第31話 蛇足、あるいは、ささやかな
第31話 蛇足、あるいは、ささやかな
『終わったのですね』
立ち止まる。
気が付いた。
立ち止まったからこそ、気が付いてしまったのか。
あるいは気が付いてしまえば歩みを止めざるを得なかったのか。
なるほど……なるほどね?
順序として間違ってはいない。
因果関係があるためにどちらにせよ正しく、だから嘘なんて無かった。
自分の反応は、自分の対応は、何も間違っていなかったのだろう。
人から声をかけられて、無視する理由が何も無い。
理由も無く無視するほうが不自然ではないのか。
たとえ他の誰かに聞こえなかったとしても、
その自分にしか聞こえないという理由を知っていたとしても、
ここまできて聞こえないふりをするほうがどうかしている。
自分の認識が正しいのであれば。
『終わったのです、よね?』
ああ、だから問題は無い。
確かに区切りは付いている。
他の誰に知覚されなくとも、自身の認識を以って存在は確定している。
他の誰にも確かめることはできないけど、そういうことだよね?
そう。
でも、
他に答えようがない。
自分には為すべきことがあった。
いや、違うか。
自分が実行を予定していたこと、つまりは
まあ言い方なんてどうでもいいんだけど。
だが、そういった類のものは、すべて終わってしまったのだ。
故意によるものだが、必然的に終わってしまったのだ。
これ以上ありえないほどに、どうしようもなく。
だから今は他に表現がないほどに何もかもが終わっている。
すべては終わってしまったことでしかない。
ここに到るまでの道筋は記憶に留めた。
この世界は、ひとつの世界の危機を乗り越える手段を得たわけだ。
数え切れないほどの犠牲の上、計り知れないほどの代償の上に。
直接的な原因は自分ではないし、最初から自分に責任なんて無いはずだけど。
一部とはいえ記憶
今この時間は、そうして自分がでっち上げた誤魔化しの上に成立している。
こうして考えることのできる
不確定な過去は、自分から時間的な
もはや現時点のこの世界に改善の余地が残されていないということでもある。
『何はともあれお疲れ様でした』
お疲れ様というのも違うかな。
疲れるという表現を使うには残念ながら色々と足りない。
現に自分が疲れるような事は何も起きなかったわけだし。
ここまで能動的に動いたという意識だって全く無かった。
自分の計画に支障が出るような例外は何ひとつ無かったのだ。
何より一番の理由は自分にそんな機能が備わっていないってことだ。
もちろん、それは問題を片付けるための役には立たないんだけど。
何もかもが
まあ、それが現実ってものだ。分かってる。
分かっているつもりだ。
でもなあ。
流石にこれは自分でもちょっと、ねえ?
『何かやり残したことがあるのですか?』
やり残したこと。
『それとも気にかかっていることが?』
気にかかっていること。
ああ、そうか。
そういうことがあるのかもしれない。
そういうこともあるということかな。
つまりこれは、そういう事なんだろうね。
陽光。
風の音。
靴で踏みしめる乾いた砂。
動くものの無い、穏やかな静寂。
生命の営みが奪われ、失われた地。
事実に違いは無い。
目の前の現実は変わらない。
何も特別な場所ではない。そのはずだ。
普段は気にも留めないような何気ないもの。
だがそれが、今はなぜか気に掛かる。
気になって仕方が無い。
無人の帝都ともまたどこか空気が違う。
そんな
記憶の一部を取り戻したことによる副作用か。
あるいは、すべてを取り戻せない
どちらにせよ、違和感なんてものは現実においてノイズのようなものだ。
自分の知覚やら感覚に付随して発生する実体の無いものに過ぎない。
