【結・扉は開かれた】
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撃たれた――と思ったのだけど、そうではなかった。
ガリガリと砂利を削るような音がして、白黒の警察車輌と、ピンクの軽自動車がハイスピードで坂道を上って来た。家の前に着くや否や、ものすごい勢いで警察車輌のドアが開き、中から警察官が二人飛び出して来る。
「待て、そこまでだ。銃を置け。抵抗すれば撃つぞ!」
ピンクの軽自動車からも二人の人物が転がるように出て来た。
「蛍ちゃん、バカなことはやめろ!」
熊井さんは心配そうに蛍さんに呼びかけ、朔良さんは、何が起こっているのかまったく理解できない、という間の抜けた顔で僕に問いかけた。
「えええっ? なんだこれ、どういうことだよっ?」
光が視界いっぱいに広がって、もう死んだのだ、とバカバカしい早トチリをしてしまったのだけど、なんのことはない――涙が零れないよう顔を上げたら、太陽をもろに見詰めて目が眩んでしまっただけだった。
サイレンを鳴らしていなかったので、警察が来たとすぐには分からなかったのだ。
でも、どうして警察が――
……と言うか、
「熊井さん、朔良さん、どうしてここに?」
熊井さんは困ったような哀しげな顔で僕に頷く。
「神宮寺ほのかさんって女の子から電話を受けたんだ。彼女はものすごく切羽詰まった様子で、『水森邸に不審者がいる、二人が捕まっていて危ない、不審者に見張られていて電話は出来ないとメールが来たけど自分は東京にいて助けに行けない、あなたが警察と一緒に救助に行ってくれ』って……」
そんな都合の良いことがあるのだろうか、と信じ難く思っていると、朔良さんも説明を始めた。
「俺も神宮寺ほのかって女の子から電話がかかって来て、今すぐ警察を呼んで蛍さんの家へ行けって言われた。とんでもない女の子だ。言う通りにしないと、『オジサンに淫行を迫られた』って警察に被害届を出すって脅された。『そんな嘘、誰も信じない』って言ったんだけど、『証拠はいくらでもでっち上げられる』って……あんな方法があるなんて……アレをやられたら、男は何もしてなくても身の破滅だ。言う通りにするしかないよ……滅茶苦茶だ……悪魔だ……」
なぜか、そう喚く朔良さんは左の頬を赤く腫らしていた。よく見ると手形に見える。ホテルのフロントお姉さんと乗馬デート中に女子高生から電話が掛かって来て、デートを中断してここに来たのだろう。事情はなんとなく察せられた。少しだけ、『何もしてなくても男が破滅する方法』が気になったけど、知らないほうが良い気もするので問い質すのはやめておこう。
「それにしても、どうして神宮司さんが……?」
「私の指示だ。十二時を過ぎても連絡しない場合、実行に移せ、と」
やれやれなんとかなったな、という顔で月ヶ瀬さんに言われ、一瞬でピンと来た。
そうだ、タクシーの中で、月ヶ瀬さんは神宮司さんにメールを送っていた。
なんて女の子なんだ。
こうなる事を予想して、あらかじめ手を打っていたのか――
きっと月ヶ瀬さんは、朔良さんと熊井さんそれぞれが『どう言われれば動くか』正確に見抜いて、要請の言葉を使い分けたんだ。神宮司ほのかさんは、僕が蛍さんを騙して呼び出した時と同じように、ただ月ヶ瀬さんが書いた台詞を読んだに違いない。
なんて、なんて、とんでもない女の子なんだ。
「間に合ってくれて助かった。だが、少し胆が冷えたぞ」
月ヶ瀬さんに不当になじられたのに、熊井さんはお人好しにも頭の後ろを掻きながら謝罪した。ごめんね、と。
「朔良からも電話が来て、合流してから警察へ行って、それからここへ来たんだよ」
熊井さんは蛍さんに向き直った。
「蛍ちゃん、さあ、銃を下ろすんだ。何があったか知らないが、そんな事しちゃいけないよ。君は、もう充分に苦しんだ。それ以上苦しんじゃいけない」
蛍さんは唇を震わせ、猟銃を取り落とすと、その場で泣き崩れた。蛍さんがあんな風に激しく泣く姿を初めて見た。
熊井さんは蛍さんを抱きかかえるようにして、猟銃から引き離す。
