第4話 進展


「こんな処に家が? いつの間に?」


 街の西側にある山。その南側に、いつの間にか出来ていた家を見て、猟師は眼を見張った。

 ここらは森が深く、山裾と言っても稀に猛獣が出る。それがそのまま街に降りてくる事もあるため、猟師ギルドの面子が持ち回りで巡回していた。


 そんな巡回の途中で見つけた家。


 週一の巡回だ。先週には何もなかったのは確認済み。

 猟師は呆気にとられながら、ぼうっとその家に近づいていった。


 街の建物より綺麗な家。


 白い壁に赤い屋根の瀟洒な造りの家には、井戸や柵もあり、少し離れた位置に見える畑っぽい処では誰かが作業をしている。

 手をかざして、相手を確認しようと身を乗り出していた猟師の前で、突然、家の裏木戸が開いた。

 そこから現れたのは、小さめな桶を持つ幼女。

 三つか四つか。幼い身体全身を使って井戸のポンプを動かす姿に暖かく眼を細め、猟師はそれとなく声をかけた。


「こんにちは、お嬢ちゃん」


 びくっと大きく震えた少女は、恐る恐る後ろを振り返る。

 そして猟師の姿を眼に映した途端、雄叫びのような絶叫を上げた。


「えっ? あれっ? おじさんは怪しい者じゃないよ?」


 おろおろと狼狽える猟師が幼女を宥めようと手を差し出した瞬間、それより先に誰かが幼女を抱き上げる。

 それは優美な男性。白にも見える銀髪の美丈夫は、炯眼な眼をすがめ、猟師を鋭く射ぬいた。


「.....なにか?」


「あ..... いやっ」


 あれ? この人、ひよっとして、さっきまで畑にいた人か?


 えっ? えっ? と目の前の親子と畑を交互に見る猟師。

 やはり、畑に居た人間がいない。しかし、畑があるあたりからここまで、軽く三百メートルはある。一瞬で移動出来る距離ではないはずだ。


 だが、今はそれどころではない猟師。


 目の前の父親らしき男性から醸される陰惨な雰囲気に、思わず猟師は固唾を呑む。この感覚を彼はよく知っていた。

 

 森で猛獣と対峙した時の殺気だ。


 相手を殺そうと思う純粋な殺意。それを目の前の男性からひしひしと感じる。下手に整った相手の美貌が、その凄みをさらに増していた。

 出方を間違えたら殺られかねない。そんな漠然とした恐怖が猟師を襲う。

 モロトフの中に潜む人智を超えた何かを敏感に察知した猟師は、言葉を選びながら、丁寧に挨拶をする。


「脅かしたようで、すいません。先週まで、ここらに家はなかったんで、不思議に思って.....」


 そこまでの説明を聞き、モロトフからみるみる殺気が薄れていった。

 盛大な安堵で胸を撫で下ろした猟師は、取りあえず自分の話を彼にした。


「俺は、あそこに見える街の猟師なんだ。森の猛獣らが降りて来ていないか時々確認に来てる」


 ここは誰の土地でもないが、猟師ギルドの依頼で巡回している自分には報告の義務があること。

 ここは街の管轄ではない土地だが、申請を入れれば街に所属も可能なこと。

 猟師は過不足なくモロトフに説明する。

 

 そしてチラリとカユラを見て、猟師は淡く微笑んだ。


「娘さんかい? 今は小さいけど、七つの洗礼を終えたら学校に通わせた方が良い。教会が無料で教えてくれるし、友達も出来るだろう。そのためにも、街に所属しとくことをお勧めしておくぞ?」


 そう言い残し、猟師は軽く頭を下げて二人の前から立ち去った。


 猟師を見送りつつ、モロトフは考える。


 何かが近くに来ていたのは気づいていた。悪意も害意もなく、ゆっくりと散策するような動きから、てっきり野生動物かと思っていたが、カユラの絶叫を聞いて、心臓が凍りつく。

