第3話 親子
「疲れていないか?」
「うんっ」
空を飛びつつ、魔王は幼女を労る。
魔王の血筋とはいえ、限り無く薄まった血は、ほとんど彼女の役にたっていない。幼女はほぼ人間である。
まだ七つにもならない彼女は小さい。たぶん他の同年代よりも、かなり小さいだろう。聞けばもうじき六歳になるというが、とてもその年齢には見えなかった。
魔王は空を飛びながら、幼女が風に当たらぬよう結界を張りつつ地上を見渡している。
「あの辺が良いかもしれない。降りるぞ」
そう言うと彼は、ほどほどな大きさの街の近くにある緩やかな丘に降りていった。
森すそにある丘は見晴らしが良く、近くの街を一望出来る。
「うわぁ、うわあぁぁっ」
初めて出た外界、初めて見る世界、幼女はあらゆる物に興味津々で、一時もじっとしていない。
空を飛行中にも、あれは? これは? と、魔王に尋ねまくっていた。
全く真っ白な少女。
彼女の短い人生で学んだ事は、人から向けられる悪意だけ。
魔王は微かに顔をしかめ、幼女の不遇を呪った。
そして気をとりなおして丘を見渡し、傾斜の緩い辺りに家を建てる。
彼が美しい所作で指を振ると、そこにはガシャガシャと多くの資材が姿を現した。
「わあっ、沢山だ、でも何処から?」
いきなり出現した大量の木材や石材に、幼女は眼を見張る。
「アイテムボックスと言ってな。色々な物を仕舞っておける魔法だ」
ふぁぁぁ、と瞳を煌めかせる幼女。
それを横目に、魔王は出した資材で家を建てる。大きくなくて良い。質素でいて、貧相ではない、こじんまりとした家を。
歌うような魔王の声に合わせて踊る資材。みるみるうちに土台が出来、柱が立ち、壁が巡り、屋根を張る。
「うわぁ.......」
声もなく見つめていた幼女の目の前には、白い壁に赤い屋根の立派な家が建っていた。
柱や窓枠は茶色いオーク。土台周辺からランダムに積み上げられたオレンジ色の煉瓦が良いアクセントになっている。
オークで出来た観音開きの扉を開けると、そこは広い部屋。奧に厨房や浴室などがあり、左には階段が見える。
「ここは居間だ。あちらがキッチンと食堂。二階に私達の部屋と客間がある」
「私の部屋っ?」
「そうだ。ここは我々の家だからな」
ふわりと微笑み、再び魔王は、その美しい指を宙に滑らせる。
すると何もなかった部屋の中に、ソファーセットや敷物が現れた。
他にも飾り棚や絵画、窓にはカーテン、気づけば足下にも赤い玄関マットがある。
「凄い...... これも魔法?」
「先ほどと同じだ。仕舞ってあった物を出しただけ」
こんな沢山の物が仕舞える魔法。
お伽噺のような光景に、幼女はうっとりと眼を細める。
そんな可愛らしい娘を抱き上げて、魔王は二階に向かった。
二階の廊下には四つの扉があり、そのうち一つの扉を開き、魔王は幼女を床に降ろす。
「ここをそなたの部屋にしよう」
南向きで陽当たりの良い部屋。
自分の部屋だと言われて、幼女はパアッと顔を上げた。
先ほどと同じく、魔王は指を踊らせて様々な家具を配置する。
ベッドに衣装棚やチェスト。小さなテーブルセットと、敷物やカーテン。
シンプルだが、過不足なく整え、出来上がった部屋に満足げな顔をする。
「あとの細かい物は、おいおい揃えよう。そなたにも好みがあるだろうしな」
「好み?」
「そうだ。そなたは何が好きなのか。私はまだ知らないからな」
「好き?」
「...............」
困惑げに首を傾げる幼女。
彼女は生まれてからずっと地下牢しか知らない。
拷問のような暴力と、飢えや渇き。理不尽な人々に与えられた、人間の悪意しか知らないのだ。
「.......これからな。そなたは沢山の物を目にする。そこから好きな物を選ぶと良い」
そう言うと、魔王は下に降りて厨房や浴室なども整える。
初めて見る真っ当なアレコレに眼を見張り、幼女はテチテチと魔王の後ろをついて回った。
「清浄は魔法でも出来るが.......」
少し思案して、魔王は幼女を見る。
彼女には真っ当な人間としての養育をするべきだろう。キチンとした知識を与え、人前に出ても彼女が辱しめを受けないように。
甘やかすのは日常的に出来るしな。
慈しむのと育むのは別物。
元人間であった魔王は、その辺もちゃんと心得ていた。
彼は外に出ると、裏に井戸を作りポンプをつける。ガショガショ動かして上がってくる水に、幼女は眼を見開いた。
「これは井戸といってな。こうしてポンプを動かすと水が出るのだ」
「はぁぁ、すごい」
出てくる水にそっと手を伸ばし、ちめたっと顔をひそめる幼女。
それにクスリと小さな笑いをもらし、魔王はバケツに水をためて家に運ぶ。幼女も小さめな桶に水を汲んで、彼の後をついていき、それぞれの運んだ水を厨房の瓶に注いだ。
「これをそなたの仕事にしようか。毎日、この瓶一杯に水を入れておいてくれ」
「しごと? かめ?」
ああ、とばかりに魔王は幼女を抱き上げる。
「仕事とは、毎日やるべきことだ。ここに水がないと、飲むことも料理をすることも出来ないからな。大事な仕事だ」
「りょうり?」
「そう。御飯を食べないと御腹が空くだろう? その御飯を作ることだ」
「御飯っ!」
幼女は喜色満面の顔で身を乗り出した。あんな境遇では大した物は食べられなかっただろうが、それでもやはり食事は楽しみだったのだろう。
「そなたは何の食べ物が好きか」
「御飯...... カビてないパンが好き。あと溶けてない野菜。シャキシャキしてるの、美味しい」
思わず魔王が固まる。
カビて..... は? 溶けてない野菜って。溶けた野菜とは何だ?
