メガホン
増田朋美
メガホン
ある日、杉ちゃんとジョチさんは、二人で静岡の百貨店に買い物にでかけた。一体何をしているのか、静岡駅の前に、人垣ができている。一体何だと思ったら、ちょうど一週間後に、参議院選挙があり、その立候補者が、駅前で演説しているのだった。なんだか子育てがどうのこうのとか言って、子育てのための資金を何円か出すとか言っている。聴衆はそれを聞いて拍手したり、そうだそうだとやじを飛ばす人も要るようであるが、やはり偉い人が言っていると、なにか不自然な事を感じさせるのであった。いくらそういう人が、子育てがどうのこうのとか、そう言っても、なんだか実感がわかないというか、そんな気がしてしまう。
「それでは、これよりサイン会に入らせていただきます。希望される方はこちらで一列にお並びください。」
と、アナウンサーがそういったため、すぐに話に乗ってしまう杉ちゃんが、それなら僕もサインをもらいたいと言って、近くにあったブースで本をスイカで買い、車椅子を動かして、サインを求める列にはいってしまった、全く杉ちゃんという人は、どうしてこうなんだろうかと、思われるが、イベントがあると参加してしまうのが杉ちゃんである。サインを求める列は結構ながくて、長時間待たなければならなかったが、杉ちゃんはそんな事は平気だった。いつまでも待たされても平然としている。そして、何十分も待って、杉ちゃんの番がきた。二人が、著者である立候補者に近づくと、
「はじめまして、よろしくおねがいします、お名前をどうぞ。」
と、立候補者は、にこやかに笑って挨拶した。
「はい、影山杉三です。と言っても影山杉三とはいわないで、杉ちゃんと言ってください。」
と、杉ちゃんがいうと、
「わかりました。そのままではちょっとおかしいと思いますから、杉ちゃんさんへと書いておくことにします。」
と、立候補者は、マジックをとって、杉ちゃんさんへ、水野重治とサインをした。なんだか議員に立候補するには、とても頼りない文字であったけれど、ちゃんと、書いてくれた。
「どうもありがとうございます。お前さん議員に立候補したい割には、馬鹿に謙虚なやつじゃないか。なにか理由があるのかい?議員になりたい理由がさ。」
杉ちゃんがそう言うと、理由はあるんですよ。と、水野さんは小さい声で言った。
「へえ、理由があるんだったら教えてもらえないものかなあ。一体なんで、選挙に出ようと思ったのかな?」
杉ちゃんがまた聞くと、
「いや、大した理由でも無いんですけどね。小さい頃、ちょっと家で揉め事がありましてね。それで僕は、ちゃんと育って無いので、立候補することにしたんです。」
と、彼は答えた。
「そうなのか、それは立候補の理由になるな。それでは、世の中を楽しくできるように、一生懸命頑張っておくれよ。僕達、心から応援するよ。」
杉ちゃんは、にこやかに笑った。
「まだまだ議員としては半人前ですけど、当選できたら、一生懸命頑張りますので、よろしくおねがいします。」
水野さんもにこやかに笑った。
「お前さんは、半人前かもしれないが、議員になったら、経験にまさるものは無いとおぼえておいてくれ。お前さんがもし、大物議員にバカにされそうになったら、お前さんの過去を思い出せばそれでいい。それさえやれば大丈夫。」
杉ちゃんは、いきなりそんな事をいうので、ジョチさんもおどろいた顔をする。
「水野さん次の場所に行きますよ。今度は、富士宮市で演説ですよ。富士宮市の有権者が待ってますよ。」
手伝い人の女性が、水野さんに声をかけた。水野さんは、わかりましたと言って、杉ちゃんたちの前から選挙カーに乗り込んでいった。
「やれれ。なんだか草食男子みたいな男だな。ちゃんと、国会議員をしてくれるんかいな。」
と、杉ちゃんが心配するほど、彼は、なんだか弱々しい感じのする男だった。ジョチさんは、スマートフォンを取り出して、その男の経歴などを調べてみた。
「はあ、いわゆる二世議員ではなさそうですね。単独で立候補したのかな。どこの政党にも所属していない。フリーランスで出馬したんですね。なんだか票の獲得が難しい気がするけど、それは考えているのかな。」
ジョチさんは、心配そうな顔をして、スマートフォンをカバンの中にしまった。
「はあ、いいじゃないか。意外にさ、大手の党は、不祥事が多いからさあ。どこにもはいってない、新人のほうが、うまくいくかもよ。」
杉ちゃんはカラカラと笑った。
