武蔵野の暮れに無粋な烏なく

水無月薫

武蔵野の暮れに無粋な烏なく

 今年も秋の足音が聞こえてまいりました。みなさま、はじめまして。東京は府中にある大國魂神社おおくにたまじんじゃ御祭神ごさいじん大國魂大神おおくにたまのおおかみに代々使えるカラスの一族の末裔でございます。この神社は景行天皇けいこうてんのう41年(西暦111年)に創建され、武蔵国むさしのくに総社そうじゃとして1900年以上この地を見守り続けてきました。

 神社の境内を含むこの一帯は、奈良時代の武蔵国にとって非常に重要な場所で、大化の改新ののち武蔵国の「国府こくふ」が置かれました。国府とは国の中枢的機能を担う役所が置かれた、今でいう都庁です。

 そう、今でこそ府中は東京23区に比べやや発展していない印象がありますが、古代武蔵国ではこの一帯こそが政治・経済・文化の中心地だったのです。もちろんこうした由緒を今を生活する人間に訴えてもせんないこと。私はただ武蔵国総社の御祭神に仕える身として、この地域に暮らす人々に土地への愛着を持っていただきたい、そう願いながら今日も武蔵野むさしのの空を駆け回るのです。


***


 住処すみかである大國魂神社を北上し、住宅地や府中刑務所を見下ろしながら、府中市から国分寺市に入ります。国分寺市には国府とゆかりの深い「武蔵国分寺むさしこくぶんじ」の跡地があります。武蔵国分寺とは8世紀中頃、疫病や自然災害、政治の混乱などで不安定になっていた社会を聖武天皇しょうむてんのうが仏教の力で安定させようと、国府からほど近いところに建てられたお寺です。今の国分寺市の名前は古代にこの武蔵国分寺が置かれていたことに由来します。

 さて、かつての武蔵国分寺の近くまで来ると、水路沿いの散策道を2人の女性が楽しげに話しながら歩いています。人間の歳で30歳前後でしょうか。2人とも堅苦しくない休日着といった服装です。私は初見の人たちだったので、他のカラスに頼んで情報を集めました。カラスが古代、神の使いとされた理由の1つは秀でた情報収集力にあります。すぐに2人のことは分かりました。1人はサクラさんという名前で、この近くの大学で非常勤講師の職につくため、数日前に関西から国分寺市に越してきたそうです。もう1人はハルカさんといい、半年ほど前に渋谷区から調布市にある実家に帰ってきた方でした。会話の内容から察するに2人は東京で同じ高校に通っていた同級生みたいです。

 駅周辺で遅めのランチを取ったあと、町を南下して通称「お鷹の道」と呼ばれるこの自然あふれる散策道をブラブラ歩いていました。このあたりは雑木林がしげり湧水も豊富で昔からの武蔵野むさしのの風情を残した道です。私はこの風景が大好きなのですが、

「あー、やっぱりこのあたりは都心とは違うなあ」

「分かるよサクラ、少し駅から離れると林や畑ばかりで本当にここ東京? って感じ……」


***


 時刻はもうすぐ午後4時。2人は道沿いにあるカフェの外の席に座りました。

「ハルカが住んでいるとこもこんな感じ? 調布の深大寺じんだいじだっけ? 確か有名な観光地だったような」

 深大寺とは調布市の緑あふれる森の中にある天平5年(733年)に創建された都内屈指の古刹こさつで、休日ともなれば参拝客と観光客が絶えません。

「まあね。東京であんなに賑わっているお寺なんて浅草の浅草寺せんそうじくらいじゃないかな。……といっても私はサクラと違ってそんなにお寺に詳しいわけじゃないけど」

「お蕎麦そばも有名じゃなかったっけ? 深大寺そばっていう」

 どうやらサクラさんは歴史や地理にお詳しいようです。確かに「深大寺そば」は有名で、深大寺の参道には十軒以上もの蕎麦屋が並び、これも深大寺の賑わいを形成している要素の一つでしょう。

「詳しいね。でも賑わっているのはその一画だけだよ。あとは雑木林や畑が多くて、だいぶ寂しい。夜になると調布駅の方まで行かないとやってる店ないし。駅まで15分以上かかるのよ」

 いいじゃないですかハルカさん、そういう昔から続くこの土地の風景を楽しめば! ……と私は思うのですが。ちなみに調布駅の近くには我が大國魂神社よりも起源が古いとされる布多天神社ふだてんじんじゃがあります。木々が茂っていて我々カラスはもちろん、野良猫さんにも居心地が良さそうな神社です。

「ふと思い出したんだけど、調布って『ゲゲゲの鬼太郎きたろう』を描いた人が住んでところ?」

「あ、そうそう! ホント詳しいねサクラは。深大寺には鬼太郎のミュージアムみたいな施設があるし、調布駅の近くにも鬼太郎に関連した通りとか神社とかあってさ。作者の先生は調布に愛着があったみたい」