それから優しく声をかけた。
「蛍ちゃん、君がこの子たちを傷付ける前に間に合って良かったよ」
蛍さんは熊井さんの顔を見られないのか、俯いたまま訊ねる。
「熊井くん……何を知っていたの?」
「君が祐樹をずっと好きだったという事だけだよ」
しばらく無言の時間があり、
「そう……」
蛍さんがきつく目を閉じた時、また涙が零れた。
「自首します」
ひとしきり泣いた後、蛍さんは警官に顔を向けて言った。
「自首もなにも、あんたねぇ、正当な事由が無いのに猟銃を持ち出して、しかも人様に銃口向けちゃったら、そりゃ、完全なる銃刀法違反だよ。そんなの、自首なんかしなくたって現行犯逮捕だよ、現行犯逮捕」
中年の警官は地元訛りで捲し立てた。ふふ、と薄く蛍さんは笑う。
「人を殺しました。七年前に――」
はあ、と警官は素っ頓狂な声を出した。
「なに言ってんの、あんた? 冗談も休み休み言いなさいよ」
「そこの水飲み場のバケツの中に、被害者の頭蓋骨があります」
えっ、と警官は叫んで混乱し、若い方の警官が走って行って、水飲み場に置かれたバケツの中を確認し、後は大騒ぎになった。
中年の警官が無線でどこか――本署とかいうところだろうか――と連絡を取り、あれこれ指示を仰ぎ、しばらくここにいて下さい、と僕たちは足止めをされ、手際の悪い二人の警官に前後矛盾する事を言われつつ、何をすればいいのか分からず、イングリッシュガーデンの脇の煉瓦敷きの通路に突っ立っているしかなかった。
挙句に「担当の刑事が来ますから」と言われ、そうか、まだ誰か来るのか、と上の空で思った。どこかふわふわして現実感が無かった。
待つ間、蛍さんは若い警官に付き添われて、手錠は掛けられずに警察車輌の後部座席に座っていた。自首する、と宣言したので逃亡の意思は無いと判断されたらしい。
朔良さんは両手を口元と喉に当てノイローゼになったように、同じ言葉だけを繰り返し唱えていた。
「嘘だろ、嘘だよな。参ったな、嘘だ、参った。嘘だ、嘘、嘘……」
「朔良……」
熊井さんが軽く肩を叩いたら、朔良さんはしがみ付くように熊井さんの胸に寄り掛かり、押し殺した声ですすり泣きを始めた。その様子は弱々しかったけれど、素直で、普段とは別人のような様子だった。
熊井さんは何も言わなかった。何も言わずに朔良さんと一緒に泣いてくれた。
警察車輌と黒いセダンが四台やって来て、大勢の警官や刑事らしいスーツ姿の男性が降りて来た。
礼状が読み上げられ、蛍さんは逮捕された。ここでも手錠は掛けられなかった。
「事情を聞かせて貰いたいから、あんたがたも一旦警察署まで同行してちょうだいね。その軽自動車でパトカーの後ろ付いて来てくれればいいから」
初老の刑事に言われ、熊井さんが、分かりました、と頷いていた。
「少し身支度をさせてください」
連行される前に蛍さんは言い、数人の警官に付き添われて自宅の中へ入って行き、五分とかからず、少しの手荷物を持ち、薄い日除けショールを羽織った姿で外に出て来た。
「これ、あなたのでしょう?」
タブレットPCをつっけんどんに突き出され、月ヶ瀬さんは無言で受け取る。ファイルのコピーは済んでいるはずだけど、よく分からない。
「それからこれも――」
蛍さんはもうひとつ、何かを差し出した。
「これも私の物じゃないわ。他人の家に侵入して家捜しした挙句に、引き出しに勝手にこんな物まで入れるなんて、悪戯にしても質が悪いわ。だから子供は嫌なのよ。ほら、持って帰りなさい」
白い外付けHDDだった。月ヶ瀬さんのものじゃない。
「ああ、私の物だ。すまなかった」
月ヶ瀬さんは無愛想にそれを受け取った。蛍さんはなぜかホッとした顔をする。
「中身はどうせ、お父さんの写真や動画なんでしょう? 大切にしたら?」
あ、と声を上げそうになった。月ヶ瀬さんに言っているフリで、僕に言っている。
蛍さんは、父のデータを、僕にくれた――
思わず、ありがとうと言いかけた時、蛍さんは歪んだ笑みを浮かべた。
「今までずっと嘘をついていてごめんなさい。でも、ひとつだけ、嘘じゃないこともあったのよ」