これから何かを取り戻すたびに似たような事が起きる可能性も否めない。
いや、むしろ時間をかけるほどそういった機会は増えるだろう。
思考活動にまで影響が出るようでは今後の予定にまで支障が出る。
まあ自分自身の行動指針だって、当初とはかけ離れてしまっている。
どういった状況を、何を
今はそんな基準を決める事も難しいけど。
きっと物事は良い方向に進むはず、なんていう考えは楽観に過ぎるだろう。
なにしろ自分は不完全であり、未完成であり、そして何より未熟でもある。
予見も予知も持たず、全知全能でもない自分には、未来なんて不確定と同義だ。
むしろあらゆる事態が想像を絶するほど悪い方向へと進行するのが確定している。
人類による予見だって、
それはもう未来視というより、ただ世界の一側面のようなものに過ぎない。
世界の破滅は回避されたように見える。
だがその実、どれだけ遠くに回避できたかは定かではない。
ほんの少し遠ざかっただけでしかないかもしれないのだ。
世界の破滅は予見で見える
そういうものだと、他でもないこの記憶に刻み込まれている。
『……ええと、これはいったいどういう話なのでしょう?』
うん。
いつものアレね。
いわゆる脱線ってやつですよ。これは。
確かに、話の流れが
今の時点で自分が気にかかること、という意味では同じかな。
気になることが多すぎて、増えすぎて、止まらない。悩ましいね。
集中力が無い(物理)とかそういう問題は悩むだけ時間の無駄なんだけど。
色々と不足しているのは困ったものだが、承知の上だ。
記憶の一部を取り戻しただけで、何か新しい力に目覚めるはずもない。
限りなく無能に近い存在に多少の不具合はつきものだよね。
多少の不具合は仕様の範疇です。ご了承ください。
『全く話が見えませんけれども』
話の方向性なんてあるはずもない。
何なら自分の話なんて最初から最後まで行方不明みたいなものだ。
空気を読めない自分には、人の話の流れが理解できるとも思えないけどね。
そもそも話ってのは語るなり読むなり、頭の中で自分の言葉に再構築するものだし。
間違っても文字は並びそのものを眺めて鑑賞するものではない。
ああ、
誰に何を言われるまでもなく分かっている。
どう軌道修正したって、誰とも相互に理解し合えない。
人は誰にでも知識を得られるように、誰にでも通じる言語を発明した。
逆に言えば、人は言語として用意された以上の知識を得ることはできないわけだ。
つまり言語化できない知識は誰にも伝えられないということでもある。
真なる現実とはおおよそ人類の理解とはかけ離れた異質な概念である。
新たな概念の理解を得るためには、関連している既存の解釈をすべて捨て去る必要があるだろう。根底部分に存在する致命的な
最終的な目標をそこに置くとするなら、コミュニケーションツールとしての言語が全く役に立たないということでもある。
理解してもらおうとする行為そのものがお互いにとって無益でしかない。
だから自分は主観でしか物事を語ることができないし、感覚的な所見とかそういう
ここにいた魔物はもういない。
どう足掻いても手遅れだし、既に終わっていた事だ。
ということは、ここに自分以外の何者かが残っている道理は無い。
そんなことは分かっている。確定路線だった。
でも、自分は未だ例えようのない違和感を感じている。
この違和感を放置するのも気が進まない。
ああ、好奇心をそそられるかどうか、という話ではないんだ。
だから。それなら。やはり。おそらく、そういうことなんだよね。
『そういうこと、とは?』
いや、だから、それ。
ああ、でもね、こういうの。
結局は何と表現すれば良いんだろうね?
どうやって選ばれて、もしくは選んでいるんだろう?
