第6章 妖しの月・水鏡の花

第24話

 虚無の暗闇を、巨大な月が見降ろしている。

 音も無く、風も無く、しかし閉じたたけ高い『山門』の傍らには白馬が佇んでいる。

 その脇には四つの人影があった。


「ごめん。また、オレだ……いってぇ……」

 如月きさらぎの荒い吐息と声が、空気を震わせる。

 地に座った雨月うげつは、仰向けに倒れた友の肩を抱き、声を潤ませた。

「お前のせいじゃない……」

 焼け焦げたマントで胸を覆い、紺色の小袖の襟元を整えてやる。


「久し振りに……美名月みなづきと合流できたのにな……」

 如月きさらぎは、瞳を僅かに横に寄せた、

 藤色袴の女学生姿の美名月みなづきを抱き上げた神名月かみなづきが立っている。

 美名月みなづきの振袖の胸元は真紅に染まり、結い上げていた髪は崩れていた。


「また、次がある……」

 神名月かみなづきも、ガクリと膝を降とした。

 彼の髪も乱れ、太腿から出血している。


「……次こそ……妖月あやづきに……」

 如月きさらぎは、霞みゆく月を見上げる。

 黒いマントで覆われた彼の胸から下は……無い。

 『現世うつしよ』にある肉体の心臓も止まっているだろう。

 雨月うげつは覚悟を決め、彼の冷たい頬を撫でる。


「ああ……また会おう……」

「……そう…だ……な……ま…た……」


 かすれた声を残し、如月きさらぎの首から力が抜けた。

 開かれたままの瞳は濡れている。

 その両目を手で閉じた雨月は、愛馬の白炎びゃくえんを見た。

「……白炎びゃくえん、しばしのお別れだ……帰れ…」


 すると、白炎びゃくえんの姿は透けていき、最後に白い炎を発して消えた。

 雨月うげつは安堵したように微笑み、そして神名月かみなづきと視線を交わす。

 二人は、懐から小刀を出した。

 敵の気配が近付いて来る。

 『時映ときうつしの術』を掛けられたら、『偽りの幸福な世界』に魂を封印される。

 それだけは避けねばならない。

 

「……会える日を楽しみにしてる」

「……水葉月みずはづきとも会えると良いな…」

 

 神名月かみなづきは、遠い昔に別れた友を思い浮かべ、小刀を首筋に当てた。

 それより早く雨月うげつの体が大きく揺れ、如月きさらぎに覆い被さった。

 

「……至らぬ我らをお許しください……姫さま……」

 呟き、刃を突き立てた。

 目の前が赤く染まり、すぐに済んだ静謐せいひつが訪れる。

 彼らの魂は『黄泉の川』へと導かれ、揺蕩たゆたい、『霊界』の岸辺へと流れ行く。

 

 





「……と言う夢を見た」

 和樹は仕草を交え、一戸と上野に説明する。

 今は昼休み。

 三人は、体育館横の水飲み場に集まった。

 今の時間は人気ひとけも無く、気兼ねなく夢語りをする。


「自分の唸り声で目が覚めてさ……でも、ただの夢じゃないよ」

「全面同意する」

 一戸は頷き、上野はイチゴ牛乳パックを飲み干ほして「ハァ~」と口を開ける。

「オレとミゾレがやられて、お前ら二人が後追いしてくれたんだ。泣けるね~」


「『妖月あやづき』と『水葉月みずはづき』…か」

 一戸は考え込む。

「どうやら、俺たちは『妖月あやづき』なる敵に連敗中らしい。『時映ときうつし』の使い手のようだが」

「前に、僕が引っ掛かった術だよね」

 和樹は右腕を押さえる。

 あの時は『雨月うげつ』に腕を刺されて、正気を取り戻したのだが……


「問題は、『水葉月みずはづき』くんのスカウトに成功するかってとこか?」

 上野は軽口を叩いたが、和樹は心持ち笑顔で応える。

「うん……僕は、月城くんが『水葉月みずはづき』だと思う」

「お前、月城が好きだねえ」

「でも上野だって、彼の家の前で、ササッと彼の似顔絵も描いてくれたよね?」

「……ありゃ、成り行きのサービスだにょ」


 上野は首をすくめ、話題をらした。

「でもよ、夢の中の如月きさらぎは、今の如月きさらぎと服装が違ってたんだろ?」

「うん。美名月みなづきは、卒業式で見る着物に袴。如月きさらぎは、茶色のマントに着物。調べたんだけど、明治時代の服装みたいだ。名探偵ホームズのマントと同じデザイン」


