終わりと始まりの 7日目

第29話 多田野 寿という人間

 バスに乗って走行中、窓の向こうの景色を眺めながら登校した。教室に入ると男子達や、今日は機嫌がいいのか少数の女子達からも挨拶を交わされ、席へと着く。

 リュックの中から教科書やノートやらといった教材を机の中に仕舞っていると、後ろからテテテッと軽い足音が近づいてくるのが聞こえた。ソイツは俺の席の正面へと来ると、にっこりと笑う。


「おはよ! 寿!」

「おはよう」


 人としての基本・挨拶を交わしただけで、そこから続く言葉はない。ベアは笑ったまま俺を見つめ、俺は片手で頬杖をついてベアを見つめる。

 そして彼は、あるところへと唐突に指を差してきた。


「やっと不細工カラス外したのぉ?」

「まあな。外せって言われたし、お揃いだったのも別れたし。それにカラスどもはもう現れないから、お守りの役目もなくなったしな」


 人に指を向けるのはよろしくないが、リュックなのでそのままにしておいた。


「……現れないんだぁ」

「うん」

「寿。昼休憩。理科室集合」

「…………」


 俺は真顔のベアから視線を逸らした。

 疾しいことなどない。ちっともない。


 大きく溜息を吐き出して、正面にあった気配が遠ざかっていく。俺も小さく息を吐いて、教室の窓から見える大して変わり映えのない景色を眺める。


 ――あぁ。今日も空は、青い。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 朝にベアから指定された理科室。

 無論、この場で昼飯を食べている生徒は俺とベアの二人だけ。わざわざ男二人が教室から移動して向かい合って食べるとか、何かの誤解を招きそうで怖い。


 パンと一緒に持って来たミーを読みながら静かに食べているベアに対し、俺も黙々と母の手作り弁当を食べる。今日の弁当にブロッコリーは入っておらず、彩りはホウレンソウのベーコン炒めで補填されている。素晴らしい。

 そうして十分くらいで昼食を終え、ベアも読んでいたミーをパタムと閉じた。


「アイツさぁ」


 話が急に始まった。


「ターゲットも一週間だけど、そうじゃないのも一週間なんだよ。それでターゲットにならなかったら、またどこかにフラッと行っちゃうんだよ」

「へぇ」


 知らんかったわ。つか知ってたんなら言えよ。

 てっきり期限ないのかと思っただろ。


「だからさ、寿の場合は今日だったんだよ。今日さえスルーすれば、アイツどっかに行ってたんだよ。俺が何のためにあんな回りくどく何度も警告してたのか、寿のせいで台無し。無意味。俺の時間と気持ち返してくんない?」

「……悪かったな」


 そこは明確に俺が悪いので、認めて素直に謝る。


「俺よく分かんないんだけど。俺、寿が余計なことさえ言わなければ、寿は絶対に逃げれるって思ってたから。あんな色々警告出してたけど、本当はそんな心配とかしてなかった」

「してなかったのかよ」

「してなかったよぉ。だから言ったじゃん。俺、ここで。男を見る目はあるんじゃない?って」


 それが言葉通りの意味でないことは、あの時は分からなかった。コイツはそれを、皮肉の意味で言っていたのだと今なら分かる。

 ベアは眼鏡の奥の瞳を細め、緩く笑った。



「だってさぁ。数いる人間の中で、どうしてよりによって寿選んじゃったんだろうねぇ? ―――― 一番、優しくない人間なのに」



 俺は無言で続きを促す。ニヤニヤと笑いながら、彼は俺の本質を暴いていく。


「俺、生き延びるために観察眼だけは磨いてたから。だから分かったよ、寿が普通じゃないってこと。ずっと真面目で、ずっと誰かに優しかった。ずっとね。他の男子達の悪ノリに混ざって溶け込んで、どこにでもいそうな男子高校生を演じてた。それ以外ではでも、やられたらちゃんとやり返していた。同等の返し方で。いつも、その一定のパターンからはみ出さずに」


 異質、と彼は口にする。


「俺自身が普通じゃないからさぁ。同類そうな人間は見つけやすいんだよ。類は友を呼ぶって、ホントよく出来たことわざだよねぇ。分かるよ俺。自覚して普通じゃないヤツって、普通になりたがろうとする。自分が異質な存在だとバレて、周りから爪弾きにされないために。多分だけど寿、本当は感情の起伏が平淡であまり動かないんじゃない? 普通はさ、この一週間であった変なことに対して平然とじゃなくて、精神的にもっとおかしくなって狂っている筈なんだよ。非現実的なことに遭遇したら思考なんて働かない。心のどこかが冷静だからこそ色々考える。普通に受け入れている時点でおかしいんだって。寿にとっては当たり前のこと、それ以外には当たり前じゃなかったんじゃない?」


