第23話

 銀色の月が地平から昇り始めた頃。

 『宝蓮宮ほうれんのみや』を囲む壁の一角に在る『北東の門』が開いた。

 『北東』は『死鬼』の住まいが在るとされる方角で、『宝蓮宮ほうれんのみや』で死者が出た場合に、『北東の門』から密かに運び出される習わしだった。


 門から出て来たのは、松明を手にした舎人とねりが二名。

 武装した随身ずいじんが四名。

 その後に二台の牛車が続き、その後ろを随身ずいじん四名が追う。

 牛車の屋形やかたの屋根からは、黒い布が垂れ下がっている。

 死者を載せているだ。


 先を行く牛車の屋形やかたに乘るのは、羽月うづき殿の亡骸と付き添いの僧が二名。

 後の牛車の屋形やかたには、雨月うげつ殿、如月きさらぎ殿、神名月かみなづき殿、水葉月みずはづき殿が乘っている。

 出入口を覆うすだれ越しに細い月光が差し込み、四人の姿を薄く照らす。


 四人とも墨染の狩衣をまとい、それぞれが、細長い桐箱に収められた『第八十八紀 近衛府の四将』の遺髪を両手に掲げ持っている。

 中でも、如月きさらぎ殿の憔悴は大きい。

 赤子を抱くように桐箱を胸に引き寄せ、魂が失せたかの如く、壁にもたれている。

 乱れた髪を直そうともせず、時折ぶつぶつと呟いている。


 他の三人は無言だ。

 故国は、敵地と化した。

 雨月うげつ殿と如月きさらぎ殿の一族は、その中心の帝都に住んでいる。

 一族を人質に迫られたら、為す術が無い。

 だが、その最悪の事態に至っていないと言うことは、未だ月帝つきみかどの権威が保たれている証だろう。

 だが宰相は、月帝つきみかどに偽りを報じていると聞く。

『近衛府の武官どもが謀反を起こし、四将は御妹君の許に逃亡いたしました』と。



「我らが、最後の『近衛府の四将』なのだろう……」

 暗い屋形やかたの中に、雨月うげつ殿が呟きがこだまし、神名月かみなづき殿は過去に思いを馳せる。

 『武徳殿ぶとくでん』での修練は厳しかったが、素晴らしい仲間たちと巡り会えた。

 夏の水遊びも冬の雪遊びも楽しかった。

 

 『近衛府の四将』に選ばれ、『月守つくもりの名』を与えられ、帝都でのお披露目の日の喜びは忘れられない。

 それが今は『謀反人むほんにん』として、故国から追われる立場である。

 『武徳殿ぶとくでん』も宰相配下の衛士たちに包囲され『近衛童子このえどうじ』たちも、導師たちも軟禁状態だと言う。

 子供たちが、どんな怖い思いをしているかを考えると、胸が塞がる。

 

 亜夜月あやづき殿は真っ先に宰相の手に掛かり、それを知った妹の水影月みかげづき殿も姿を消した。

 羽月うづき殿は、かつての友であった宰相を止めるべく進言し、捕らえられ、今回の惨事に至ったのである。

 


水葉月みずはづき……お前は、受戒じゅかいしろ」

 雨月うげつ殿は、苦し気な声音で進言した。

「僧の体を、刃で傷付けることは出来ない。まして、お前は平民の出だ。辺境の寺院に軟禁される程度で済むだろう。如月きさらぎは『雨月うげつに脅されていた』と言えば良い」


「投降するつもりか…?」

 水葉月みずはづき殿は身を乗り出す。

 いま投降すれば、宰相の実弟の如月きさらぎ殿は無罪となろうが……

「お前はどうなる? 神名月かみなづきも無事では済まない!」


 帝都士族の雨月うげつ殿と、領主の長子の神名月かみなづき殿は、受戒じゅかいしても赦されないことは容易に想像できる。

 『不滅の契り』を交わした友を犠牲にし、命乞いなど言語同断だ。

 最期まで運命を共に、との彼の決意を見取った雨月うげつ殿は、説得に転じる。

 

「自分は、火名月ひなづき様たちの行動を否定しない。羽月うげつ様を助ける目的が在ったのだから……。だが、我々が闘う理由は、もう無い。我ら四人で勝てる相手じゃない。生き恥と晒していると笑われようが、生き延びられる者は、生き延びるべきだ……」


 月明かりに照らされた雨月うげつ殿の顔には、苦悩が滲んでいる。

 先輩たちの最期を思えば、倒せずとも宰相に一矢を報いたい。

 ひとりで敵陣に斬り込み、斬り刻まれても本望だ。

 だが身を寄せている『花窟はなのいわ』の国を、災禍に巻き込みたくは無い。

 弔いが終わったら、投降するのが最善だろう……。

 

