第190話

 巫子――。


 この意外な言葉は、和樹たちを戸惑わせた。

 月の国の王帝が祭祀者を兼ねているなど、初耳だから。

 

 だが、隣国では王族の姫君が『白弦しろつるの儀』に於いて『巫女』の役割を任っていた。

 これは、民も知る風習であった。

 月の国でも同様の伝統があったものの、それは近衛の将にさえも秘匿されていたことになる。


「あなたたち『近衛府の四将』は、王帝を『月黄泉王君つくよみのきみ』と呼ぶことが許されています。古き時代には、それは月の祭祀の長の尊称でした。その助祭祀を務めたのが、『四方よも祈祷人きしびと』と呼ばれる東西南北を守る祈祷師です」


「では……それが時を経て『近衛府の四将』に変化したのですか?」


「その通りです、一戸くん」

 舟曳先生は、教え子を現世の名で読んだ。

 『邪』が取り払われた今は、『本名を呼ぶ禁忌』も消え失せたらしい。


「時と共に、古き儀式は縮小しました。人が望む信仰が台頭し、古き信仰が人の地から遠ざかるのは自然の摂理です。歴代の『月黄泉王君つくよみのきみ』が祀った神もまた、彼方へと消えました。それは『星窟ほしのいわ』で崇められていた神とも伝えられています。けれど、私ですらその神の御名を知りません……」

 

 濃い赤闇の空に掛かる黄褐色の雲を見上げ、手のひらをかざした。

 落ちて来る何かを受け止めようとする如く。


 和樹たちは、方丈日那女が語った神話を思い起こす。

星窟ほしのいわ』の瀛洲えいしゅう一族が、『月窟つきのいわ』に移住したと云う創世神話だ。

 移住者たちは月の蓬莱一族と交わり、月の国を統治する王族となった。

 一戸が持つ『宿曜すくようの太刀』は、瀛洲えいしゅうおさが所持していた宝刀である――。



「『月黄泉王君つくよみのきみ』と『祈祷人きしびと』の使命は、月の『黄泉の泉』の守護です。今は枯れ果てた地ですが……希望はあります」

 先生は微笑んだ。


「水脈を呼びます。実は、『花窟はなのいわ』の黄泉の水脈と、この地の水脈は繋がっているのですよ」


「それも……『ワームホール』のように?」

 和樹の父が素早く問い、先生は頷いた。


「そうです。私たちが居た霊界や現世とも……無数の支流が次元を超えて連なっているのです。ただし魂が迷わぬように、所々でき止められていますが」


 

 先生は数歩前に進み――一戸を視た。

 一戸は察し、持っていた太刀を差し出す。

 先生は抜刀し、白銀を放つ刃を額に押し当てた。


 四人は自然と己の役割を察し、先生を囲んで四方に立つ。

 裕樹は下がって白炎に寄り添い、その足元でミゾレとチロはお座りをする。

 蛍のように待っていた御魂たちは、一同の頭上に集まり、一つの輝きと成る。

 



「……古の王御神おうみかみよ……」


 巫子は抜刀し、刃を天に掲げた。


「我は、月黄泉王君つくよみのきみなる、王御神おうみかみ巫子いちこである。に集いしは、邪霊を振り払った祈祷人きしびとである。この者たちのに懸け、の水脈をこの地にもたらし申せ。成れば、人はの地をたてまつろう。風霊をいざない、火霊を空に祀ろう。我らの祈り、心正しき御魂の願いを受け入れよ……!」