 思わず転移して駆けつければ、相手は弓を携えた男。己の目の前が真っ赤に染まったのが自覚出来た。

 怯えたカユラの姿に、一瞬で頭が沸騰し、腹の奥で、ずくりと凶暴な何かが蠢いたが、際どいあたりで押さえ込む。


 危なかった。あやうく何の罪もない人間を八つ裂きにするところだった。


 軽く嘆息し、モロトフは小さな影になった猟師を遠目に眺め、彼の残した言葉を脳内で反芻する。


『街に所属しとくことをお勧めすしておくぜ?』

 

 確かに。カユラにも同年代の友達が必要だろう。教育も。

 勉強は自分が教えてやれなくもないが、人間関係のつきあい方や、友人との楽しい一時は作ってやれない。


 いきなり学校にやっても怖がるだけだろうし、今の内から街に慣らした方が良いのかもしれんな。


 思案するモロトフに、不安そうな声が聞こえた。


「おとうさん?」


 自分を見上げる心許ない顔の娘。それに柔らかく微笑み、モロトフはしっかり抱き締める。


「大丈夫だ。あれは街の人間。お前を虐めていた村の人間は、もういないから怖がらなくても良い」


 見るからに粗野な雰囲気を持った大柄な猟師。

 あの男を見て、カユラが何を思い出したのか手に取るようにモロトフには分かる。

 今でも幼女を蝕む恐怖は根深く残っていて、彼は何もしてやれない己の歯痒さを噛み締めた。


 だが慌てることはない。


 少しずつ。少しずつ、カユラの傷が癒えるよう人生を歩こう。

 丁寧に毎日を重ねて、悲惨な記憶を新しい思い出で上書きしていこう。


 そう心に誓うモロトフは、後日、カユラを連れて街へと向かった。


 徒歩で二十分くらいの位置にその街はある。

 山の高台から一望出来る街は、子供の足では思いの外遠かった。

 抱いていくのは簡単だが、モロトフはなるべくカユラを歩かせる。自分で何でもやらせて、いよいよとなるまで手は出さない。

 習うより慣れろだ。繰り返すことは蓄積され、全てカユラの血肉になるのだとモロトフは知っていた。

 

