野湯

高黄森哉

三吉

 行方不明になった、一吉と二吉を、探して、三吉は温泉富泉おんせんふせん岳に登っていた。この、山は古くから霊峰と言われていて、過去の伝承によると、三百年前に大噴火を起こしたそうな。それ以前は、立派な、三角錐をしていたが、噴火の爆発で頂上は吹っ飛ばされ、今は台形の形をしている。


 さて、霊峰と言われるゆえんは、その山の魔力にある。その山に登って帰ってこれたものは、一人を除いて、なんと、いないのである。そのたった一人は、頂上にて雷に打たれ、そのままゴロゴロと麓まで転がって転がって、しかし死ぬことなく帰ってこれた。


 その彼によると、頂上はすり鉢状になっていて、雨水が蓄えられていると。そこに至るまでの登山道で、幻覚に悩ませられたのだと。父を探して山を目指したきり帰ってこない妻の霊が見えたと。彼は、そのことを語り終えると、安らかな顔で眠るように死んでしまった。下山するとき負った傷が、致命傷であったことは、誰の目にも明らかであった。

 

 三吉は、雄大な風景を見ながら、長男や次男を、引き留めてやれなかったことを、後悔していた。もしかしたら、兄さん達は、もう。そう挫けそうな心に鞭をうって、山頂を目指すのである。


 山を登り始めて、三日がたったとき、クマが三吉の前に飛び出してきた。彼は、背中を見せないよう、細心の注意を払いつつ、背負った荷物を置き、クマが、それに気を取られているうちに退散した。この事件が、火山性ガスの見せた幻覚であったことは、三吉は知る由もない。


 あれから、三日がたった。熊を避けるために、遠回りしたのだが、食料を、すべてあの場に置いてきたので、空腹で倒れそうだった。そんな時、三吉は川を発見した。川の水は温泉のように十分に暖められていたので、細菌や、特に寄生虫の類が死滅しており、とても衛生的であった。両手を流れに差し出して、啜る。驚いたことに、その水は、極上の味がした。それは、高級な滋養があるスープであった。顔を上げると、兄さんたちが山頂に佇んでいるのが、はっきりと見えた。三吉はすっかり元気になって、休まず、てっぺんを目指すことにした。


 頂上。平らに見えた頂上は、あの男が言ったように、すり鉢状の形をしていた。最下層には、大きな湖が靄の中に沈んでいる。兄さんが下で手を振るので、斜面を下っていくと、それに対応して三吉の幻覚がひどくなっていく。盆地のような地形は、空気よりも重いガスを留めやすく、危険な状態にあるのだ。


 魚が、三吉の目の前を泳ぐので、何事かと刀を抜くと、その刀は秋刀魚になり、鞘は鯉になった。石は、鮮やかなオコゼやカエルアンコウに変身して、両足の間を泳ぎ抜けた。懐から、ホウボウが羽を広げてほうぼうに向けて飛び出した。不思議に思って、まじまじと観察すると、その模様は袖に入れておいた扇子と同じだった。足が不快なので、脱ぐと、草履は巨大なゾウリムシに差し替えられていた。しょうがないから裸足で進むと、ふとヒラメを素肌に直に感じだ。しかしながら、それは一メートル半もあるオヒョウだった。和尚ではない、ヒラメでもない、オヒョウである。少し歩けば数珠つなぎになったイクラや、パックリ割れたハマグリが落ちている。骸骨だと思えばデメギニスだし、ちんこかと思えばユムシだし、おどろどろろしい、と思いきや、おどろおどろしいし、よく見ればそうでもない。


 三吉は、幻覚の中、遂に意識を失ってしまう。そして、ゴロンゴロンゴロン。地獄のすり鉢の、どん底まで落ちる。坂の終わりには、雨水が熱せられた、ある種の温泉が湛えていた。そしてぐつぐつ茹でられて、先に落ちていた兄と一緒にスープになると、穴から漏れ出て、山肌を伝い、海へ流れて、飽和する。三吉だったものの前を、大きな魚の影が、ぬらり横切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

野湯 高黄森哉 @kamikawa2001

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