にも入って友達もできて、よく泊りにも行くようになっていた。

 京帝のように優しい人間をターゲットにしたのではなく、浮気して二股かけるような屑男をターゲットに選んだ。


 優しくない普通じゃない人間を、自分を犠牲にしてまで助けてしまう程に。


「ダメだ。納得できない。俺のために白兎が犠牲になる必要はどこにもなかった! 俺のせいで、お前が消えるなんてそんなの、納得できないんだよ!!」


 今なお苛むこれは。


「寿。だから言ったの?」


 ベアが凪いだ瞳で俺を見つめる。

 俺は。……俺は。


「そう、だからナニかに言った。まだ先輩の形のままだったから。京帝に変わってもらわないと、俺のし返しが成立しない。だからまた来いって言ったんだよ。キーホルダー付けているから、ちゃんと来いって」


 ハハハ、と口が弧を描く。


「ナニかを介してだけど、直接の原因は俺だろ? 俺が白兎を害した。そんな事実を受け入れてのうのうと生きろって? そんなの納得できるか? 俺が白兎を害したのなら俺も害されないと、白兎にとって平等じゃないだろ?」


 害されたら害す。

 害してしまったのなら、害されなければ。



「……俺の誤算。寿にとって白兎さんが、そんな特別な存在だって思ってなかったこと」


 ポツっと呟かれた言葉に首を傾げる。

 特別? 白兎が、特別?


 一体どんな顔を晒しているのか、ベアは俺を見つめて気抜けた表情をした。


「普通はさ、そうは思っても実際に行動しない。できない。自分のことが大事だから。相手を特別に想う気持ちがなかったら、できないことだよ。感情の起伏に乏しい寿くんに言いまぁーす。それ、完全に白兎さんに惚れてまぁーす」

「惚れ……?」

「分かるぅ? アイ・ラブ・ユゥー! 一人の女の子として好きだったんだよ。あー、何で愛情にご縁のない俺が解説してるわけー?」


 告げられた言葉の意味を考え、何やら苛んでいたものがストンと落ちた気がする。


 そうか。そうだったのか。


 会話することが楽しかったのも。名前を告げられてすぐに誰かと思い出せたのも。本能的に嫌な予感がして守ろうとしたのも。

 紅葉の葉を見つめて、詳細に記憶を思い出せたのも。紅葉の葉を押し葉にして、忘れたくないと思ったのも。納得できないのも。


 彼女がこの世から消えて、こんなに。


 ――――こんなに、辛いのも。



「……自分の気持ちも分からないで、何が守ってやらなきゃ、だ。守れもしなかったくせに……っ」



 俺にとってお前が最初だった。特別だった。

 だから間違えたんだ。優しさの加減を。特別で、分からなかったから。


 京帝 真妃乃に染まる訳がない。

 だって俺はもう、中学の頃から白兎 菫に染まっていたのだから――……。






「――――で、さ。寿、そのまま取って代わられるつもり?」


 静かに発せられた問い。

 俯けていた顔を上げて、暫く思考する。考え、気持ちを整理し、そして己を納得させた。


「……――いや?」


 パチクリと、眼鏡の奥が瞬いた。


「え、いや? え、どっち? 俺に聞いてるの? ノーの方?」

「ノーの方だけど」

「え!? 寿自分の中の譲れないもの撤回!?」


 撤回なんてするわけないだろ。俺は今までずっとこうだったんだぞ。


「きっと俺の中で白兎が特別なのは、いなくなっても変わらない。お前も京帝も言っていたけど、誰だって自分が可愛いんだろ? なら、俺は白兎が可愛いからアイツを優先させる」

「どゆこと?」

「白兎が大事だから、アイツが大事にしていたものを俺が代わりに守ることにする。白兎の母親とか、あと、アイツの想い。優しさで誰かを助けられるような、そんな人間になりたいって夢。俺が代わりにやる。白兎の母親も娘のこと覚えてるし、二人の人間が覚えているんだったら、二人の記憶の中でアイツは生き続ける」


 俺が平凡でないことはもう既に、目の前のヤツにはバレている。俺もベアも普通じゃないから、傷の舐め合いみたいなところあるけど。お互い様だな。


「……それ、白兎さん限定の寿ルール? 」

「当たり前だろ。白兎が絡まなきゃ俺は自分を優先させるぞ」


 聞いたベアは勢いよく頭をゴンッと机に打ちつけた。

 敵襲でもあったか。というか額が先なのか。眼鏡パリーンしなかったか?


 赤縁眼鏡の心配をしていると肩が震え出し、思いっきり仰け反ってベアが爆笑し出した。


「ヒャアーヒャッヒャッヒャ! アッハッハもうマジで寿チョー自己中!! 俺と良い勝負だわ! だから好き!!」

「男のお前に好きと言われてもな」

「冷たい! で、どうするぅ? 俺はダメだよ、一発アウトなっちゃうからぁ」


 それを聞いて俺は笑った。



 ――――嗤った。



 あぁ、ベア。やっぱりお前と俺は仲の良い友達だよ。



「あの先輩みたいに消えても問題ない、屑な人間でいいだろ?」

「りょーかぁーい! 近くなのはヤだから、駅前で探そぉよ。色んな人間がいるから、誰かは該当するかも?」

「丁度良かった。ショッピングモールで買い物する予定だったんだよ」


 笑う。嗤う。

 異質で普通じゃない、自己中心的な思考の人間が誰もいない教室で嗤う笑う





 ニタァ、と。


 目の前にいるモノの口角が、上がった。



『イ チ ニ チ メ』




 ――――あれが ナ ナ ニ チ メ になる前に、擦りつけなければ。

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俺の彼女が1週間でメンヘラになった理由(わけ) 小畑 こぱん @kogepan58

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