ヒイロ

 その服装の安っぽさと痩せた肉体から薄々あたりは付けていたが、ヒイロは宿無しだった。よく、安女郎に身を落とす前に、私と出会ってくれたものだ。私はヒイロをそのまま自宅に連れ帰り、同棲を始めた。愛欲に溺れる日々だった。最初のうちはただされるがままのマグロだったヒイロも、愛を受ける側としての身体の動かし方、などはだんだんと習得していった。自分から積極的に何かをする、ということはそれでもほとんどなかったが。


 さて、それより問題なのは、ヒイロの能力であった。この世界の人間なのだから、当然ヒイロにも特異能力が一つ備わっていた。ヒイロ自身は、その力を映像投射と呼んでいた。任意な、どのようにでも設定できる幻視像を、手を触れている他者の視界に被せることができる、というものである。私の力とは非常に相性が良かった。ヒイロが私に触れて幻視像を投射し、私はその幻視像を第三者に投射する。これで、ヒイロの能力を私が拡張しているというのに近い効果を得ることができた。また、ヒイロの能力は私のそれよりも一日あたりの使用可能回数が遥かに多かった。私の方は一回でいいのだが、私が一回映像を投射している間に、様々な幻視像を手を変え品を変え、誰かに見せることができた。それが私たち、ベルヴェデールとヒイロの能力であった。


 金持ちを捕まえて、見たい幻を好きなだけ見せてやる。そういう商売を始めた。史局で養ったコネや人脈をそれなりに役には立った。私はもともと金に困ってなどいなかったが、ヒイロはそうではない。暖衣。飽食。これまでの彼女には無縁であったものが、彼女のもとに転がり込んだ。そのいずれに対しても、ヒイロは子供がおもちゃを与えらえたときのような無邪気な反応を示した。どんなに美食を繰り返しても、それに飽くということを知らないかのようだった。


 しかし。私とヒイロが出会ってから、半年ほどの歳月が流れた、ある日のことだった。私たちの上客の一人であった人間、もともと凄腕の動画配信者として知られ、それで財をなした人間だったのだが、そいつが、こんなことを言い出した。


「なあ。お前たちのその能力さ。俺みたいな一握りの金持ちのためだけじゃなくて、もっと多くの人間のために活用するべきだと思わないか?」

「あら。そう言いますと」

「どういうことでしょうか?」

「ネットだよ。お前たちの能力を、ネットに乗せて流すんだ。やれるか?」

「……私は試したことがありませんわ。ちょっと、やってみましょうか」


 で、外部ネットワークには接続していないクローズドな環境で、私の投射能力がネットワーク経由で実行できるかどうか、試してみた。結論を言えば、可能だった。私たちは、その日の夜から、自らのチャンネルを開設し、動画配信を始めた。


『どんな夢でも思いのまま ベルヴェデール&ヒイロのチャンネル』


 最初は五人くらいだったが、やがてそれが五十人になり、五百人になり、五千人になった。五千人。現在世界に生きている人間の一割が、私たちの能力の影響下にいる、ということである。それで止まらなかった。とうとう、私たちのチャンネルの視聴者は、四万五千人を突破した。みな、この世界の絶望的な現実に飽きていた。どんな強力な超人たちでさえ太刀打ちすることのできない、蟲人デミウルゴスと呼ばれる怪物たちに街を少しずつ侵食され、自分たちの世界がゆるやかに滅びていくという現実に、だ。


「ベル。僕、踏み込んではいけないところに踏み込んでしまった気がする。こんなことになるのなら、こんな能力、誰にも教えければよかった。ベルとも、出会うべきじゃなかったのかもしれない」

「……そうかもしれないわ。でも、私は少なくとも。あなたと出会わなかった方がよかった、とだけは決して思わないわ。視て」


 私は彼女の視界に、私の“脳裏”にだけ見える幻視像を投影した。これは私の能力の秘密の部分だ。ヒイロの作る自由自在の幻視とは違って、心から心中に念じた像しか浮かばせることはできないが、それゆえにこそ、その信頼性は高かった。


「ベル……」


 私がヒイロに見せたのは。私とヒイロが、二人とも老い、そして、二人手を繋いだまま、命果てるというその姿だった。決して実現することのないであろう、私だけが視ている、アイの幻だった。


「ヒイロ」


 私はヒイロに口付け、そして豪奢な寝台の末に押し倒す。ひとの世界はまもなく滅びようとしているけれど。私が今望むことは、人類を救済することではなく、ヒイロと愛を交わすことであった。


「ああ……ベル……」

「ヒイロ……いいわ……素敵よ……」


 私たちは高まる。世界の破滅に、軌を合わせるようにして。

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その“アイ”は何を視る きょうじゅ @Fake_Proffesor

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