「まあ、僕達にできるのは、思いっきり応援することと、票を入れることしかありません。それは仕方ありませんから、あの方が当選してくれることを祈りましょう。」
ジョチさんは杉ちゃんに言って、二人は静岡駅から、富士駅へ帰った。
その数日後のことであった。
杉ちゃんとジョチさんは、また用事があって、富士駅へ行ったのであるが、駅近くにあった交番から、おまわりさん、つまり警察官が飛び出していったのが見えた。
「おいおい、なにかあったのか?何か重大な事件勃発?」
と、杉ちゃんがおまわりさんにいうと、
「はい。子供が万引きをしたと駅のパン屋から通報がありました。」
と、おまわりさんは言った。
「子供が万引き?」
と、杉ちゃんが、オウム返しにいうと、おまわりさんたちは、駅の構内で回転しているパン屋に走っていった。はあなんだろうね、と杉ちゃんとジョチさんは、パン屋さんへ行ってみた。確かにパン屋さんの椅子には、五歳くらいの少年がいて、婦人警官がどうしてお店のパンを食べようとしちゃったのかな?と形式的に言うのであるが、少年は、涙を流して泣くばかりで、何も答えなかった。
「あのね、お店のパンを食べてしまう前にお金を払わなければ、、、。」
と、婦人警官が言うと、少年は、わあーっと声をあげて泣き出してしまった。杉ちゃんが、ちょっと失礼、と言って、少年の近くに車椅子で近づいた。
「おい、お前さんの名前は、なんていうの?」
杉ちゃんの言い方に、少年は怖いおじさんがいると思ったのだろうか、さらに泣き出してしまうので、
「泣かなくてもいいんですよ。僕達はなぜ、あなたが、パン屋さんのパンをお金を払わないで、食べてしまったか、理由が知りたいだけです。」
と、ジョチさんが言った。
「お前さんは、何歳だ?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「6歳。」
と少年は答える。6歳というのにはちょっと変な響きがあった。6歳という年齢にしては体が小さすぎる。ジョチさんは、少年の着ている服の袖をちょっとめくってみた。すると、少年は、ガリガリに痩せていて、腕の一部に殴られたような痕があった。
「すみませんが、あなたが覚えている限りで食事をしたのはいつですか?」
と、ジョチさんが言うと、
「日曜日。ケンタッキーで食べた。」
と、彼はいう。
「日曜日。と申されますと、今日は土曜日だから、5日以上食事をしていないんですね。あなたのご家族は?」
と、ジョチさんがまた聞くと、
「ママと二人暮らし。」
と彼は答えた。
「お母様は何をやっている方ですか?あなたのお名前は?」
「僕、、、堂島明。」
と彼は答えた。急いでおまわりさんが彼の名前を手帳に書いた。
「じゃあね、明くん。あなたのお母さんの名前を教えて下さい。できれば、勤務先も教えていただけるとありがたいです。」
ジョチさんがそうきくと、
「聞き方が悪いんだ。お前さんのお母ちゃんの名前とどこで仕事しているかおしえてくれ。」
と、杉ちゃんが口を挟んだ。
「名前は、堂島夢子。仕事しているのは、病院。」
と、明くんが答えるので、おまわりさんたちが、堂島夢子という女性の勤めている病院をしらべろという指示を出した。
「ここで待ってても腹が減ってどうしようもないと思うから。僕のうちで、カレーでも食べるか。な、僕がカレーを作ってあげるから。な。確かに、一週間近く、食べてないってなると、腹が減ってどうしようもないだろう?」
杉ちゃんは、急いで明くんにそう言った。ジョチさんは、杉ちゃんお願いしますと言って、急いで小薗さんを電話で呼び出し、少年と杉ちゃんを、杉ちゃんの家まで連れて行ってくれるように頼んだ。杉ちゃんは、一緒に小薗さんの車に乗り込み、自分の家に帰った。
「すぐにカレーを作ってあげるからな。楽しみに待っててな。」
と、杉ちゃんは急いで、冷蔵庫を開けてにんじんとじゃがいもを切って、ひき肉と一緒に鍋に放り込んで炒め始める。そして鍋に水を入れて、沸騰させ、10分くらい煮て、その後にルーを加えた。いわゆるキーマーカレーというカレーだ。炊飯器に入れてあったご飯を急いでお皿にもり、カレーをたっぷりかけてやった。
「ほら、カレーだよ。たっぷり食べろ。」
明くんは、目の前にうまそうなカレーが置かれたのに我慢できなかったのか、スプーンを受け取って、むしゃむしゃと食べ始めた。すごい食欲だなと杉ちゃんは、驚いた。と同時に、子供だからこのくらいの食欲があってもいいなと思い直した。そのくらいの食欲がなければ正常な子供とはいえない。
