第190話
巫子――。
この意外な言葉は、和樹たちを戸惑わせた。
月の国の王帝が祭祀者を兼ねているなど、初耳だから。
だが、隣国では王族の姫君が『
これは、民も知る風習であった。
月の国でも同様の伝統があったものの、それは近衛の将にさえも秘匿されていたことになる。
「あなたたち『近衛府の四将』は、王帝を『
「では……それが時を経て『近衛府の四将』に変化したのですか?」
「その通りです、一戸くん」
舟曳先生は、教え子を現世の名で読んだ。
『邪』が取り払われた今は、『本名を呼ぶ禁忌』も消え失せたらしい。
「時と共に、古き儀式は縮小しました。人が望む信仰が台頭し、古き信仰が人の地から遠ざかるのは自然の摂理です。歴代の『
濃い赤闇の空に掛かる黄褐色の雲を見上げ、手のひらをかざした。
落ちて来る何かを受け止めようとする如く。
和樹たちは、方丈日那女が語った神話を思い起こす。
『
移住者たちは月の蓬莱一族と交わり、月の国を統治する王族となった。
一戸が持つ『
「『
先生は微笑んだ。
「水脈を呼びます。実は、『
「それも……『ワームホール』のように?」
和樹の父が素早く問い、先生は頷いた。
「そうです。私たちが居た霊界や現世とも……無数の支流が次元を超えて連なっているのです。ただし魂が迷わぬように、所々で
先生は数歩前に進み――一戸を視た。
一戸は察し、持っていた太刀を差し出す。
先生は抜刀し、白銀を放つ刃を額に押し当てた。
四人は自然と己の役割を察し、先生を囲んで四方に立つ。
裕樹は下がって白炎に寄り添い、その足元でミゾレとチロはお座りをする。
蛍のように待っていた御魂たちは、一同の頭上に集まり、一つの輝きと成る。
「……古の
巫子は抜刀し、刃を天に掲げた。
「我は、
祈祷は闇を凪ぐかの如く、朗々と響き渡る。
天を差す刃の輝きは増し、鍛えられた鋼から清水が染み出す。
硬く反り返った鋼が波打ち、澄んだ水の刃へと変化した。
同じくして、先生の姿も変わる。
紫色の烏帽子。
腰まで届く漆黒の垂髪。
純白の御引直衣。
純白の上袴と紫の下袴。
飛沫を散らす輝く刃。
剣舞と称するには、余りに優美な所作である。
地を擦る長き袴は、一陣の埃も立てず。
翻る袖が、あえかな風を
四人の
揃いの黒烏帽子に白き直衣、白き袴を見に付け、高貴なる
見守る者と
東を守る
西を守る
南を守る
北を守る
かの音は
やがて――音は止まった。
気付けば、『
その足元を湧き水が濡らした。
水は焦げた砂を濡らしては消え、濡らしては消え――
そして、一気に溢れた。
景色は一変し、まるで湖面に立っているように澄む水に囲まれている。
湖面は小さな小さな波を立て……それも直ぐに消えた。
水の下から現れた大地は、茶色で――力強い土の香りが溢れる。
「この土は……!」
月城は膝を付き、土を両手ですくう。
湿った土は重く、懐かしい匂いに満ちている。
だが、数秒で元の枯れた土に戻ってしまった。
落胆する彼の背に、先生の手が触れる。
「水脈を呼び戻しました。けれど、傷付いた地が癒されるのには、まだ時間が必要です。地の隅々までを濡らし、湧き出で、川となり、湖となります。花の国の民が移り住む頃には、大地に緑が芽吹いているでしょう」
「……はい……!」
月城は重ねた両手を握り締めた。
和樹も輿を降ろし、彼に寄り添う。
「ここにいる皆に託そう。そして、僕たちは……現世で生きよう」
「……ああ……」
月城は、手の甲で目元を拭う。
すると、声が聞こえた。
(君たちの代わりに、この大地に花を咲かせるよ)
(君たちから聞いた、美しい都を造って見せる!)
(それが、僕たちの恩返しだ)
(我らの国を救ってくれて。ありがとう!)
四つの蛍火は、煌々と輝く。
人の姿は無くとも、彼らが誰なのかは分かる。
在りし日に、花の国を訪れた時に、蹴鞠をした衛門府の少年たちの御魂だ。
この地の復興のために、故郷を離れて付いて来てくれたのだ。
「……ありがとな……」
上野は右手を掲げた。
その手に、少年たちの御魂が寄り添う。
事の始まりは、自分の兄の只ならぬ憎悪だ――
上野の内なる心は、痛みに歪む。
けれど、誰しもが恨みの欠片すら持っていない。
浄化された御魂たちは、ただ創世の力となる喜びに輝いている。
「さあ……この地にお還りなさい。新たな世界が待っています」
先生は、たゆたう御魂たちに命じた。
(お別れだ……我が息子よ)
(お達者で……!)
(みんな……頑張れよ!)
(みなさまの世の榮えを祈ります)
(……元気でにゃん!)
御魂たちの声は重なり――そして八方に散って行く。
愛する家族に、友に別れを告げて。
そして、ある御魂は地に、ある御魂は
彼らは、荒れた地をゆっくり癒してくれるだろう。
そして精霊となり、いつか肉体を得て地に立つだろう。
(いつか……蘇った此の地を視てください……)
声を追って天を見上げると、黄褐色の雲が――晴れた。
その奥から現れたのは、無数の星が輝く紺碧の夜空だった。
◇ ◇ ◇
追記です。
今話の主人公たちの合奏シーンについての、簡単な解説を記しました。
リンクを貼って置きます。
https://kakuyomu.jp/works/16817139555149987426/episodes/16818093082243146239
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