 だから。


「優しくされたら、優しさを返す。からかわれたら、からかい返す。でも悪いことをされたら、悪いことを返すしかない。それが何の迷いもなく普通にできちゃう人間だから。だからずっと優しくしてた。自分が優しくしていたら、悪いことなんて返されないから。だから結局、初めから悪意を持って接していたあの女は、寿にその悪意をそのまま返されることになった」


 俺は京帝 真妃乃に嘘を吐かれていた。

 込み上げてきたのは、失望、落胆、怒り。


 優しくしていたのに。悩んでいることを一緒に解決してあげようと思ったのに。俺はちゃんとお前に彼氏らしく、優しくしていたのに。


 あの時感じていたのは、俺が、という負の感情。

 やられたらやり返す。それが俺の中の絶対。ずっとそうしてきた、変えることのできないもの。


「本当は寿、あの女の望んでいる言葉を理解していて、でもあの時はまだ意味分かってなかったよね? 薄ら感じていた程度で、でも的確にやり返したのってさすがだよね! あれ聞いて俺、めっちゃオモロかったもん」


 彼女が望んでいたのは、アレがナニであるかを指す言葉。

 俺が告げたのは、アレは誰だと人の存在として訊ねた言葉。



『ずっと、先輩か元彼って言っている。あれは、誰だ?』



 それは彼女に下す、救いの手に包まれた――――断罪の手レクス・タリオニス


 俺にをぶつけたのなら、お前もをぶつけられることを受け入れろ。――相手を陥れる、救いのないを。それが俺の中の絶対。同害復讐法。


 嘆息する。


「本当にお前、人のことよく見てるな」

「そうしなきゃ死んでたからね!」

「明るく言うことか」


 一旦首を回すと、コキリと音が鳴った。

 もう隠す必要もない。


「……俺さ。幼稚園通っていた頃、結構一人でいることが多くてな。周りが楽しそうに遊ぶ中で、それをボーッと見てんの。何がそんなに楽しいのか分からなくて見てたんだけど、遊具を使う順番で揉め出したんだよ。よくいるじゃん、ガキ大将とその仲間っぽいの。仲間と揉めている子をガキ大将が突き飛ばして、転んで泣いちゃってさ。それ見ていて、何で泣いてんだ、やり返せばいいだろって思ったんだよ。良く見たらその子、転がってた石でもあってそれに当たったのか、足から結構血が出ていて。向こうは途中でガキ大将が割って入ったし、だったら本人が動けないんならし返すの、俺でもいいかと思って。俺が押して転ばしても、運よくあの子みたいに足怪我して血が出るとは思わなかったから、確実に足を怪我させなきゃと思った。先生とか他の子が泣いている子を取り囲んでいる間に、ハサミ持ってガキ大将のところに行った」


 途中からうへぇ~って顔をしてきたので、一旦口を閉ざす。


「刺したの?」

「いや。気づいた先生に止められた」

「だよね」

「どうしてそんなことするのってその場で聞かれたから、普通に答えた。『あの子がコイツに怪我させられたから、コイツも同じように怪我しなきゃ』って」


 今でも思い出せる。俺の言葉を聞いた時の、先生や他の子供の顔を。怪我をさせられた筈の子でさえ。

 おかしなものを見るようなあの目。異常なものを見るような、恐れを滲ませた、あの。


「それで分かった。あ、俺のコレは皆と違うんだと。母親にも連絡されて家に帰ってもやっちゃいけないって言われて、それで分かった。俺は普通じゃないんだなって。やっちゃいけないって言われても、納得できなかったからな。やられても我慢しなきゃいけないのか。いつその罪はソイツに返される? 我慢する意味なんてあるのか? そう思った。でもまた同じことをすると、またあの目で見られる。そういうの、世間からは弾かれるって何となく分かったから。俺だけなら別にいいけど、俺に優しくしてくれる母親まで弾かれるのは嫌だなって思った。だから、俺が害されないように優しくし始めた。害をぶつけられたら、俺も害で返さなきゃいけない。そうしないと、俺が納得できないから。誰にでも優しくしていれば、普通はソイツのこと害そうなんて思わないだろ?」


 同意を求めるように聞いたら、肩を竦められた。


「まぁね。でも俺、攻撃されそうだったら先に攻撃する派だからねぇ」

「お前の性格好戦的だもんな」

「うん! だってやられちゃったら、俺終わっちゃうもん! 確実に追い詰めて息の根止めなきゃね!」


 笑って言うなよ。怖いヤツだわ。

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