第192話

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「何を言ってるんだ?」


 和樹は降下を止め、彼を見上げた。


「一緒に帰るんだよな?」


 月城が何を言っているのか分からない。

 闘いは終わった。


 故郷は、いずれ蘇る。

 そして、現世では待ってくれている人々が居る。


 月城には、家族は居ない。

 けれど、月城はかけがえの無い友だ。

 先のことは、どうにでもなる。

  

「さあ……帰ろう」


 和樹は、月城を連れて行こうと水を蹴った。

 だが、上に行けない。

 1ミリも上昇できない。

 それどころか、降下が止まらない。

 彼との距離が、少しずつ開いて行く。


 ミゾレも不安を覚えたのか、前足で水を掻く。

 そんなミゾレをしっかり抱き締め抱き、彼を呼び戻そうと声を張る。

「月城、帰ろう! 住む家が無くなっていたら、僕の家に来いよ! 心配するな!」



「グズグズしてるんじゃねえ、バカ!」

 上野も異変を察した。

 腕を差し出し、あらん限りの叫びを上げる。

「降りて来い! 帰るぞ!」


 

 しかし、月城は停止して動かない。

 上野は、斜め下を浮遊している一戸を見た。

 彼は寒さに震えるように、両腕を組んでいる。

 滅多に見ない彼の仕草に、只ならぬ事態を察知する。


「……お前、何か知ってるな!」

 上野は怒鳴った。

 故郷は荒廃しているが、未来への道筋は見えた。

 四人全員とミゾレも生き残り、現世での暮らしが待っている。

 普通の高校生としての日々が、そこにある筈だ――


 だが、一戸の声音はそんな未来を打ち消す。


「学校祭の……あの時に、王后さまが俺に話してくれた。月城の身体は、もう限界に近いと……黄泉の川で長く過ごし過ぎたと……。『魔窟』で致命傷を受けると黄泉の川に引き込まれて……いずれは魂も……」


「はあ!? 何だ、そのクソみたいな話は!」

 

 上野は和樹を睨み――和樹も困惑する。

 そかな重大な話は、全く聞いていない。


 顔を引き攣らせて月城を見上げ、あの闘いを振り返る。

 羽月うづきさまと対峙した時、月城と上野は切り刻まれた。

 二人とも、息は在った。

 在った筈だ。

 生き延びたからこそ、ここに居る――


 だが、月城の身体は自分たちとは違う。

 昔の、水葉月みずはづきの身体のままだ。

 あの闘いで致命傷を受けていたとしたら――


(……僕だって、心臓を抉られたじゃないか。でも、生きてる……魂が無事だから、こうして帰途に付いてる……)


 和樹は仰向けの体勢を取り、月城に呼びかけた。

「ここで諦めるな! 行けるところまで降りよう!」


 この流れの底に、現世がある筈だ。

 少しでも現世に近いところまで、彼を連れて行きたい。

 

 上野も、必死に説得する。

「月城、ふざけんな! お前には、嫁さん候補が居るだろうが! 彼女をどーするんだよ!」

 上野は必死に上昇しようと足掻くが、黄泉の潮流には逆らえない。

 排水溝に吸い込まれるように、緩やかに降下するだけだ。

 

 月城は――仲間たちを見降ろし、達観したように微笑むだけだ。

 和樹も叫ぶ。


「どうして、僕たちに付いて来たんだ! 月に居れば、まだ……生きるチャンスが……」

「……同じことなんだ」


 月城は、左の二の腕を強く握った。

 小さな気泡を発した左腕は弾けるように消滅し、シャツの七分丈の袖がふわりと揺れた。


「月に残ったとしても、身体の崩壊も魂の崩壊も避けられない。だから、俺はこの流れの中で眠りに就く。いずれは、魂も流れに溶け込むだろう。でも……そんな顔するなよ。だって……とても楽しかったから」


 月城の姿は、昇天するかのように遠ざかる。


「学校で勉強して、ジンギスカンを食べて、学校祭でお点前も披露して、動物園にも行った。父にも、村の子どもたちにも会えた。こんな素敵な思い出と共に眠りに就ける……悔いなんか無い」


「たわけた事を云うんじゃねえ! 嫁さんを置いて行くバカが居るかよ!」

「……行こう」


 追いすがる上野の叫びを、一戸は食い止めた。

「月城の願いを受け入れよう……彼は、俺たちが現世に帰ることを望んでいる……」


「……殴るぞ、クソが!」

 上野は顔を大きく歪ませ、一戸を見据えた。

「あいつを独りに出来るかよ……仲間じゃねえか……」


「許してくれ……!」

 一戸は、口元を覆って……泣いていた。

「……俺が生涯を終えた時は、この川を渡るだろう。でも霊界には行かずに、月城を探す。何としても、探す。だから……今は現世に帰ろう……」



「……泣くなよ!」

 上野は唇を噛み締めた。

「ジジイになってから、人探しをしろってか? 老体に鞭うって……くだらねえことしなきゃならんのか……」


「上野……」

 和樹は、舌打ちする彼を見た。

 彼は――目を拭いつつ失笑し、月城に向かって右手を掲げた。

「いいか……ジジイ三人組が来るまで、そこで待ってやがれ!」


「……月城……また会おう! きっと会えるよ!」

 和樹の両眼からも、涙が溢れる。


 再会できる確証など無い。

 けれど一度は死別した彼と、時空を超えて巡り会えたのだ。

 二度目もある。

 きっと。


 月城は、左腕を押さえたまま――微笑み続けている。

 三人と一匹は、少しずつ離れて行く彼に手を振り、名を呼び続けた。


 

 やがて――流れの気泡の中に、濃き碧い闇の中に、彼を見失った。

 

 絶望に近い状況だが、彼らは希望は失くさない。

 いつも、そうだったから。

 

 転生し、倒され――

 それを繰り返し、けれど乗り越えて来た。


 だから、今回も乗り越えられる。

 家族の元に帰り、与えられた時間を精いっぱい生きる。


 いつか、希望を探す旅に出るために。

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