 今も、ふうふう言いながら歩く小さな子供。だが、その瞳の輝きは、未知への好奇心に溢れている。


「おとうさん、街ってどんなとこ?」


「そうだな..... 人が沢山いるな。あとは、物を売るお店があるな」


「お店? 楽しみだねっ」


 ほにゃりと笑うカユラ。


 最近、やんちゃな娘の成長が目覚ましくて嬉しいモロトフ。

 連れてきたばかりの頃は、全てにビクビクし、常にモロトフの顔色を窺っていた娘。

 眠るたびに悪夢にうなされ、慌てて、分けていた部屋へ飛び込み、毎夜、自分のベッドの中で抱き締めてやった娘。

 結果、今ではモロトフの部屋で寛ぎ、眠る娘がいる。

 自室を使うのは、いずれで良い。今はカユラが安心出来るよう自由にさせていた。


 色んな事がカユラを成長させる。あらゆる事に触れさせ、彼女の見聞を拡げてやりたいモロトフである。


 そうこうするうちに、二人は自宅から見ていた街へと辿り着いた。




「ああ、あんたらが、そうか? 話しは聞いているよ。あの山に住みつくなんざ物好きだが、気をつけてな」


 気の良さげな門番の男。


 どうやら前に来た猟師が、街に話を通していたらしい。


 報告の義務があるとか言っていたしな。


 通行料を払おうとするモロトフに首を振り、門番は二人を通す。


「この街近辺に家があるなら通行料はいらないよ。役場に申請して、住民タグを発行してもらうと良い」


 なんともはや。たいして大きくもない田舎街を選んだが、大雑把というか、おおらかというか。まあ、詮索されないのは助かるモロトフだった。


 大通りを真っ直ぐ行くと広場があり、その周辺に役場や各種ギルドがあると簡単に説明してくれる。

 親切な門番に軽く頭を下げ、二人は街の中に入っていった。




「ふわあぁぁっっ」


 口を大きくあけて、建物を見上げるカユラ。

 東西に出入口を持つ街は、そこを繋ぐように大通りがあり、沢山の店が建ち並んでいる。

 街の真ん中のそれが商店街で、南北が居住区。畑や牧場などは街の外壁外側にあった。

 南北にも小さな門があるが、作業に出る住民専用。外部から来た人間は、東西の大門から出入りしなくてはならないのだとか。

 住民タグをもらえば、小さな門も使えるらしい。

 カユラはと言えば、初めてみるアレコレに夢中である。


「ふむ」


 ならば猟師が言っていたとおり、まずは住民申請を行うべきか。

 あちこち動き回る娘の手を取り、モロトフは中央広場への向かっていった。




「おとうさんっ、あれなにっ?」


「ん? 仕立屋だな。着るモノを作る店だ」


「あっちは?」


「鋳物屋だ。ナイフや斧、鍋とかの金物を扱っているぞ」


 きゃあきゃあはしゃぐカユラが心の底から愛しくて仕方無いモロトフ。アレコレと店を覗きつつ、二人は広場に到着する。

 役場は広場北側にあり、南側には教会。その広場を囲むように建つのは各種ギルドの建物。それぞれ三階以上の高さがあり、なかなか壮観だった。

 特に、高くそびえる教会の尖塔がカユラの眼をひいている。


 無邪気な羨望の眼差し。


 まあ、見かけだけは綺麗だからな。中身は腐りきった選民思考の汚濁だが。


 教会に良い思い出のないモロトフは、じっと教会を見上げたままなカユラを抱き上げて、街役場へと入っていった。


 


「ようこそ、グリューネの街へ」


 入ってきた親子を見て、カウンターの女性がにこやかに声をかけてくる。

 ここにも話は伝わっていたのだろう。モロトフの見かけは白にも近い白銀髪だ。角や牙は隠しているものの、すでに猟師に見られている以上、目立たない色目に変えたりすると余計に怪しまれると思い、そのままでやって来た。

 

 あの時、カユラの悲鳴じみた声を聞いて、咄嗟過ぎ、変化に気が回らなかった己を呪うモロトフ。


 ここに来るまでも、かなりの奇異の眼にさらされ、いささか御立腹な彼である。


「新規登録でよろしいでしょうか?」


「ああ」


「お父さんと娘さんですね? 年齢と出身地、御名前をこちらに御願いします」


 出された木札を手に取り、モロトフは魔王になる以前の経歴を書いた。

 彼の書いた国は、もうない。もちろん出身とされる村も。ただ、人がおらぬ訳ではなく、滅びた国の跡地にも、僅かながら人間は住んでいた。どんな人々が住んでいるのかは御察しだ。

 だからそれを受け取ったカウンター女性も、怪訝そうに眼をすがめる。


「御苦労、御察しします」


「ああ、酷い土地だったよ。娘と暮らすにはキツいね」


 薄く笑みをはくモロトフに、然もありなんと頷く女性。


「こちらは田舎ですが裕福な街だと思います。きっと娘さんものびのびと暮らせます」


「ああ、そう思う」


 二人は住民タグを受け取り、それぞれ専用の鎖で首から下げた。

 鈍色の小さなプレートは、洗礼、成人式、婚姻などのイベントごとに更新され色が変わるらしい。結婚後は毎年更新が必要で、それを怠ると登録が抹消されてしまうのだとか。


「生存確認でもありますね。なので年に一回、必ず御越しください」


 なかには年の瀬に前年の更新を済ませ、すぐの年明けに翌年の更新をし、二年ほどの猶予を持たせる横着者もいるとか聞いて、思わず笑うモロトフ。


 何処にでも抜け道を探す者は尽きないのだな。


 クスクス笑う優雅な美丈夫に見惚れ、言葉を失うカウンターの女性。周りも、ぽーっとモロトフを見つめ、視線が外せない。


 こうして、グリューネの街に加わった新参者の話は、瞬く間に街中へ広まったのである。

 

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それからの君達 ~翼あるもの~ 美袋和仁 @minagi8823

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