ああ、もう、とにかく錄でもない物を与えられていたと言う事は理解した。
「わかった。では、畑を作ろう。そうすれば、毎日新鮮でシャキシャキした野菜が食せるぞ。ああ、鶏を飼うのも良いな。卵も美味しいし」
よく分からないが、美味しいというところに幼女は食いついた。
そういえば、ここに着くまで何も食べていなかったな。
魔王は設えたばかりのテーブルに、有り合わせの食べ物を出す。パンやチーズ、瓶詰めの果物や干し肉などなど。
ふわりと漂う美味しそうな匂い。
幼女はテーブルの端にしがみつき、出された食べ物を凝視する。
その小動物的な姿に苦笑し、魔王は椅子に彼女を座らせた。
「待っておれ」
そう言うと彼はパンを手に取り、何処からか出したナイフで器用にスライスし、さらにチーズと干し肉も薄く削いでパンに挟む。
魔王は同じ物を三つ作ると、すでに火入れしてあったオーブンに並べ、それを焼いている間に瓶詰めの果物を小さな器にスプーンでよそった。
シロップ漬けの果物は、トロリとした汁がてらてらと光っていて、とても綺麗だ。
その様子をじっと見つめている幼女にスプーンを渡し、魔王は果物の器を差し出す。
「スプーンは使えるか? こうだ」
同じようにスプーンを持ち、彼は果物を口に運ぶ。ゆっくりと咀嚼して飲み込むと、ほら? と言いたげな顔で幼女に微笑んだ。
それに頷き、幼女も見よう見まねでスプーンを使う。
ぎこちない動きで手をプルプルさせながら果物を口に運ぶ幼女の姿に、やはりカトラリーすら持たせていなかったのだと、魔王の眼が炯眼にすがめられた。
「ーーーーーーーっ!!」
果物を口にした途端、固まる幼女。
全く微動だにせず、ただただ瞠目したまま動かない幼女の前で、魔王はひらひらと手を振る。
「おい、大丈夫か?」
おかしい。ただの砂糖漬けのはずだか。まさか、酒でも使われていたか?
慌てて瓶を確認する彼の背後から、微かな啜り泣きが聞こえた。
「.......おいしい。おいしいよ、おとうさん」
大きな眼一杯に涙をためて、幼女はヒックヒックと嗚咽をあげる。
そして夢中でスプーンを動かして、必死に食べ始めた。
あっけに取られつつ、魔王は無意識に持っていた瓶を握りしめる。瓶の側面に亀裂が入り、ビキっと甲高い音が室内に響いた。
あいつら....... 生かしておけば良かったな。自動回復の魔法をかけて、死ねない身体を永久凍結させて、回復する四肢を毎日削り続けてやれば良かった。
でなくば、延々炎で炙り続けてやるとか。太い鉄杭に串刺しにして、治る端から焼かれる煉獄で、ずっと苦しめてやるべきだった、くそっ!
泣きながら食べる幼女。
魔王は、オーブンから取り出したパンを半分に切り、皿に載せて幼女へ渡した。
程よく焼けたパンの間で溶けたチーズ。干し肉とよく絡まり、とても美味しそうだ。
鼻をすすりながらパンにかぶりつき、幼女は泣き笑いで、まぐまぐとパンを食べる。そして、ぐぐっと喉を詰まらせた。
慌てて魔王は幼女に水を渡す。
それを受け取り、幼女はチビチビと水を飲み、何とかパンを胃の腑に送り届けた。
泣いていたせいもあるのだろう。鼻が詰まっていて、余計に苦しかったのだ。
人心地つく彼女を困ったような笑みで見つめ、ふと魔王はある事に気づく。
「そなた、名前は何というのだ?」
魔王は気がついて愕然とした。
名前すら尋ねていなかった己の迂闊さに。
きょんと惚けた顔で、幼女は魔王を見上げる。
「おかあさんは、カユラって呼んでました」
「カユラ。良い名前だ。私はモロトフ。これから宜しくな」
モロトフ。モロトフおとうさん?
頭の中で反芻し、カユラは満面の笑みで頷いた。
「はいっ!」
花が綻ぶような無邪気な笑顔。
微笑み合う二人の新たな門出。
魔王は娘と二人で静かな暮らしを望んでいた。
彼の復讐は過去に果たされたからだ。もはや、彼の心の中に厭悪憎悪はない。
数百年前には、世界の半分を滅ぼした魔王。それが必要だった。
たが、それが果たされた今、魔王は何をしようとも思わない。ただ、ここに在るだけ。
まさか、魔王が封印されたダンジョンの傍に村があり、さらにその村に魔王の血族がいるなどと、誰も思わなかっただろう。
全ては偶然。そのはずである。
奇しくも結果的に、開幕、大量虐殺を行ったが、奴等はされて当然の行いをしていた。
何の問題もないはずだった。魔王的には。
しかしそれが、世界を震撼させる大事件に発展するなど、当の魔王にすらも看破出来ない。
世界が手を組み、魔王討伐に躍り出るなど想像もしていなかったのだ。
因果は絡まり、当事者達以外が、勝手に戦々恐々となっている滑稽な状況を、魔王側も勇者側も誰も知らなかった。
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