第2話 再会


「バカ言ってんなよっ! アホぅか、お前っ! アホぅなんだなっ?!」


 少女は叫ぶ幼馴染みを温かい眼差しで見つめる。


 少女の名はカノン。グラシエフ王国随一の魔力量を誇るシスターだった。

  

 それもそのはず。彼女の御先祖は、七英雄に数えられる神父、クリストファーである。

 その昔、悪の限りを尽くした大魔王モロトフを討伐し、封印せしめた稀代の聖職者。

 そんな系譜に誇りを持ち、魔力の高かった彼女は迷うことなく神の花嫁となる道を選んだ。


 抜群の治癒能力に、類稀な美貌。


 風をはらんで膨らむ長い金髪と、雲ひとつない青空が零れて落ちてきたかのように透き通る青い瞳。

 鼻梁の通った綺麗な顔立ちをしているのに、美しいというより可愛らしいと思ってしまうのは、まだあどけなさの残る童顔のせいだろう。


 いずれは大陸中の男性をソワソワさせる美女に育つに違いない。


 歓迎出来かねる近い未来の騒動を脳裏に描き、彼女の幼馴染みであるジーグは、思わず嘆息する。

 もどかしげに頭をガシガシとかきむしる少年。彼もまた、七英雄の一人、剣聖グリューガーの子孫だった。

 燃えるような赤い髪を短く刈り上げ、頭頂部にいくにつれ長めに残している髪型は一種独特で、彼に良く似合っている。

 だがその眼に宿る輝きは、まるで太陽の欠片を嵌め込んだような明るい金色。

 大陸でも珍しいその瞳は、王都の貴婦人らの胸を鷲掴みにしていた。


 彼はカノンを睨み付けると、億劫そうに形の良い唇を開く。


「魔王復活って、お偉いさん方の噂だけだろう? 確かに猟奇的な事件かもしれないけど、それが即魔王に結び付く方がおかしいんじゃないか?」


 そうだ。むしろ魔王を隠れ蓑にした、誰かが背後にいるかもしれない。

 そんな現実的な事を考えるジーグの前で、カノンは両手の指を組み、真剣に彼を見上げる。


「それは調べなくては分かりません。でも、万一魔王であるならば、わたくし達の出番ではないですか?」


「だから、何でそうなるんだよっ!」


 ジーグの元にも王宮から打診は来ていた。

 七英雄の血を引く勇者として、魔王討伐に参加して欲しいと。

 眉唾も甚だしい。まずはしっかりと調べてから、その結果を知らせるのが先だろう。

 大して調べもせず、七英雄の末裔にとりすがる王宮の反応からして、ジーグは胡散臭く思っている。


 はあっと大仰な溜め息をつく幼馴染みを見て、カノンも先日の神殿での話を思い出していた。




「魔王ですか?」


 沈痛の面持ちで頷く各国元老院の面々と大司教様。

 

「此度の事件、その残酷なやり口は過去の魔王と全く同じなのだ」


 そう言うと、彼らはそれぞれの国から持ち寄った魔王関連の書物を差し出す。

 それに書かれた事細かい事情。その文面には今回のように悲惨な虐殺を魔王が好んでやっていたと記されていた。


「古い家ほど、彼の魔王を恐れている。直接でなくとも、その討伐に協力したし、七英雄ですら封印までしか出来なかった魔王の力は強大だ。いずれは復活するだろうと、口伝のように今の子弟らに受け継がれているのでな。その恐怖は想像に容易い」