「……ほぼ50年周期で、転生しているってことか」

 一戸は冷静に分析する。

「霊界で体験した俺たちの過去世は、ほぼ50年前だった。その50年前なら、明治時代で合ってる」

「お前らは、今と同じ服装だったんだろ? オレと美名月みなづきが違ってたのは……」

「『魔窟まくつ』で『悪霊』にやられたら、リセットされるのかも。次に転生して『魔窟まくつ』に潜った時は、咄嗟とっさに思い付いた衣装になるとか? 僕と一戸も、違った年代の衣装だよ。僕は平安時代風だし、一戸は戦国時代以降っぽい」

「昔は、情報過多の現代とは違う。着慣れた服装が、『魔窟まくつ』での戦闘服になっても不自然じゃない」


「ま、オレ様は集中的に狙われてるってことね。アイドルは辛いにょね」

 上野は唇をツンと尖らせ、満更でも無さそうな顔をする。

「それにしても、50年ごとに殺られては復活って忙しいね~」

「そうだな……」


 そこまで言って一戸は、目を見開いた。

「……おい……お前たちの後ろ……」

「え?」

 和樹と上野は何気に振り向き、身を硬直させる。

 3メートルほど後ろの木の前に、黒ずくめの女性が立っていた。

 烏帽子を被り、黒い小袖に黒い長袴、透ける生地の白水干を纏い、抜き身の太刀を手に、こちらを睨んでいる。


「……妖月あやづき!」

 上野が叫び、二人は身構えた。

 けれど、女性の姿はすぐに消える。

 三人は、しばし無言で女性が立っていた場所を注視する。


「……あれが……『妖月あやづき』か…?」

 一戸は喉をゴクリと鳴らし、上野に聞いた。

「……オレ、そう言ったっけ……」

「たった今、言ったよ……」

 和樹は恐る恐る木に近付き、幹に触れてみる。

 見た目の異常は無いが……悪いモノを惹き付けるような、嫌な『気』を感じる。

「校舎に戻ろう……ヤバイ感じがする」

「……ああ……」


 二人は同意し、早足で校舎に向かう。

 和樹にしても、こうもはっきり『悪霊』が視えたのは初めてだ。

 彼女の黒い瞳は、殺意に満ちていた。

 自分たちは、『魔窟まくつ』で何度も彼女に殺され、その都度に転生しているらしい。

 その強敵が、姿を見せた理由は不明だが……次に闘う相手は、彼女らしい。

 三人は、50年前の……自分たちの葬儀の風景を思い出してしまう。

 あのような光景が、50年ごとにに繰り返されているのだろうか……。

 

 

 『死の予感』に背を押されながら教室に向かっていると、三階の廊下で久住さんと出くわした。

「ナシロくん! 蓬莱さんが大変なの!」

「何だって!?」

「お祖母さまが、勤務中に倒れたって連絡が入ったらしいの! 信夫しのぶ先生と一緒に、勤務先の病院に向かったところ!」


 三人の顔は強張り、背筋に鳥肌が立つ。

 これは偶然ではなく、敵の警告だと本能的に悟る。

 お前たちが『魔窟まくつ』に来なければ、周辺の誰かに害を及ぼす、との警告だと。


「二人とも、今日は部活があるか?」

「僕は明日……今日は無い」

 和樹は答えたが、上野と一戸は顔を合わせる。

「オレはサボってもいいけど……」

 上野は一戸を気遣い、声を落とす。

 部活を休んだことが祖父に知られたら。長時間の説教は避けられないだろう。


「じゃあ、上野は僕の家に来て。二人で相談する。後で、一戸には連絡するから」

「すまん……そう言えば、月城は……今日は一時間目から来てたな」

 