『え?』
ずっと考えていたんだけど。
いくら考えても未だに答えは出ない。
ちょっと記憶が戻った程度では結局、何も分からなかった。
自分には、少なくとも今は、全く分からないということだけしか分からない。
そんな疑問がある。
まあ、これは自分自身の話に繋がるのかな。
もしかすると、この疑問に最初から答えなんて無いのかもしれない。
手掛かりを知るであろう人物だけが葬られている現実から目を背けるならば。
いや、あるいは単にもっと根源的な問題かもしれないけど。
そもそも自分が言語を用いた思考活動そのものを間違えている可能性がある。
思えば、旅の途中で自分は人の話をまともに聞いてはいなかった。
そして、自分の言葉をまともに聞いてた人だって誰もいなかった。
『…………』
いや、それさえも正確な答えではないのかな。
恐らく自分の記憶や知識に関する話と、同じ事なのかもしれない。
今の自分の中には無い、物理的に自分から切り離されているだけでしかない、と。
そう、
不自然なんだよね。
何が自然なのかがそもそも分かっていないけど。
あと誰が何をどうすればそんなものが切り離せるのかって謎も残ったままだし。
ああ、これはつまり。
他の何よりも一番、
◇ ◇
維持する住人がいなくなって倒壊した民家。
人の手が入らなくなってしばらく経っている様子だ。
家屋だけに限らない。土地全体が荒廃しはじめている。
『誰もいませんね』
実際、非力な自分だけでは非常に時間の掛かる作業だ。
正直な話、ここまでして探索するほどの意味を見出せない。
やはり無人の
魔物による破壊の
『ネズミ一匹、虫一匹すら見当たりません』
散策の収穫は無いと割り切るべきだろう。
強いて言うなら現出した魔物の行動傾向は把握できたくらいか。
と言ってもまあ、やはり価値の無い情報だと思うけど。
同種の魔物であっても行動傾向には個体差がある。
つまり、記憶の中の光景とほとんど同じ。
経過した時間以外に大きな違いは無いように見えた。
魔物による破壊活動の進行度を段階的に分けるなら、これは間違いなく末期だろう。
記憶によると、
そして周辺に大きな生物がいなくなると、それまで相手にもしなかった小さな生物も攻撃対象として認識しはじめる。魔物は地面を掘り起こして埋まっている小さな虫まで絶滅させようとする。
ここでは魔物の
大きな魔物は大まかな生物を殺し尽くすと、より生物の多い地域を目指すか、より世界法則の影響が弱い地域へと移動する。その辺の行動基準の分岐点がどの辺にあるのか、という違いこそが魔物の個体性質差になるわけだ。
魔物の歪みが強すぎると、これらの行動基準の枠組みからも外れることがある。
身体構造が長距離移動に向いていなかったり、魔法が移動に使えないなどの場合だ。
枠組みから外れた魔物の末路はひとつ。
自滅しかない。
向けるべき対象を見失った強大な魔法は、魔物そのものを滅ぼしてしまう。
世界にあるべきものを守護する法則が世界を巡るが
大きな魔物が移動なり自滅なりを済ませた後は、小さな魔物が植物を(言葉通りの意味で)根絶やしにする段階と、あらゆる生命活動が消えた後に攻撃対象を失った小さな魔物までもが自滅する収束段階くらいしか残っていない。
きっと魔物は、その存在を許されている場所なんて無いのだろう。
存在の根底が歪んでいるというのは大きな理由にはならない。
因果が逆で、存在するべき場所がないからこそ歪んでしまうのだから。
魔物の本質は魔素……即ち、世界の外側から拒絶されることによってこの世界の中に落ちてきた外世界物質である。
当然ながらこの世界にとっても異物であり、世界法則は異物を拒絶する。
だがこの世界の中で魔素は形質を持たない。形質が無い異物は世界に影響を与えることは無いが、同時に世界がその異物を排除することも出来ない。
つまり魔物は世界法則に拒絶されることで、形質を獲得しているのだ。
形質とは衰え減るものであり、失われるものでしかない。
世界に現出した魔素は、
魔物の存在は世界終末事象の働きに近い。
近くて当たり前だ。
壊して、壊れて、消える。
世界は最初から、終わるように決められている。
魔物は、世界が
まるで
それは規模の違いや根源の違いこそあれ、破滅である事には違いないのだ。
理由と目的。原因と結果。因縁と因果。
それらは魔物にとって等しく、同じことで、分かつことなどできない。
誰にも区別が付けられないのだから、順序が逆転しても決して矛盾しない。
そういうものだと受け止めるしかない。
ここにいた魔物も同じだったというわけだ。
歪みの魔法で人を遠ざけていた行動自体も、知性が
人間らしい意思を持って情報を元に判断する知能は存在しなかった。
結果的に被害を増大させるという、自らの性質に基づいた働きがあっただけだ。
きっと、魔物になってしまった人間なんてどこにもいなかったのだろう。