 雨月うげつ殿は、神名月かみなづき殿と目を合わせた。

 死罪は覚悟している。

 しかし……その苦痛が短いようにと願うのは、士族にあるまじき考えだろうか。

 月下の二人の瞳は、静かに語り合う。



 岸辺に到着した時には、荼毘だびのための薪が組み上がっていた。

 羽月うづき殿の亡骸と、火名月ひなづき殿たち四人の遺髪を入れた桐箱は一つの棺に納められる。

 組まれた薪の上に棺が置かれ、その上に薪の束が積まれる。

 僧侶たちの読経の中、舎人とねりが薪に火を放った。

 炎は木が爆ぜる音とに静かに広がり、闇を照らし出す。

 

 雨月うげつ殿は数珠を手に、立ち昇る炎に、手を合わせて祈る。

 神名月かみなづき殿も水葉月みずはづき殿も、在りし日の四将たちの姿を思い浮かべ、彼らの魂の平安を願う。

 

 だが如月きさらぎ殿だけは、数珠を手にぶら下げて、呆然と立ち尽くしている。

 実兄の残虐さに打ちのめされ、削り取られた心は病んだままだ。

 雨月うげつ殿は彼に近付き、肩を抱く。

 友として、これだけしか出来ない無力さが辛く……哀しい。

 

 炎と煙は天高く、頭上の月を目指して昇り行く。

 あの月は、『月窟つきのいわ』の影だ。

 影の月の麓に、なつかしい故郷がある……。

 

 



  

 

 『第八十七紀 近衛府の四将』の叙任式は、祝福の溜息の中で終わった。

 四将は退場した後、殿舎で貴族たちの饗宴が行われた。

 『近衛童子このえどうじ』たちには、その場で餅入りの汁粉が振る舞われたのみだ。

 それでも子供たちは興奮冷めやらず、四将が神話の英雄みたいだったと語り合う。


 そして日輪が高く昇った頃、帝都大路で祭が始まった。

 士族の乘った牛車に続き、騎乗した四将が帝国民にその姿を見せる。

 騎乗の邪魔にならぬように神鞍月かぐらづき殿と羽月うづき殿はきょを外し、亜夜月あやづき殿と水影月みかげづき殿は、汗衫かざみきょ、馬の鞍に横座りする。


 その後には、貴族たちの牛車や輿こしが続く。

 月帝つきみかどの妹姫である王后おうきさきさまと、その姫君も輿こしに乗って参列し、民を喜ばせた。

 実は、王后おうきさきさまも『近衛童子このえどうじ』として修練に励んだ時期があり、今日の叙任式を楽しみになさっていたのである。


 その輿こしの周囲を固めたのは女性武官たちだったが、アトルシオたちの組は、輿こしの先頭を歩く名誉を託された。

 アラーシュとセオ、両一族への配慮だろう。

 しかし幼い彼らには、かなりの難業である。

 輿こしを担ぐ男性武官たちとの距離を付かず縮めず、四人が横並びに、ゆっくり進まねばならない。

 

 セオは武官ばりに背を伸ばして歩き、リーオは緊張してように、ぎこちなく進む。

 アラーシュは、先を進む兄の姿ばかり追っている。

 アトルシオは、大路の左右を埋め尽くす民の多さに驚くばかりだったが……


「お母さま、屋根に雀たちが留まっています」

 輿こしの内から、可愛らしい声が聞こえた。

 人々の歓声にも関わらず、その声は鈴のようにはっきりと耳に響いたのだ。

 振り返ると……少しめくれた薄絹の隙間から、少女の顔が見えた。

 

 前髪は眉の下で、後ろ髪は肩より下で綺麗に切り揃えられていらっしゃる。

 その髪は艶やかに黒く、吹き抜けた風が、髪を開いた扇のようになびかせた。

 濃さの違う桜色のきぬを重ね着ており、いちばん上にお召しの小袿こうちぎは白い。

 その様は、桜の花を思わせる可憐さだ。


 そして少女も、アトルシオの視線に気付く。

 真っ白い頬が、紅を差したように赤く染まる。

 恥ずかしそうに袖で顔を隠され、めくれた薄絹を閉じてしまう。

 


 輿こしを担ぐ武官がアトルシオをにらみ、アトルシオはサッと顔を前に戻す。

 高貴な女人にょにんは、家族以外に顔を晒すことは無い。

 少女は、ついつい雀に気を取られ、薄絹をめくってしまったのだろう……。


「……アトルシオ?」

 歩調の落ちた彼を心配したセオが声掛けした。

「うん……何でも無いよ」

 アトルシオは答え、セオに歩調を合わせて歩く。

 輿こしの上の愛らしい少女は、月帝つきみかどの姪の姫君だ。


 手の届かぬ高貴な姫君を見たのは幸運だったのか、それとも……

 アトルシオは、小さな心臓の不思議な痛みに戸惑い、空を見た。

 明るい紫色の空からは、惜しみない光が降り注いでいた。


 

 月の国も花の国も、永遠に栄え続けるだろう。

 誰もがそれを確信し。栄光に酔いしれた――。




 ◆◆◆


関連エピソード『悪霊まみれの彼女』の『外伝4 明けは去り、宵は来る』ページのリンクを貼って置きます。


https://kakuyomu.jp/works/16816452221358206980/episodes/16816927859609765837

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