 カノンにとってはお伽噺のような話だ。それが歴史に記されていても、すでに伝説となるほど昔の話。

 現実味がなく、困惑げに首を傾げる彼女に、各国の元老院代表は各々深い溜め息をつく。


「分かっている。君らには関係のない話なのだと。しかし、我々にも後がないのだ。真実、魔王が復活したのならば、彼の昔に奴を封印せしめた七英雄の力にすがるしかない」


 胡乱げにカノンを見つめる大司教様。


 その乾いた眼差しは、何とも不可思議な色を宿している。敢えて言うのならば、諦めと達観。

 大司教様も、たとえ七英雄の子孫とは言え、子供らに世界の命運を託す事に葛藤があるのだろう。

 そして、本当に魔王を倒せるのかという不安も。

 今代の七英雄家の末裔は全て十代前半から後半だ。むしろ、わたくし達のような若輩者よりも、その親世代に頼むべきだとカノンも思う。


 だがカノンは、半瞬でそれを否定した。


 何故なら、まるで魔王の復活を知っていたかのように、今代の若い世代には卓越した力があった。

 王国最大の魔力を持つと言われるカノンを筆頭に、各国の七英雄の血筋には、あきらかに優れた子供らが生まれているのだ。

 逆説的だがこの事実が、ある意味、魔王の復活に信憑性を持たせてもいる。


 神の配剤。


 そんな益体もない言葉にすがりつきたくなるほど、各国上層部は揺れていた。


 懊悩するカノンを見据え、目の前の老人達は揃って立ち上がり、ざっと頭を下げる。

 思わず狼狽えたカノンが口を開くよりも先に、大司教様が厳かに呟いた。


「我々が守るべき子供らに枷を背負わせるのは間違っておる。しかし、他に方法が無いのだ。既に魔王が復活しているのならば、今からでももはや遅いかもしれない。......不甲斐ない大人らですまぬ」


 そう言うと大司教様は顔をあげ、先ほどとは違う真摯な眼差しでカノンを見つめる。


「大陸中の国々が全面的に支援を約束しておる。だから、そなたに七英雄らを口説いて、魔王討伐に参加させて欲しいのだ」


「は? 口説く? 説得とかでなく?」


 意味が分からないという顔で、こてりと首を傾げる少女。

 そんな彼女に言いづらそうに、大人を代表して大司教様が重い口を開いた。


 話を聞いてみれば、今回の召喚は七英雄家全てに告知されたらしいのだが、神殿に訪れたのはカノン一人。

 新たな魔王討伐の噂がまことしやかに流れているのが原因なのか、どの家からも魔王関連なら御断りの返信が届いたのだとか。


「七英雄の家系なのにですか?」


「うむ。英雄の系譜として、今まで散々尊重してきたのに、いざとなったら及び腰でな」


 その心情はカノンにも分からなくはない。各家は過去に魔王との死闘へ子供を送り出したのだ。それに見合う報酬を得るのは当たり前だった。

 だがそれは、新たに子供らを死地へ送り出す事とイコールではない。当然、拒否権も存在する。

 誰が好き好んで我が子を生け贄に差し出したいものか。


 長い安寧の時間が、その意識を如実にしたのだろう。


 やるのならば協力はするが、こちらに丸投げするなと、カノンですら声を大にして言いたい。


 だがその心情をおして、ここまで彼女が訪れたのは、カノンが神の花嫁だからだ。

 人々を慈しみ、神に尽くし、世界を愛する。それが神の花嫁たる自分の務めだからだ。


 その凛とした美しい姿に魅入られ、生まれ持った美貌や魔力もあいまり、人々はカノンを聖女と崇め奉る。


 世界に名高い七英雄家の聖女。


 そのカノンが口説けば、興味を引かれぬ男はいないだろうと、雁首を並べた老人達は宣う。


 あらぁ? それは、つまり、わたくしに色仕掛けをしろと?


 柔らかだったカノンの笑みに炯眼な光が浮かぶ。そのギラつく瞳に、目の前の老人達は全身を粟立てた。

 彼女は七英雄の末裔。歴代最高と言われた魔力量を誇ったクリストファーに、勝るとも劣らない逸材。

 迂闊な言い回しが彼女の笑みを深めたのだと気づいた大司教は、慌てて言葉を続けた。


「聖職者としてだっ、聖女と呼ばれるそなたから懇願されれば、頑なな七英雄家も揺らぐかもしれぬだろうっ! 今すぐ討伐に向かえなどと無茶は言わぬ、人々のために神の花嫁として魔王の驚異に備えて欲しいのだ!」


 必死の形相な大司教を据えた眼差しで見つめていたカノンは、言われた内容を反芻して、その鋭利な瞳を緩める。

 確かに備えは大切だ。本当に魔王が復活したと判明すれば、それに対峙できるのは七英雄の末裔らしかいない。


 こうして老害どもの口八丁に丸めこまれたカノンは、取り敢えず幼馴染みのジーグを訪ねたのである。




「わたくしを助けてはくださいませんか? 幼い頃には二人で英雄ごっこをした仲ではありませんか。御願いいたします」


 眉根を寄せて上目遣いに見つめる幼馴染みを、ジーグは忌々しげに睨め下ろした。


 それなのに、お前は神の花嫁となる事を選んだんだよなっ!