「お前さんは正常だ。それだけたくさん食べられるんだから、大丈夫だ。」
杉ちゃんがそう言うと、明くんはにこやかに笑って、おかわりといった。はいはいと杉ちゃんがカレーを盛り付けてやると、明くんはありがとうと言って、また食べ始めた。と、同時に、ガチャンと杉ちゃんの家の玄関のドアが開いて、ジョチさんがやってきた事がわかった。
「明くん、お母さんを連れてきましたよ。ここで、あなたから、日頃溜め込んでいた怒りを、お母さんに向かって表現してください。なんで、ご飯を食べさせてくれないんだと言ってくれていいです。」
ジョチさんは、堂島夢子という女性を連れてきた。彼女は、また勤務途中とでも言いたいのか、看護師の制服に身を包んだままだった。
「ほら、言ってくれて結構です。悪いのは、お母さんですよ。あなたに、ご飯を食べさせないのは、明らかに悪事ですから。」
ジョチさんにいわれても、明くんは、涙をこぼしているだけだった。お母さんの夢子さんのほうは、
「人にカレーを食べさせてもらって、何をやっているの!」
と、いうのである。
「だって、カレーを食べさせないのは、お前さんのほうじゃないか。それは、お母さんである、お前さんの義務を怠ったのが悪いんだよ。」
と、杉ちゃんが堂島夢子さんにそういうのであるが、
「違います。だって私は、ちゃんとテーブルの上に食事を用意しておきました。お母さんは、仕事に行くからって、ちゃんと彼にも言ったはずです。それなのに、外で、パンを万引きするなんて、、、。」
夢子さんは、そういう事を言っている。
「まあ、子供さんですからね。いきなり、食べものを与えられても、全部食べきってしまって、もうなくなってしまったということもあり得るでしょう。」
「でもどうして、、、。」
と夢子さんが、そう言うので、杉ちゃんとジョチさんは、夢子さんが明くんに、なにをしようとしていたのか、わかってしまったような気がした。
「それでは、明くんはどこから、部屋をでたのかな?」
と、杉ちゃんが聞くと、
「トイレの窓から。」
と彼は答えた。お母さんの夢子さんは、驚いた顔をしているが、明くんはそう言っているので間違いはなかった。つまりこういうことである。夢子さんは、家中の窓やドアに鍵をかけて、明くんを閉じ込めて餓死させるつもりでいた。しかし、明くんは、かろうじてトイレの窓から飛び出して、パン屋さんに出ることに成功したのである。もしかしたら、トイレの窓は、小さな窓で、大人は通り抜けることはできないかもしれないが、子供なら、通り抜けることができたのである。
「じゃあ、この事件は、未遂に終わったとしても、お母さんがしでかした殺人ということになります。彼女には、これから警察に行ってもらって、彼女なりの裁きを受けることになります。それは、お母様がしたことだから、やってもらうしかありません。」
と、ジョチさんは厳しい表情で言った。確かにそうなることだと思うのだが、それでは、彼、明くんはどうなるのだろう?お母さんだけがたった一人の肉親である。
「ようし、それなら良い提案が有るぞ。あの、議員立候補者のところに預けさせよう。」
と、杉ちゃんはでかい声で言った。
「議員立候補者?あの、水野重治ですか?ちょっと待って下さい。そんな事、いきなり頼んで彼が預かってくれますかね。」
ジョチさんは何を無茶苦茶なという事を言っているが、
「いやいや、ああいう立候補者のもとで預けるのが一番だ。ああいうやつが、実際に子育て体験することは重要だぜ。」
と、杉ちゃんは言った。
「ねえ、ジョチさんさ。あの水野重治さんの連絡先はわかるかな、出版社になにか書いてないだろうか?」
ジョチさんは、急いで、杉ちゃんの家に置いてあった本をとって、本の著者略歴欄を出して、そこにかかれたメールアドレスにメールを送ってみた。メールアドレスを公開する著者も珍しいが、相談業務をやっているので、相談がある人のために、メールアドレスを掲載してあると本に書いてあった。ジョチさんは、すぐには返信は来ないと思うといったが、数分後にすぐにメールがきた。明くんをすぐに預かるという。ジョチさんは、お願いしますと返信した。そういう事は、すぐに決めてしまったほうがいいと思ったのでそうしたのだ。一時間くらいして、水野重治が、車で迎えに来た。議員候補の車なら、外車とかそういうものになるはずなのに、ただの軽自動車だったことに驚く。それに、チャイルドシートもちゃんと設置されているのが、驚きだった。ジョチさんは、急いで、明くんをそれに乗せ、早く行ってくれる様に頼んだ。流石に、母親が、逮捕される瞬間を見せてしまうのはかわいそうだと思ったのだ。水野さんもそれがわかってくれたらしく、すぐに車を動かして、走っていった。それを見届けたあと、ジョチさんは、静かに110番通報をした。まもなく、警察がここにやってくるだろう。