「え……?」
瞬間、濃密な悪意が匂い立つ。
「週末のご馳走、あれ、あなたが思っていた通りのモノよ」
ぐらり、と視界が揺れる。
じゃあ、僕が食べたのはやっぱり……
膝を着き、嘔吐しそうになる。
だけど、月ヶ瀬さんの叱咤の声が僕を雷のように撃った。
「しっかりしろ、蒼依くん。彼女は嘘をついている」
「でも……」
「よく考えろ。考えれば思考は自ずと転がり、必ず真実に辿り着く」
そうだ――
そうだった。よく考えるんだ。
蛍さんは言葉の魔力を知っている。自分も愛した人の言葉に縛られた人なのだから。狂うほどに言葉の魔力を知っていて、だからこそ、七年前に僕を縛ったんだ。
考えれば分かる。
蛍さんは僕を憎んでいた。小日向祐樹の息子として溺愛する一方で、小日向アリスの息子として憎んでいたんだ。
何を食べたのか分からないというのは怖い。どこまで意図していたのか分からないけれど、子供の僕に怖い思いをさせようと、七年前に口にしたのは、ほんの些細な意地悪だったはずだ。
僕が勝手に、想像してしまっただけ。
だけど、今は、今の蛍さんは違う。
僕がどんな想像をしたのか理解していて、敢えて、苦しめようとしている……
チリリ、と耳の後ろが灼けつくように痛んだ。
違う。悪意だけではない。
蛍さんは、小日向アリスの息子として僕を憎む一方で、小日向祐樹の息子としての僕を溺愛してくれた。欲しいものは買ってくれたし、美味しい料理も作ってくれた。勉強を教えてくれて、悪戯をしたら叱ってくれた。それに、風邪を引いたら付きっきりで看病してくれたじゃないか。ベッドの横に椅子を据えて、林檎を剥いてくれた。
大切に、愛して、可愛がってくれたのだ。
ああ、あなたと言う人は――
「僕はもうあなたの呪いには縛られません」
しっかり歯を食いしばり顔を上げる。
「あなたは僕に、父を食べさせたりはしなかった」
「証拠は?」
「証拠は無いけど、根拠はあります。あなたはとても独占欲の強い人だ。愛する男を、例えその男の実の息子にであっても、ひとかけらも渡したくなかったはずです。だから、もしも食べたのだとしたら、誰にも分け与えず、あなたが、あなただけが、ひとりで食べたはずだ。そうですよね、蛍さん……」
蛍さんは目を閉じ、涙を流すように微笑んだ。
「その通りよ」
さようなら、蛍さん……
「蒼依くん、良い大人になりなさい」
初恋の人は警察車輌の後部座席に乗せられながら、顔を伏せもせず、強い眼差しで真っ直ぐ前を向いていた。凛とした横顔を僕に記憶させるつもりなのだろう。きっと、それがあの人の意地なのだ。
小日向祐樹とアリスの息子に惨めな姿は見せたくないという……
まだ少し時間が必要だけど、やっと、僕は母さんの為に泣けるような気がする。
とん、と肩を叩かれ、流れるような素早さで手を繋がれた。
「よく辿り着いた。君のその結論こそが、すべてだ」
月ヶ瀬さんは僕が蛍さんに別れを告げる間、ずっと隣にいてくれた。
あの日、あの十二月の目も眩むような雪の日に、悪い魔女にかけられた呪いを解いてくれた、十二月生まれの善き魔女――僕の大切な月ヶ瀬柊。
君がいてくれて、本当に良かった。
青い空を見上げて、過去の自分に別れを告げる。
もう僕は初恋の呪いには縛られない。愚かな妄想にも――
「永遠にさようならだ」
ピンクの軽自動車の運転席のドアを開け、なんとなく、カーステレオのスイッチを入れてみた。メニューをラジオに切り替える。道路情報は流れず、丁度、明日の天気予報の時間だった。若い女性キャスターの弾んだ声が響き出す。
《明日は全国的に晴れの予想です。昨夜から雨雲がかかっている所も、明日には高気圧に覆われますので、スッキリと爽やかな青空が広がる見込みです。最高気温は高め、真夏のような暑さが訪れるでしょう。初夏の花々と新緑が眼に眩しい一日です》
END
十二月の魔女 THEO(セオ) @anonym_s
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