 飲み物が運ばれてきました。コーヒーの香ばしい香りが、私がいる屋根まで漂ってきます。

「おいし。ねえ、ハルカのカフェはいつからオープンするの?」

「冬前にはオープンしたいと思っているけれどなかなか準備が進まなくて」

「もう調布に戻って半年でしょ? お店を開くのってそんなに大変なんだ」

「うん、まあ……」

 ハルカさんはなんとなく歯切れが悪い。続く2人の会話から少しずつハルカさんの事情が読み取れてきました。この人は学生時代、自分のカフェを持ちたいという希望はあったものの、親の反対やら何やらで、結局は一般企業に就職を決めたそうです。就職してからは、渋谷の近くに一人暮らしをはじめ、カフェ経営への未練もなく順調に会社員生活を満喫していました。それが最近、実家の近くに住んでいた祖父が亡くなり、住居だった日本家屋をどうするか、という話になって、「せっかく土地と建物があるんだから、やりたがっていたカフェをやらないか」と両親はハルカさんに勧めました。

「正直もう学生時代ほどコーヒーに対する情熱や夢がないんだよねえ。親もなんでいまさら言うのって感じ」

「でもやるんだね」

「なんかもう会社も仕事も嫌になっちゃってたから……。だから逃げてきただけよ。昔みたいに前向きにやりたいってわけじゃないの。正直こんな気持ちで店はじめていいのかなって思ってる」

 ああ、この厭世的な口調……。どんなに生活が豊かでも、時折人生に対して投げやりになってしまうのが人間という生き物みたいです。

「それでもいいじゃない」

 サクラさんは意外と明るい口調です。

「それでもいいと思う。私だって似たようなものだもの。うまくいかない時って、付き合う人と仕事と、あと住む場所を変えた方がいいって言うじゃない。このあたり——この国分寺とか調布とかってことだけど——新宿や渋谷よりも東京の原風景げんふうけいがそのまま残っていて落ち着くわ。なんだか武蔵野って感じ」

 まさに私が言いたいのはそういうことでした! サクラさんは続けます。

「新宿まで電車一本ですぐ行けるから田舎って感じもしないし。なんか物理的にも精神的にも、日本の政治や経済の中心からちょうど良い距離感だわ」

「そういえば23区の外に出てから、やたらと『武蔵野』って言葉を耳にするなあ。吉祥寺なんてそのまんま武蔵野市だし、調布や三鷹でもお店や地名によく武蔵野ってついているし。確かに武蔵野って名前の響きからはこの辺をイメージするかも。都会と郊外の中間地帯、みたいな。高尾とか奥多摩とかまで行くと、また少しイメージ違ってくるけど」


***


 小一時間くらいして、2人は店を出ます。

「このカフェって国分寺市の情報発信も兼ねているんだね。周辺の地図や観光情報が載ったパンフレットが置いてあったし、店員のお姉さんもこのあたりに詳しそうだったし」

 サクラさんの言葉にハルカさんもうなずきます。

「ここって昔の東京で一番重要なお寺があって、そのお寺が国分寺だからそういう地名だったのね。実は超重要スポットじゃん。資料館はもう閉まってるみたいだけど、跡地だけでも見ていく?」

 ハルカさんハルカさん、「東京」ではなく「武蔵国むさしのくに」ですよ。武蔵国は東京そのものではなく、埼玉の大部分や神奈川の一部も含まれるのです。しかし今は細かいことは言いますまい。

 2人は武蔵国分寺の跡地に向かいます。かつての建立物で今も残っているのはいくつかの礎石そせきだけ。あとは当時の建物を模して復元した基壇きだんがあり、地元の人が何人か腰掛けていました。

「なんか奈良の平城京跡みたいで、これはこれで親近感沸くなあ」

 関西から来たサクラさんがつぶやき、2人も基壇に腰掛けます。草木は手入れがされているところとされていないところが混然としています。

「あ、猫さん」

 野良猫さんが近くにやってきました。たぶんこのあたりに住んでいるのでしょう。この場所では野良猫もいい風情です。2人は会話をやめ、あたりの静けさに浸ります。


 カアーカアー カアーカアー


 静寂を破るのは無粋ぶすいだと思いつつ、願いをこめて私は鳴きました。

「ちょっと前まで5時過ぎても結構明るかったのに、もう日が沈みそう。まだ暑いと思っていたけど、もう秋ねえ」

「うん」

 夏の終わりを惜しむかのように、2人の声はそこはかとなく寂しげです。それだけ言うとまた静かに夕陽の方をじっと見ています。私は武蔵野の夕暮れが好きです。特にここ武蔵国分寺跡で眺める夕陽は美しい。沈みゆく太陽が発する茜色あかねいろが寂寥とした風景に実によく映えて、歴史の壮大さと儚さに想いを巡らせます。かつてここに立派な国分寺があった時代、沈む夕陽を眺めていた人の胸にはどんな感情が去来したのでしょうか。

「夕陽、キレイねえ」

「うん。ほんと。こんなぼーっと夕陽みるのすごく久しぶり」

 


***


 夕陽を全身に浴びながら大國魂神社おおくにたまじんじゃに戻りました。住処すみかである境内の木にとまると、ちょうど夕陽が完全に沈むところでした。黄昏から宵に変わります。まもなく月が夜空に輝くでしょう。夕陽も美しいですが、木々が茂る神社から見る月こそ何にも増して風情がある、そう感じる時があります。

 これから本格的に秋に入り、十五夜じゅうごや十六夜いざよい十三夜じゅうさんやと月が様々な表情を見せるようになります。果実が実り、秋の花が咲き、木々の葉も少しずつ色づきはじめて、町を彩ります。もしかしたら武蔵野が一番美しい季節かも知れません。秋の気配に胸を躍らせながら、私は明日も武蔵野の空を駆け回るのです。

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