どこにも行き場の無い人間が、どこからともなく現われた魔物に殺された。
ただそれだけの、よくある話だったのかもしれない。
ここは、そういう場所だ。
自分達が東に向けて旅立った時。
……いや、自分が猫耳さんと一緒に帝都を出発するよりずっと前から、既に。
そんなどうしようもなく終わっている場所に誰かが来るはずがない。
誰かが待っていられるはずがない。誰かが生きているはずがない。
あれだけ歪みが強い魔物が自壊を始めていたということは、そういう事だ。
だからやはり、ここには誰もいない。その結論が変わることは無かった。
ここには
自分の
最初から分かっていたことだった。
『それでも、聞いて下さい■■■■■』
……、…………。
本当は、わざわざ魔物を潰して回る意味なんてないのかもしれない。
放っておいても他の集落へ被害が広がらなかったのかもしれない。
現時点の人類が安全に対抗できる段階なら放置しても良かった。
自分の手で始末したことさえも、恐らくは、大して影響が無い。
そして、
だからこそ。
勘違いをしてはならない。
忘れることのできない自分だからこそ、
意思のある誰かなんて、集落の生き残りなんて、いなかった。
この集落で誰かが生きている時間に、自分が間に合う可能性は無い。
だから、
そうだ。ここには誰も、いなかったのだ。
――そして、自分以外の誰も、ここには来ていないのだ。
『私に……悔いはありませんよ』
――いや。
いや、だから、それは違う。
ありえないんだ。そういう意味の言葉ではない。そういう事実は無かった。
そんなはずがない。
――言葉遣いが耳に残っている。
錯覚だ。完全に何かの間違いだろう。
場所が違うし、時間も違う。状況だって違う。
それ以上に、
気のせいか、勘違い、さもなくば幻覚だ。
知覚したつもりになっただけの、誤認というものだ。
そういった類の、実際には存在しない雑音の塊だ。
――地理や歴史に造詣が深いことが窺える説法が鮮明に思い出せる。
精神とは神経系と脳内物質の活動に過ぎない。
それ以上でも、それ以下でもない。
生命が失われた後にまで何者かの意思が留まる余地は、世界には無い。
残されたものが何を感じるか、何を思うかは自由だろう。
けれど失われたものは取り戻せない。
――やたらと丁寧な
だから、感謝や祈りの言葉は、この世界の現実とは何の関係もない。
だからもう、そこに残るものは無い。
今さら誰かの言葉が聞こえてくるわけがないじゃないか。
それは自分に向けられた言葉では無かったはずだ。
この世界でも出会っているのだから、出会うことができたはずがない。
存在しない人の意思をどう補完したところで、それは自己満足に過ぎない。
この世界に存在しないものに干渉する手段は無い。
断言できる理由は、他でも無い、自分自身にある。
何も残らない終末後の世界だって、数え切れないほど繰り返している。
そこへ何も残すことはできないと、他のどんな存在よりも知っている。
だからこそ自分は終末を防ごうとしているのだ。
だからこそ自分は何かを残そうとしているのだ。
……だから。
立ちはだかる限界。徒労と喪失感。分からない事も無い。
行き着く先は世界への絶望。理解できるとも。
でも、共感なんてできるはずないじゃないか。
だって、あらゆる世界は破滅へと向かって進み続けている。
時間間隔の曖昧な自分にとっては、そこに遅いか早いかの違いすら感じない。
『だから、■■■■■……そんな顔を、しないで下さい』
だから、それは。
今、消えゆく
この世界の
滅びてしまった世界の
選択と決定にやり直しは効かない。
事実は変わらないし意味だって無い。
時間は戻らない。滅びた世界は戻らない。
失われた
ああ、誰かに言われるまでもない。
◇ ◇
『……ありがと…ございま…………』
◇ ◇
そう。
礼儀正しい振るまいの騎士さんは、いなかった。
誰も語っていなかった。誰も彼女を紹介しなかった。
自分が確認した名前の数が人数と合わないのも当然だ。
彼女と、彼女が率いた人達の名前は、旅の途中で一度も出てこなかった。
自分には人の残滓から情報を奪う機能がある。
他でもない自分自身の『記憶』に付随する
人の感情は、脳内物質に依存する肉体の働きに過ぎない。
非物質的な情報の残滓に感情が入り込む余地なんて無い。
これは確実で、絶対だ。間違いが起こる余地も無い。
機能を取り戻して実際に行使したからこそ、この上なく理解している。
ああ、つまり、この場所へ来た情報源は、彼女の残滓のようなものだ。
遺言と似たようなものだけど、もう遺言とは呼べなくなってしまった。
なぜなら、この世界で彼女は違う名前で存在している。
この世界で彼女は別の形で生き延びたのだから。
魔王録 改訂版 ミスティオス @armarty
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