「彼、もう帰ったみたい。バッグを持って玄関を出て行くのを見た」

 久住さんの答えに、和樹は落胆する。

 自分たちが『妖月あやづき』に負け続けているとすれば、月城が『水葉月みずはづき』であるなら、彼の助けが欲しい。

 夢の中の自分は、彼と会いたがっていた。

 彼が来てくれたら、運命が転換するかも知れないのだ……。





 それから数時間後。

 夕刻に、制服姿の月城は駅前通りを歩いていた。

 手には、コンビニで買ったちらし寿司とお茶のペットボトルが入っている。

 暗さを増した夕暮れの空を眺め、雲間から差す光に目を細めた。

 この世界の空も美しい。

 夜明けも、夕暮れも、降る雪も雨も、すべてが眩しい。

 この美しさに触れられたことは、何よりの思い出だ。

 その思い出も、遠くない将来に消えるだろう……。

 

 

 そう考えつつ、マンションの前に辿り着き……立ちすくんだ。

 自動ドアの横に、一戸が立っている。

 引き返そうにも、目が合ってしまった。

 そして、彼は近付いて来る。

 逃げたかったが、足が地面に絡め取られたように動かない……。

 

「……長い時間、制服で街をうろつかない方が良い。目立つからな」

 一戸は、月城を上から下まで一瞥いちべつし、軽く笑った。

「会えて良かった。先週の差し入れは、受け取ってくれたか?」


「……何の用だ?」

 月城はぶっきらぼうに答え、そっぽを向く。

 しかし、一戸はピタリと彼の横に陣取る。

「昼休みに、体育館横の水飲み場で女性の亡霊を見た。時代劇で見た『しずか御前』のような白拍子しらびょうし風の衣装を着ていた。上野は、彼女を『妖月あやづき』と呼んだ……」


 だが、月城の表情に変化は無い。

 知っていたかのように、眉ひとつ動かさずに聞き流す。


「……驚かないな……お前、『水葉月みずはづき』なんだろう…?」

 すると、月城は唇を一直線に結んで歩を進める。


「待て、水葉月みずはづき

「そんな言葉は知らないし、人違いだ」


 月城つきしろはマンションに逃げ込もうとしたが、コンビニの袋を掴まれる。

神名月かみなづきは、お前を待ってるぞ」


 その名を聞き、月城つきしろはピタリと動きを止めた。

 あの声が、否応なしに浮き上がる。


『……そんな顔をするなよ……こっちまで哀しくなるじゃないか……』



 

 

 だが一戸は、月城つきしろの強い拒絶に根負けしたように、袋から手を離す。

「月城……正直、俺たちは『水葉月みずはづき』に関して詳しく思い出した訳じゃない。だが、今夜は『妖月あやづき』と闘うことになる。今まで負け続けてきた相手だ。勝てないかも知れない……」


「ゲームの話か? 勝手にやってろ」


「……折り合いを付けるのは難しいな」


 一戸は微笑んだが、その目元には暗い陰影がある。

「俺はいい。大嫌いな祖父とおさらば出来るからな。何度、あのクソジジイの脳天に竹刀を叩きつけたいと思ったか……こんなこと、誰にも言ったことが無い……」


 すると月城は、初めて一戸の目をまともに見つめた。

 しかし一戸は、月城に背を向ける。

「他の仲間を死なせたくない。俺は、敵と刺し違えても構わない。偽りでも、幸福に暮らせる世界なら悪くない……その世界では、祖父も俺に優しい言葉を掛けてくれるだろう……ずっと聞きたかった言葉を……」


 一戸は言い残し、月城から離れて行く。

 月城は、余りにも寂し気な後ろ姿を見送る。

 彼の複雑すぎる情念と覚悟は、月城の心を推す。

 いつかの、方丈日那女の言葉と共に。

 

 

『この期に及んでグダグダ言うな、バカ! あんたたちが揃わないと、こっちも哀しいし落ち着かねーし! 戦隊ヒーローは、メンバー全員そろってナンボだろ!』

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