第三話 穂村1

ビルの合間、暗い路地を男が歩いていく。

黒いフードを目深に被り、日の光を避けるように歩いている。


彼の名前は、穂村樹(ホムライツキ)という。

しかし、彼の名前を口にするものはいない。

正確には、その名前を知る術が無いという方が正しい。

なぜならバニッシュには戸籍が無い。

ネガティブアビリティの保持者は能力の発現が認められると戸籍上から抹消され、扱いは死者と同じになる。

それはこれから死ぬ人間という意味である。

平和維持庁と政府はバニッシュの撲滅を掲げている。

そこに人権は無く、たとえ死んでもどこの誰か分からない。

マスコミや一般の人々が下手な同情や哀れみを持たない為の策でもあった。

その為、死んだバニッシュの名を知るのは、平和維持庁と政府のごく一部の人間だけだった。


穂村は自身の持つ能力から、周囲からはインフェルノと呼ばれている。

直訳すれば地獄の炎。

仰々しい名前だと穂村は思っているが、取り立てて嫌なものでもなかった。


穂村は路地を抜けると通りを横切り、また向いのビルの合間の路地へと入った。

夕方にさしかかり、日も落ち始めているがまだ明るい。

日を避けて陰のある場所から陰のある場所へと移動する。

それは人の目を避ける為でもあり、また自分とは違うもの達の当たり前を見たくないからかもしれない。


いつからだろう?


ふと穂村は考えた。

少年時代、穂村はよく晴れた日の雲の無い青空が好きだった。

日の光を浴び、外で駆け回ってよく遊んだ。

空を見ると穂村は、未来に希望を感じていた。

自分の悩みや嫌な事が消え去るような気がして。

いつも胸いっぱいの希望を抱き、空を見上げていた。

ただ、あの日が来るまでは。


ビルの合間の暗い路地から見上げた空は、西日に照らされていた。

綺麗だとは思っている。

それでも何も無かったあの頃のように胸いっぱいの希望はなく、ただただむなしさを感じるだけだった。


どうしてこうなった?


穂村はことあるごとに、そう自分に聞く。

その問いに新しく答えが出る事は無い。

なぜなら、既に答えがあるからだ。

疑いようも無く、明らかな答えが。


今の世の中には、正義と悪とで分ける事が出来る。

それは分かり易くジャスティスとバニッシュと区別することが出来た。

それぞれ差はあるかのかもしれない。

でも、悪とされる側には必ずバニッシュが含まれる。


バニッシュ。


直訳すれば【追放者】という意味だ。

自分たちは、どこから誰に追放されたのか?

それは歴史に色濃く記されている。

その事は、幼い頃に穂村は母からよく聞かされた。

父の思い出とともに。


真創暦2年に起きた二種間戦争が全ての発端だと。

そこで正義と悪が決まりネガティブアビリティを持つ者はバニッシュと呼ばれるようになった。

能力を使わなければ、未知の病気を受け入れる事になるネガティブアビリティ。

真創歴元年では、その治療を考えるという選択肢もあった。

しかし、それには莫大なコストがかかり、またネガティブアビリティ保持者も端的に簡単な対処として犯罪の道を選ぶ者も少なくなかった。

それまでの歴史の中での長い研究の末に病気に打ち勝った人類は疲弊していた。

新たな病気に対しての治療よりも、根源である能力者の根絶を選んだ。


父はその二種間戦争の中で戦死したと聞いている。

弱者を守る強い人だったと。

しかしそれは母の持つ父のイメージであり、世の中で認識されているそれとは違った。

ジャスティスでありながら、バニッシュ側に付いた戦犯。

穂村も大人になり人づてに聞いた話だった。

どうしてそのような決断をしたのかは、穂村には分からない。

母も詳しくは語らなかった。

もしかしたら夫婦の間でも考えの違いはあり、その部分の不一致を息子である自分には話したくなかったのではないかと穂村は思っている。

そんな母も数年前に亡くなり、今では確認する術は無い。


空を見上げ、そんな昔話を思い出しているうちに、西日は赤い夕日に変わろうとしていた。

フードを被り直し、穂村は再度歩き始めた。

すると穂村の携帯が鳴った。

画面には【プリミラ】と表示されている。

それは穂村にとって数少ない仲間と呼べる人間の一人だった。

携帯の通話アイコンをタップし、穂村は電話に出る。


「どうした?」


いつもと変わりない声で答えた穂村の問いかけに、電話の向こうのプリミラは慌てた様子で答えた。

「まずい、フラルゴが」


それはもう一人の穂村にとっての仲間と呼べる人間の名だった。

【フラルゴ】ラテン語で爆発を意味する。

人体発火と爆発の能力を持ったネガティブアビリティ保持者。

動物や草木が好きで争いを好まない優しい性格の為、能力の使用を拒み続けていた。

その為、フラルゴの身体は無数の治療方法の無い病魔に冒されていた。


「場所は?」


そう聞いた自分の声が震えている事に穂村は気がつき動揺した。

プリミラは答える。


「E地区だ、あいつは先がない、その上フラットを異常なほど憎んでる」


それは穂村も知っていた、子供の頃能力が発現したフラルゴはフラットによる酷い迫害を受けた、可愛がっていたペットが殺され家族も迫害を受けた。

それによって自身の親からも迫害を受け、天涯孤独となった。

そのフラルゴが人生の終わりに復讐に走るなら、それは仕方の無い事としか穂村には思えなかった。


「分かった」


そう答え穂村は携帯を切った。

フラルゴの気持ちは痛いほど分かっていた。

穂村自身、能力の発現が子供の頃に起き、それによって人々は離れていった。

それは【あの日】の出来事。

仲の良い友人と遊んでいた時だった、ジャスティスの能力を保持する少年にからかわれ、友人をかばおうとしたその時に穂村は能力を発現させた。

自分にそんな能力がある事は知らなかった。

ただ必死に、その子供を止めようと手を伸ばした時だった。

穂村の掌から小さな火球が発生しそれはみるみる大きくなった。

穂村自身動揺したが、周りのそれとは比べ物にならなかった、からかってきた少年とその仲間は声をあげ逃げていった。

近くにいた大人も叫び声をあげた。

音が遠くで聞こえ、まるで他所で何かが起きているような錯覚に襲われながら、ただ掌を見つめていた事を記憶している。

傍らで助けた友人が、恐がりもせず穂村を見つめていたことも。


「フラルゴ……」


街を照らす日の光は赤い夕日に変わり、夜の訪れを告げている。

穂村は路地を抜けフードから頭をだすと、日の光を受け周りの目も気にせず走り出した。

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