 祈祷は闇を凪ぐかの如く、朗々と響き渡る。

 天を差す刃の輝きは増し、鍛えられた鋼から清水が染み出す。


 硬く反り返った鋼が波打ち、澄んだ水の刃へと変化した。

 同じくして、先生の姿も変わる。


 紫色の烏帽子。

 腰まで届く漆黒の垂髪。

 純白の御引直衣。

 純白の上袴と紫の下袴。

 飛沫を散らす輝く刃。


 剣舞と称するには、余りに優美な所作である。

 地を擦る長き袴は、一陣の埃も立てず。

 翻る袖が、あえかな風をくゆらすのみ。


 四人の祈祷人きしびとたちは、いつしか地に座していた。

 揃いの黒烏帽子に白き直衣、白き袴を見に付け、高貴なる巫子いちこを囲む。

 見守る者とししたちの耳に、雅な楽の根が届く。


 東を守る雨月うげつ殿が奏でるは、龍笛。

 西を守る如月きさらぎ殿が奏でるは、琵琶。

 南を守る水葉月みずはづき殿が奏でるは、筝。

 北を守る神名月かみなづき殿が奏でるは、笙。


 かの音はまことに美しく麗しく、赤き闇さえも感涙にむせぶ如し。




 やがて――音は止まった。

 気付けば、『水流みるの太刀』は地に垂直に立ちすくんでいる。


 その足元を湧き水が濡らした。

 水は焦げた砂を濡らしては消え、濡らしては消え――


 そして、一気に溢れた。

 景色は一変し、まるで湖面に立っているように澄む水に囲まれている。

 湖面は小さな小さな波を立て……それも直ぐに消えた。

 

 水の下から現れた大地は、茶色で――力強い土の香りが溢れる。

 

「この土は……!」

 月城は膝を付き、土を両手ですくう。

 湿った土は重く、懐かしい匂いに満ちている。

 だが、数秒で元の枯れた土に戻ってしまった。

 落胆する彼の背に、先生の手が触れる。


「水脈を呼び戻しました。けれど、傷付いた地が癒されるのには、まだ時間が必要です。地の隅々までを濡らし、湧き出で、川となり、湖となります。花の国の民が移り住む頃には、大地に緑が芽吹いているでしょう」


「……はい……!」

 月城は重ねた両手を握り締めた。

 和樹も輿を降ろし、彼に寄り添う。


「ここにいる皆に託そう。そして、僕たちは……現世で生きよう」

「……ああ……」


 月城は、手の甲で目元を拭う。

 すると、声が聞こえた。


(君たちの代わりに、この大地に花を咲かせるよ)

(君たちから聞いた、美しい都を造って見せる!)

(それが、僕たちの恩返しだ)

(我らの国を救ってくれて。ありがとう!)


 四つの蛍火は、煌々と輝く。

 人の姿は無くとも、彼らが誰なのかは分かる。

 在りし日に、花の国を訪れた時に、蹴鞠をした衛門府の少年たちの御魂だ。

 この地の復興のために、故郷を離れて付いて来てくれたのだ。


「……ありがとな……」

 上野は右手を掲げた。

 その手に、少年たちの御魂が寄り添う。

 

 事の始まりは、自分の兄の只ならぬ憎悪だ――

 上野の内なる心は、痛みに歪む。

 けれど、誰しもが恨みの欠片すら持っていない。

 浄化された御魂たちは、ただ創世の力となる喜びに輝いている。



「さあ……この地にお還りなさい。新たな世界が待っています」

 先生は、たゆたう御魂たちに命じた。


(お別れだ……我が息子よ)

(お達者で……!) 

(みんな……頑張れよ!)

(みなさまの世の榮えを祈ります)

(……元気でにゃん!)


 御魂たちの声は重なり――そして八方に散って行く。

 愛する家族に、友に別れを告げて。

 そして、ある御魂は地に、ある御魂はくうに融け込んで行く。


 彼らは、荒れた地をゆっくり癒してくれるだろう。

 そして精霊となり、いつか肉体を得て地に立つだろう。


 

(いつか……蘇った此の地を視てください……)


 羽月うづきさまの御声が風となって髪を揺らした。

 声を追って天を見上げると、黄褐色の雲が――晴れた。

 その奥から現れたのは、無数の星が輝く紺碧の夜空だった。




 ◇ ◇ ◇


 追記です。

 今話の主人公たちの合奏シーンについての、簡単な解説を記しました。

 リンクを貼って置きます。

https://kakuyomu.jp/works/16817139555149987426/episodes/16818093082243146239

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