第193話

 深羅の流れは留まらず、和樹たちはゆるりと降下を続ける。

 

 時間の感覚は、いつしかついえた。


 何度も伝った流れなのに、かつてなく深く思える。

 水脈が閉じられ、流れが変わったのかも知れない。

 

 あるいは、現世に到着するのが少しでも遅れるように――

 そう願っているせいかも知れない。


 時が過ぎ――その時に、あの支流に戻れる保証など無い。

 漂うものは、流れのままに移動しているだろう。


 だが、上野は呟いた。

「鮭はアラスカまで行って、生まれ故郷の北海道の川に戻って来るんだぜ。転生慣れしたオレらを、見くびられちゃ困るって!」


「……そうだね」

 和樹は精いっぱいの笑みを返し、ミゾレを抱き締めた。

 だが、少しに下を潜行している一戸は、無言だった。

 揺れる髪の毛で、表情を伺うことは出来ない。

 

 月城の身体のことを黙秘していたことを悔いており、顔を合わすことが出来ないのだろうか。

 だが、月城を現世に連れ帰ることは、どのみち不可能に近かった。


 唯一の方策は、月城を闘いに参加させないことだっただろう。

 だが、月城がそれを受け入れる筈は無かった。

 月城に取っても、今回が最初で最後のチャンスであり――何より、月城抜きでは勝てなかった。


 そして、方丈翁も水影みかげ御前も、この機会に賭けて準備を整えていた。

 この結末は、あるべき形だった――。

 多くの御魂が救われ、故郷も元の姿を取り戻す。

 何も間違ってはいない。


 そう信じようとしても、心はそれを許さない。

 友の犠牲を受け入れることなど、不可能だ。

 ゆえに――残りの人生の大半を、黄泉の川への帰還を願いながら過ごすだろう。



 四人で過ごした日々を思い浮かべていると――下層の流れの異変に気付く。

 気泡が多くなり、渦巻いているように見える。


 一戸も気付き、直ぐに指示を出した。

「みんな、手を繋ごう。現世への出口だと思うが、今までと違う」

「先輩ん家の池に出られるんだよな? オレたちの身体は、あそこだぞ」


 上野は呟きつつ、一戸に手を差し出す。

 和樹は両手でミゾレを抱いていたので、一戸は和樹のベルトをしっかり掴んだ。


 「おい、顔をそっちに向けろ。唇が引っ付いたら気持ち悪いからな!」

 上野は開いていた手を、和樹の首に回した。



 登って来る気泡が激しくなる。

 衣類や髪が逆立つが、降下は止まらない。

 そして、浮いてきた巨大な気泡に一同は包まれた。









 浮遊感は一瞬で消え、吹き付ける風に息が止まる。

 上から押さえつけられ、砂埃が舞う地面に貼り付けられる。


「動けるか!?」

 一戸の怒声が響き、うつ伏せの和樹は必死に膝を曲げ、腰を上げる。

 ミゾレは両腕の中におり、隙間を作らないと危険だ。


「くそっ、いきなり台風かよ!?」

 上野も必死に這いずり、和樹に近寄った。

「地面しか見えねえぞ! 先輩の家はどうなったんだ!?」


 その言葉は、和樹を不安に陥れる。

 自分たちは、方丈邸の池から黄泉の川を通り、『魔窟』に移動した。

 その逆のルートを通った筈だが、邸も庭の木々も見えない。

 這いつくばっている地面と闇。

 荒ぶ風音に囲まれ、それ以外の気配を感じない。


「離れるな!」

 ほふく前進して来た一戸が、二人を励ます。

「先生は、俺たちを送り出してくれたんだ! 落ち着こう!」

 


 すると――どこからか、声が聞こえた。

 

「みなさん、そこに居ますか!?」

「返事をしてくれっ!」


「兄貴たちだ!」

 上野が即座に反応した。

 全員が安堵し、少しばかり緊張が解ける。


 間違いなく、家族の元に帰って来た。

 ともかく、声の方角に向かうしかない。

 

 三人は耳を澄ませ、懐かしい声の方向を目指す。

 向かい風に煽られつつ、土埃に遮られつつ――



 やがて、視界が開けた。

 風は少し収まり、立てる余裕が出来た。

 少し先で、笙慶さんと真央ーまひろさんが門にしがみ付いている。

 

 

「……無事か!?」

 二人は、腕で顔を覆うように近付いて来た。

 だが――すぐに顔を曇らせる。


「……月城くんは……」


 笙慶さんの掠れた声を――和樹たちは受け止められない。

 喉が閉じて、言葉が出て来ない。

 悔しさが、また込み上げる。


 背後の風は未だ収まらず、周辺の家々の灯りも見えない。

 やはり、方丈邸には異界の風が吹き込んでいる。

 笙慶さんと真央まひろさんが、長居するのは危険だ。


「ここを離れましょう!」

 一戸は駆け出そうとした――


 

 


 

(……レオくんが……中に居る!)


 ミゾレの叫びが、全員の動きを止めた。

 和樹のシャツの中から這い出し、渦巻く風を見据える。


「あの黒猫か!」

 上野は呆然と、黒ずんだ闇に目を凝らす。

 地域猫らしいが、方丈家の飼い猫同然に邸内を徘徊していた。


 (……居るよ……渦の中に、レオくんが居る!)


 ミゾレは、和樹の腕から飛び降りた。

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