その“アイ”は何を視る

きょうじゅ

ベルヴェデール

 かつて、特異能力者エスパーという言葉があった。今は、特異能力という言葉はあっても、特異能力者という言葉が使われることはない。何故なら、現在この地球上に生き残っている五万人ほどの人類、つまりはすべての人間が、それぞれに固有の、何らかの特異能力を有しているからだ。


 従って、この私、今年で二十四歳になる高級娼婦ベルヴェデールもまた、一つの特異能力を持っている。といっても、空を飛ぶとか、鋼鉄の船を持ち上げるとか、そういったようなずば抜けた力ではない。そのような能力を持つ者もこの世界にいないわけではないが、私は違う。私の能力は、自分の視た視覚情報を遠くにいる任意の他者に向けて投射することができるという、ただそれだけのものだ。なお、その上無制限に使い続けられるというものではなく、最大でも一日に五回程度が限界である。


 しかし、使い方によっては広い応用範囲を持っているのもまた事実であった。私は昔、この能力を使って小さな探偵事務所の助手をやっていた。その後、スパイ機関に所属したこともあった。というか、今でもそことは繋がりがある。史局、という、ちょっと聞いただけでは諜報を主にしているとは思えない奇妙な名前を持つ組織であった。今の私はフリーである。高級娼婦であると同時にエージェントであり、自身が娼婦として知り得た情報を他人に向けて送ることで、その対価を得ている。おかげで、暮らし向きに不自由はまったくない。史局の直属をやっていた頃より、よほど自由で気楽だった。


 ある日のことだった。私はとある連れ込み宿のロビーで、馴染みの客を待っていた。高級娼婦とはいっても娼婦には違いないので、年がら年中最高級のホテルのスイートばかりを使ってはいられないのである。で、そこでちょっとしたトラブルに巻き込まれた。酔客であった。最初はろくに話など聞いていなかったが、泥酔した酔っ払いの男が私に絡んできて、幾らだ、などと聞くのである。値段を言うのはやぶさかではないが、今は予約が入っている。勘弁して欲しい。そう思っていたら、横から私に話しかけてきた別の人物がいた。短い髪に、Tシャツ一枚に、ハーフパンツ。これからスポーツジムで汗を流そうとしてでもいるかのような、ラフな姿だった。初対面の相手だ。ちなみに私の方は、客の注文で今日はゴシック・ロリータ・ファッションである。化粧もそれに即したもので、長い髪を手間暇かけて巻き上げている。


「予約していた、ヒイロです。お待たせしました。じゃ、部屋へ行きましょう」

「なんでえ、先客がいたのかよ。けっ」


 酔客は離れたが、まだロビーにいるので、私はそのヒイロに手を引かれ、本当にヒイロと二人で、連れ込み宿のけばけばしい内装の部屋に入っていくことになった。料金はヒイロが払った。


「ありがとう。助かりました。私の名はベルヴェデール。ご覧の通り、娼婦をしているのですけど、今は一時間ほど後に予約が入っておりまして」


 一時間も前から来るべきではなかった。いや、この宿のロビー、連れ込み宿の癖に喫茶室になっていて、そこで売っているアップルパイがなかなか美味なもので、つい。


「ロビーに戻ると、あの男がまだいるかもしれませんね。ここでお茶でもしますか?」

「いえ。それよりも。私、娼婦ですから。よろしければ、それらしい形での、それ相応のお礼をさせていただきたいと思いますけれど」

「えっ。いや、その。僕は」

「僕、だなんて。顔に似合ってというか、可愛らしいですのね。お幾つ?」

「……十八です。あの、僕、その、そういう経験、全くないのですが、その」

「まあ、それは素敵。私が男にして差し上げますわ」

「いやその、まずそれが誤解なんですが、ああああああ」


 私がシャツの裾の下から手を入れると、違和感があった。シャツの下は素肌なのだが、感触がおかしい。肌が奇妙に柔らかい。いや、それだけならいい。肌の柔らかい男はいないこともない。だがそれだけではなかった。ヒイロの胸には、私と比べてしまえば全くささやかではあるが、しかし確かなふくらみがあった。それは女の肉体だった。


「……あら。娼婦たる者が、不覚をいたしましたわ。あなた、女性ですのね? ……女性、ですよね? 上だけ手術をしているとか、そういったことではなく」

「……女性です……ただの女性です……男性経験も女性との経験もまったくない、ただの未通娘おぼこです……」

「まあ。まあまあ」


 私は、というと。


 娼婦なのだから男性との経験が豊富なのは当然のこととして。実は、女性との経験も、まあ男性経験に比べればだいぶ少ないが、しかし一般的な基準からすればかなり多めに、あった。女の常連客も一人いるのである。


「もし、よろしければ……女の快楽、というものを、ヒイロさんに、私から教えて差し上げたいのですけれど?」

「お、おおおお申し出は大変ありがたいのですが! 予約が入ってるんですよね!? そろそろ準備した方がいいんじゃありませんか!? 今から何がしか始めてしまったら、時間的にちょっと厳しいことになりますよね!? そうですよね!?」


 ヒイロはなんだか必死だった。とても可愛い。と、そのとき私のパーソナル通信端末がピピピと鳴った。予約の客からのメッセージが入っていた。曰く、『急用が入った キャンセル料は100%で払うから、予約は取り消しにして欲しい』という内容だった。私は歓喜した。


「……という、わけなんですの。そして次の予約は明日の夕方までありませんわ。というわけですから、ヒイロさん。いいえ。ヒイロ。今から、たっぷり、二人で楽しみましょうね」

「え……えええー!?」


 ヒイロは、まあ完全な処女なのだから仕方がないが、ほぼ完全なマグロだった。だが、私はそれが嫌いではないのである。その細くやわらかで少年のような肉体に夢中になった。ふと気が付いたら、夜中の三時だった。ヒイロはこれまでの間に、何度失神していたっけ。もう数えていない。いずれにせよ、その熱く潤んだ目は、私に、もっと、まだ足りない、と求めていたのだった。

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