第191話 

 

 その奥から現れたのは、無数の星が輝く紺碧の夜空だった。


「……空に星が見える……」

 和樹は呟き、右手を差し伸べた。

 かつての此の国の夜空には、このような星々は見えなかった。

 

 濃い紫色の空に、雲がたなびく夜空。

 それが押し退けられたように晴れ、まるで自分たちが住む地球の夜空のように星が瞬いている。


「二柱の陰神メガミが昇天し、ミチが開けたのかも知れませんね」

 先生も感慨深げに夜空を見つめる。

「天の彼方に去ったと伝えられる『星窟ほしのいわ』も、この輝きの何処かに在るのでしょうか……」


 その言葉は、全員の心に沁み渡った。

 その日が来たら、星の国とも手を取り合いたい。

 花と月――二つの国で起きた不幸は、繰り返してはならない。



「未来のために……この太刀は、この水脈の中で眠らせましょう」


 先生は、太刀を引き抜いた。

 地より水が噴き出し、一同の周りを円状に囲む。


「さて……神無代かみむしろ裕樹さん。あなたは、これからどうします?」

「はい?」


 唐突に訊ねられた裕樹は両手を組み、我が子を見降ろした。

 ようやく、任務が終わったこと気が付いたのだ。

 それは、息子たちとの別れの時でも在った。

 これまでのように、現世と霊界を往来することは許されない。


 裕樹は少し考え――上司である先生に、遠慮がちに言った。


「部長……あの、職を辞しても良いと仰られますか?」

「ええ。転生の準備をするも良し、霊界で休養するも良し。あなたは自由ですよ」


「……あの……それでしたら」

 裕樹は、寄り添う動物たちを眺める。

「霊界で牧場を作って、この白馬と犬の世話をしたいと思います。他の動物霊たちも集まって来るでしょう。動物相手に、ゆったり過ごしたいと思います」


「そうですね……分かりますね?」

 先生は、一戸と上野に相槌を打つ。

「白炎とチロちゃんは、君たちと現世に戻ることは勧めません。彼らが望むなら、来世で君たちと出会うことも出来るでしょう。しばし霊界で過ごし、次の転生に備えるのが良いと思いますよ」


「はい……お願いします」

 一戸と上野は頭を下げ、それぞれの相棒を撫でる。


「白炎、今まで寄り添ってくれてありがとう。しばらくは、ゆっくり休むんだ。僕がおじいちゃんになったら、また会おう……」


「チロ。お前も白炎と牧場を駆け回って来い。友達もいっぱい作って……気が向いたら、オレに会いに来てくれ」



「にゃん……」

 切ない別れの言葉を聞き――ミゾレは前足で地を叩く。

 母と兄と姉二匹は、この地の中に還った。

 少しでも長く過ごそうと、四匹は付いて来たが――それも束の間の時間だった。

 現世に流されたミゾレは、此の地に残ることは出来ない。



「ミゾレ……帰ろう」

 和樹は、ミゾレを優しく抱き上げる。

「君のお母さんたちも、君の幸せを願っている。幸せになろう……」

「……うにゃん……」


 ミゾレは、和樹に頬を擦り付ける。

 家族との永遠の別れ――

 その哀しみの大きさは、人と変わらない。



「……お別れだね」

 裕樹は、息子たちに近寄った。

 全員と順番に抱擁し合い、そしてゆっくり離れる。

 白炎とチロも主に鼻を擦り付け、最後の別れをすする。


「白炎をお願いします」

「僕たちを助けていただいた御恩は忘れません!」

「どうか……お元気で」

「……母さんのことは心配しないで……」


 和樹は、左腕で目を擦った。

 本当は、もっと長く父と触れ合いたい。

 けれど、それは出来ない。

 みんなが、家族と此処で別れるのだから。


 

「……遠慮するなよ」

 月城が呟き、和樹の腕からミゾレを取り上げた。

 そして軽くタックルし、和樹を前に押し出す。

 和樹はよろけて数歩進み、父とぶつかった。


「おーい、流れ星を探そうぜ。見つけた奴には、チョコ玉をプレゼントしてやる」

 上野がクルリと半回転して和樹に背を向け、一戸と月城も倣った。

 和樹は仲間たちに深く感謝し、父を見つめ――今生の別れを告げる。



「……母さんを頼む」

「……はい……父さん」


 和樹は――父の肩に顔を埋めた。

 父と再会し、闘いに身を投じ、辛い過去世を知り、それを乗り越えて生き延びた。

 そして――現世には、自分たちを待つ人々がいる。

 その人たちと共に……生きる。

 それが父の願いだから。




「あ~、神無代かみむしろ裕樹くん。お願いがあるのですが」

 先生の遠慮がちな声に誘われ、父子は、ササッと離れる。


「えーとですね。私も失職予定なので、あなたの牧場で雇って貰えますか?」

「は、はいっ。部長さえ宜しければ」


 裕樹は礼儀正しく一礼する。

 和樹は目を拭い、父と先生に深く会釈した。

 他の三人も振り向いて、同じ姿勢を取る。



「では……私が、みなさんを送り出します。その後に太刀を水脈に封じ、私たちも霊界に還ります」

「お願いします……先生」

「現世での学校生活は忘れません。 最後に『先生』と呼んでくれて、ありがとう」


 ――その人は微笑み、太刀の切っ先を地に当てた。

 

 瞬間に、身体が水に包まれた。

 花の香りに包まれ、身体が下に吸い込まれる。

 

 顔を上げると、見送る人たちと相棒たちが――遠ざかる。


 これが最後の、『黄泉渡り』だ。


 産まれ故郷には、二度と帰ることは無い。

 愛した人々とも、二度と会うことは無い。


 けれど、願いを受け継いでくれる人々がいる。

 すべてを、託そう。


 


 ――見守っていることを忘れないで。



 

 流れを伝い、声が耳に触れた。


 頷き、顔を上げた。


 無数の、五色の光が見えた。


 それは、御魂たちの祈りだった。


 

 


 ――さようなら。


 

 懐かしい人々に、最後の別れを告げた。














 



 どれぐらい、流れの中を沈み続けただろうか。



 和樹は、頭上に広がる群青の闇を伺う。

 澄んだ流れの遥か上に、宵闇が広がっている。



「……神無代かみむしろ……」


 少し上に居た月城が傍らに降りて来て――抱いていたミゾレを差し出した。

 和樹は何となく受け取り――すぐに、怪訝な顔をする。

 月城は、降りたその場から動かないからだ。


「……何で、停まってるんだ? 降りよう」


「……ここでお別れだ」


 月城は微笑んだ。

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