 英雄ごっこの延長で、結婚ごっこもしていた事を彼女は覚えていないのだろうか。

 あの時、カノンは誓ったのだ。ジーグの花嫁になると。

 他愛ない子供同士の約束だ。ごっこ遊びの延長だ。

 それでもジーグは彼女を守るため、彼女に相応しい男となるため、厳しい鍛練を積んできた。

 一つ年下のカノンが社交界にデビューする頃には、聖剣の再来と言われるまでに努力を重ねた。

 だが十五歳の成人の日、彼女は宣言したのだ。


「わたくし、神の花嫁になりますわ」


 凶悪なほど極上な微笑みで放たれた言葉。青天の霹靂もいいところである。

 憮然と固まるジーグを余所に、元々多くの聖職者を輩出していたカノンの家は、彼女の言葉を歓迎した。

 こうして話はトントン拍子に進み、固まったままのジーグを置き去りにして、カノンは社交界デビューする事もなく神殿に囲い込まれてしまう。


 ジーグが正気に戻った頃は既に遅く、みるみる頭角を現したカノンは、稀代の聖女と崇め奉られ、手の出せない存在になっていた。


 己の煩悶を逆撫でされて、ジーグの顔が険しく歪む。下手に整った顔立ちなだけに、その歪められた顔には凄絶な凄みがあった。

 

「お前が.....っ!」


 思わず激情を口走ろうとしたジーグの言葉を遮り、カノンは仕方無さそうに呟いた。


「貴方が駄目なら他の方々に御願いするしかありませんね。はぁ..... 気が重いわ」


 ぐっと唇を噛み締めて言葉を呑み込み、ジーグは眼を丸くする。


 他って、他の七英雄家か?


 新年舞踏会ぐらいでしか顔を合わせたことはないが、どの家も息子らが嫡男として参加していた。

 王侯貴族の例に漏れず、美形ばかりを伴侶に迎える各家の息子らは、それぞれ種類の違う美貌の貴公子達である。

 しかも今代の末裔達は、誰もが歴代最強と呼ばれる程の逸材らで、溢れんばかりの魅力と才覚を惜しげもなく披露し、貴婦人方の羨望を一身に受けていた。


 あんな奴等の中にカノンを置く?


 ジーグの背筋に凄まじい悪寒が這い上る。


 冗談じゃないっ! 誰もが容易く女を篭絡出来る色男らじゃないかっ!


 カノンが、そんな尻軽とは思わないが、そんな野獣らの中に彼女を置くつもりはない。

 世界に名だたる七英雄家の嫡男達だ。その実力も折り紙つきで、彼女が近くにあれば不埒な憧憬を抱く可能性は否めないからだ。

 カノン自身だって、いつなんどき彼らに情を寄せるか分からない。


 ジーグはギリギリと奥歯を噛み締め、絞り出すように言葉を紡いだ。


「分かった、一緒に行ってやる」


「本当ですかっ?」


「ああ、護衛や従者がいるとはいえ、各国を回るのは危険が伴う。俺のいないところで、お前に何かあったら、泣くに泣けんからな」


「ありがとうございます、ジーグ。貴方の御親切に心からの感謝を」


「ただしっ!」


 甘やかな笑みで優美に微笑むカノンが眩しすぎる。惚れた欲目もあるのだろうが、それを差し引いても無垢な彼女の笑顔は、男の下半身を疼かせる凶器だった。


「俺が付き添うからには絶対に俺の傍を離れるな。何時であろうとだ。いいな?」


「かしこまりましたわ、嬉しいです。昔に戻ったかのようですね♪」


 語尾の音符が凶悪だ。おっとりと首を傾げる彼女が、ジーグには悪魔に見える。

 これからの道行きは、今までの鍛練より厳しいモノになるだろう。何しろ、己の忍耐が試されるのだから。

 

 惚れた弱みだよなぁ.......


 恋愛とは、より多く情を寄せた方が負けなのだ。


 きゃっきゃとはしゃぐ想い人の無邪気な姿に、まあ、それも良いかと賢者モードに努めるジーグである。

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