第2話 燕返し

 戦国時代においての剣術は芸事の一つであった。

 戦場では遠距離での弓矢や鉄砲から戦闘が始まり、近接してもリーチのある薙刀や貫通力のある槍のほうが実用性が高かった。刀を抜いて戦うにしても鎧を貫通出来ないので刀で打ち倒す、または刀を投げ捨てて組内(相撲)で相手を倒し、小刀で鎧の隙間を刺すのが一般的であった。その為剣術は見る分には面白いが実用性に欠ける「芸」と認識されたのだ。

 その状況に変化をもたらしたのが関ヶ原の戦いによる戦国時代の終焉である。今だに世の中はキナ臭く争いは絶えなかったが、増収の可能性が減った大名はリストラを始めざるを得なかった。本来なら戦闘員の量の減少を質の向上で補いたいところだが、実務経験を重ねる場である合戦の減少や、給与の増加が見込めない事からのモチベーション低下により、逆に質的にも低下してゆく恐れがあった。

 そこで注目され始めたのが剣術である。

 合戦での実用性はともかく護身術としてはそこそこの効果があり、何よりも他者より優位に立ちたいという生物としての本能を強く刺激してモチベーションを向上させるので、日々の鍛錬により体力低下、つまり戦闘力の減少防止に効果があると見込まれたのだ。

 しかし各藩の思惑により突然生まれた需要に対して、歴戦の戦闘員を教育できるような力量の有る教官は圧倒的に数が不足しており、在野の強豪を獲得すべく、主に一対一の立ち合いによる登用試験があちこちで行われることとなった。


 その藩の登用試験は屋外の練兵場を天幕を張って仕切り、そこを試合会場として行われた。晴天で風も無く好条件であった。

 任官を目指して集まった男たちの中に佐々木小次郎の姿があった。

 佐々木小次郎は目立つ男ではなかった。中肉中背で着衣も派手なわけではない。それでも彼が人目を引いたのは刀のせいだった。

 「物干し竿」

 一本一本が手作りの刀において、その長さは一様ではないのだが、それでも小次郎の刀は異様だった。刀身は他と大差ないのだが柄が長いのだ。一般的な柄は25cm位なのだが小次郎の刀は40cm程あり、体の前に大きく突き出ていた。人目を引くのも当然の話であった。試合に使う木刀もまたオーダーメイドであり、小次郎の木刀は真剣と同じく柄の長いものだった。

 

 小次郎の相手となった筋骨隆々の男は一刀流を名乗った。堂々と正眼に構えた姿には力みも無く、相当の修練を積んだ力量が伺えた。

 剣術の試合は技の読み合いだ。仕掛けた技に対してどの技で応じるか、または自分が狙う技に巻き込むためにどのように相手を引き出すか、兆しを見せて相手の反応を試してみたりとか実に複雑だ。けっして刀を早く振れば勝てるというような単純なものではない。

 そのなかで流派を名乗るということは手の内を晒すということである。それはプレッシャーを与えたり混乱させる目的か、または自分の技に絶対の自信を持っているかのどちらかだ。

 一刀流といえば「斬り落とし」である。相手の振り下ろす刀をほんの少し斜めから「斬り」軌道を変えて自分には当たらないように弾き飛ばし、逆に自分の刀は相手の刀に当てた反動で真直ぐに軌道を修正して相手を捉えるのだ。「斬り落とし」はその玄妙さから使い手によってやり方が異なる厄介な技であった。

 対峙したまま二人はじりじりと間合いを詰めてゆく。現代の剣道と違い、刀で斬り合う距離は異常に近い。たとえ木刀とはいえ生身でその間に入るには強靭な精神力を必要とする。

 正眼に構えた相手が小次郎の出足に合わせて剣尖を微妙に下げ、軽く誘いを仕掛けた。今打ち掛かれば機先を制した小次郎の木刀が相手の面を捉えるだろう。

 もちろん罠である。

 一刀流を知るものならば誰もが分る類のものであった。

 しかし小次郎は迷わず打ち掛かった。本来ならば相打ち覚悟の突き技や、決定力には欠けるが安全な返し技を警戒しなければならないのだが、これは登用試験なのだ。鮮やかな一本が欲しい。つまり「斬り落とし」てくるに違いない。

 相手も小次郎に合わせるように木刀を振り上げ、少々遅れて振り下ろす。

「ヤアア!」

気合の入った声の響く中、小次郎の木刀が相手の左首筋に寸止めされていた。相手の見開かれた眼から驚愕が伝わってくる。

 試合を見ていた採用試験官も典型的な「斬り落とし」が決まると思っていただけに驚いて立ち上がってしまっていた。

タイミングは完全だった。しかし彼の木刀は小次郎の木刀に接触することなくそのまま斜めに空を切った。なぜか。

 「燕返し」である。

 考え方は単純だ。「斬り落とし」の極意が相手の刀を「斬る」事にあるのなら、斬らせなければいい。ただ相手はこちらの振りに合わせてくるので、まずは打ち掛からねばならない。振りながら相手の刀を避ける方法を考えると、いったん刀を手前に引くしかない。刀は左手で振り、右手は添えるというのが本来の振り方なので右手を引いてみたが、どうも芳しくない。動作が緩慢になるし右手が緩むため刃筋がブレやすいのだ。そこで右手を引かずに支点とし、左手を押し出すことにより刀を立てて相手の刀を避ける。そのうえで右手を押し出しながら左手を振るようにすると、スカッてバランスを崩した相手の首筋を捉える事が出来るようになった。ただ、このような振り方は従来の柄の長さでは支点と力点の距離が短いためかなりの力を必要とし、正確性に支障が出る。それを小次郎は刀の柄を長くすることで解決した。「物干し竿」の誕生である。

 小次郎は以前、試合で一刀流に「斬り落とし」で敗れたことがあった。木刀とはいえ額に直撃を受けた為に重傷を負い、回復にかなりの時間がかかったので生活に困窮した。その苦い経験から編み出したのが「斬り落とし」破りの必殺技「燕返し」なのだ。

 「斬り落とし」が強力な剣技として認知されていたので、その技をひらりと華麗にかわす太刀筋はいつしか「燕返し」と言われるようになり、佐々木小次郎の名もそれにつれて人々に記憶されるようになっていった。

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剣技 富安 @moketo

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