それから何日か経って、テレビでは、6歳の息子を餓死させようとして、看護師の母親が逮捕されたというニュースを盛んに報じていた。偉いコメンテーターが、母親が母親であるという自覚がないとか、もう少し日本の女性が、おとなになってくれればいいのにということを、ひっきりなしに報道していたが、あの小さな少年の事は報道されなかった。いずれにしても、このまま報道が続けば、あの母親である、堂島夢子さんは、永久に悪い母親になってしまうことだろう。それもなんだかかわいそうだと思う。一部のチャンネルでは、夢子さんが、看護師としての業務が長時間過ぎて、息子さんと触れ合う時間が一切なかったということも報道していた。もちろん、夢子さんがあの凶行に走った理由はそれだけでは無いと思うけど。でも、こういう事も報道してもらったほうがいいと思う。看護師は、それだけ劣悪な事が多いので。
同じ頃、静岡駅前では、水野重治さんが、メガホンを口に当てて、演説していた。
「私は、皆さんに謝らなければなりません。」
と、彼は言った。
「私自身、育児というものがこんなに辛かった作業だったとは、夢にも思っていませんでした。もっと育児のしやすい社会を作ると散々皆さんに訴えてきましたが、私が、実際問題、子供と触れ合ってみて、子供さんというのは、こんなに難しいものであったということを思い知らされました。まずはじめに、この事実を、皆さんに謝罪しなければなりません。」
そういう彼に、街の人々は、一体何を誰に謝っているのか、この人おかしいんじゃないのという目つきで見つめていた。
「ただ、一つだけお知らせしておきたい事があります。それは、子供さんにとって、親は絶対的であるということです。子供は、親を選んで生まれてくると言いますが、それは、偉い人たちのエゴであることもお知らせしておきましょう。私は、子供を預かってみて、一生懸命こちらを見てくれと願っても、通用しないことをはじめて知りました。彼は、自分を産んでくれたお母さんでなければ嫌だと言って聞きませんでした。その彼の気持、それは、どんな手段を使っても変えることはできないと、私ははっきり知ったのであります。どんなに優しいおじさんでもおばさんでも、お母さんお父さんには、変えられないなにかを持っています。そして、ここで大事なことが一つあります。子供さんには、お母さんお父さんを大好きだという気持ちは持っていても、私達のように、言葉で表現することはできないということです。それは、大人が読み取ってやらなければならないのです。それがわかることこそ、本当におとなになったといえましょう。」
街の人達が集まり始めた。彼の話を聞こうとして集まってくれた人たちだ。
「ですから、どうかお願いします。皆さんの中で、育児に疲れている方々がいましたら、子供さんは、きっとお母さんの事を愛しているんだと思って接してあげてください。子供さんのお母さんやお父さんは、あなたしかいないんだということ、おじさんおばさんでは代役は勤められないということを、もう一度考え直してください。もし、それでも苦痛だと感じる方は、こう考えてみてください。この子が、私の事をだれよりも、必要としてくれているのだと。必要としてくれる人がいる。なんて素晴らしいことではありませんか。」
水野さんは、メガホンを持った手が、なにか震えているのを感じた。周りの人達にこの思いが通じるのかと感じたが、自分が何よりも感動し、それを思うことが一番伝わると信じていた。
「どうか、お願いします。お子さんを煩わしいと思うのではなく、自分の事を大切にしてくれるかけがえのない存在だと思ってあげてください。残念ながら、日本ではそれを感じ取るのは難しい社会になってしまった事は、紛れもない事実です。ですが、それを変えるときが今、私達に与えられたのではないかと思っております。私は、そのような美しい感情を、皆さんに与えられるような、そんな社会を目指して参りたいと存じております。」
メガホン 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます