第25話

「本当に大丈夫なのね?」

 夕食の席で、沙々子は和樹に念を押した。

 終業後に買い物をして帰宅したら、和樹が「今夜も『魔窟まくつ』に行く」と言い出したのだ。

 母としては、不安は隠せない。


「大丈夫だよ。たいした敵じゃ無さそうだ。岸松おじさんにも言わなくて良いよ」

 和樹は、すき焼きの豚肉を頬張りながら、あっけらかんと笑う。

「蓬莱さんは、回復の術を使えるし。心配しないで。それに、『魔窟まくつ』の中心に居る父さんに、早く会いたい。父さんと会えたら、母さんとも話させてあげたいな」


「……そうね……」

 しかし、沙々子は気乗りしない様子だ。

 亡き夫と話せるかも知れないのに、どうして喜ばないのだろう?

 和樹が疑問をぶつけると、沙々子は箸を置いてから言った。

「……父さんと話はしたい。でも、それが正しいとは思えない。『生』と『死』の間には、明確な境界がある。和樹たちは、それを越えることが許された特別な存在だと解る。でも母さんは……そうじゃないから……」


「……そうかな……」

 和樹はボソリと答え、味噌汁のホウレン草を口に入れた。

 母は、笙慶さんとの再婚を考えているのだ、と察する。

 母が父を今も愛していることを、微塵も疑ってはいない。

 だが母の今後を思うと、再婚は妥当だ。

 まして今夜は、宿敵『妖月あやづき』と何度目かの対戦をする。

 闘わなければ、『妖月あやづき』は、母に危害を加えるかも知れない。

 今夜は、母を護る闘いでもあるのだ。


 

 夕食後に片付けを手伝い「入浴まで勉強してる」と言い、和樹は自室に籠もった。

 机に教科書とノートを置き、しかしそれには目もくれず、上野たちとメッセージを交換する。

 蓬莱さんは、点滴を終えたお祖母さんと帰宅したそうだ。

 今夜の闘いには参加してくれるが、黒衣の白拍子しらびょうしに心当たりは無いとのことだ。


 下校後に上野とも話し合ったが、魚肉ソーセージとコーヒーを飲み食いしただけに終わった。

 

『闇落ち白拍子しらびょうしは、真っ先にオレを狙うっぽいな。ナシロの夢に、戦闘シーンが出て来てたら良かったのにな~』

 上野はそう残念がったが、全くその通りだ。

 肝心の戦闘シーンを見ていれば、対抗策が練れただろう。


『でも、魔窟まくつに行けば、少しは過去戦を思い出せるかも知れねーし』

 そう言い残して上野は帰宅したが、彼だって平静では無い筈だ。

 自分たちは、大人になる前に敵に殺られて死ぬ。

 そして、転生する。

 しかし、残された家族たちの悲しむ様子を見た今は、敵に殺され続けていることが悔しくて堪らない。

 短い生涯を繰り返していることが、虚しく苦しい。


「……月城くん……」

 和樹は、スマホの画像を開く。

 方丈先輩に撮って貰った四人の写真を見た。

 月城は三人と少し離れて、顔を背けて立っている。

 彼は、学校では頑なな態度を崩さない。

 

 けれど間違いなく、彼は『水葉月みずはづき』と言う名の仲間だと確信する。

 過去世で、彼だけが一緒に転生していない理由も、彼の能力も不明だ。

 彼の真意も測りかねるが、出来ることなら一緒に闘って欲しい。

 勝手な言い分だが、死にたくはない。

 夢で見たように、自決に追い込まれたくはない。


 方丈先輩でも、方丈老人でも、父の上司の茶道部顧問でもいい。

 助けて欲しい、と和樹は切実に願う。





 しかし時は無常に過ぎ、午後9時。

 アプリメッセージで打ち合わせした時間通りに、和樹たちは『魔窟まくつ』で合流した。

 気のせいか、上空の月がいつもより一回り大きく見える。

 

「みんな、揃ってるな……」

 一戸は見回し、白炎の顔を撫でる。

 和樹はチロの頭を撫でつつも、月城が居ないことに落胆する。

 考えてみれば、上野・一戸・ミゾレは、自分か蓬莱さんの『三途の川』への誘導で『魔窟まくつ』に降りているのだ。

 各自が、『三途の川』のエキス入り醤油さしの助けを借りている。

 それを持っていない月城が、ここに来れる筈が無いのだ。

 月城に、強引にでも醤油さしを渡さなかった詰めの甘さを悔やむ。


 それはともかく……上野や一戸は、どんな思いで家族と夕食を共にしたのだろう。

 口には出さないが、穏やかではない筈だ。

 今生こんじょうでの家族との最後の食事になるかも知れないのだから。

 しかし和樹は敢えてそれを話題にせず、フランチェスカに夢の話を聞かせた。


「はぁ? つまり、その『妖月あやづき』って女に、あたしが殺されたぁ?」

「うん……百年ぐらい前の話だけど」


 驚く彼女に、申し訳なさそうに頭を下げる。

「彼女の使う『時映ときうつしの術』がヤバイらしい。だから、僕と一戸は自決してる」


「その術は……複数の相手に同時に掛けられるのでしょうか」

 蓬莱さんが疑問を述べると、一戸は答えた。

「『時映ときうつしの術』の使い手次第だと思います。この間は、神名月かみなづきだけが掛かったけれど、『妖月あやづき』は強敵です。神名月かみなづきの夢の中で、俺と彼が同時に自決したところから、複数同時に掛けられると考えた方が間違いないでしょう」


「ごめんなさい。私に、過去世の記憶があれば……」

 蓬莱さんはうつむく。

 蓬莱の尼姫の『影』たる彼女だが、全てを知り得る立場では無い。

 生身の体を持つと、異界の力を発揮するのには限界があるのだろう。


「おっと……いつもの山門の御登場だぜ」

 上野の近くに、巨大な山門が忽然と出現した。


 固く閉ざされていた扉は、スーッと開き、その奥の光景が見える。

 奥には、四角い舞台が見えた。

 赤く塗られた太い四本の柱と柵に囲まれた舞台で、それを囲んで若者たちが正座している。

 小学生らしい子どもたちも多く、パッと見て数百人は居るようだ。


「何じゃい、これ?」

 上野が一歩を踏み出すと、山門は一瞬で消えた。


「そなたたちは、こちらへ」

 中年の男がフランチェスカと蓬莱さんを手招きし、開いていた場所に座らせた。

 別の男が白炎の手綱を引いて、後方に連れて行く。

 チロは上野の腕から飛び降り、蓬莱さんたちの後を追った。


「……どうしたんだ? 慌てて」

 後ろから、誰かが上野に声を掛けた。

 上野は振り向き、驚愕した。

 声を掛けたのは月城……にそっくりな男だった。

 ひな人形の男雛に似た衣装を着ており、伸ばして束ねた髪が印象的だ。


月帝つきみかどさまの御名のもと、紀元七百十五年に於ける『鴬時おうじ祭』の始まりを宣誓する。帝国の安寧と繁栄を祈り、新たなる『近衛府の四将』に、月帝つきみかどさまが『月守つくもりの名』を下賜かしあそばされる。参上いたせ」


 どこからか声が聞こえ、三人は顔を見合わせる。

 三人とも月城と同じ衣装にチェンジしており、いつの間にか、左右に白い幕が張られている場所に移動している。


「セオ、早く行け」

 月城が声を掛け、一戸は訳が分からないまま歩き出した。

 足元には赤い絨毯が敷かれており、そこを進めば良いらしい。

 和樹も、仕方なくその後に続く。

 上野は口元を強張らせ、キョロキョロ、口をカクカクさせ、和樹の後ろを歩く。

 着ている物の背面に長い布が付いており、ゆっくり歩かないと和樹の布を踏んでしまう。


「どーなってんだよ、これぇ……」

 上野は小声で言い、月城は答えた。

「アラーシュ、練習通りにやれば良い」

「アラーシュって誰だよ」

「……お前だけど」

 月城は、いぶかしんで眉を寄せた。


「ど、どうしよう……」

 和樹も、周囲の厳粛な雰囲気に圧倒されていた。

 気付けば平安朝の動きづらい衣装を着ており、歩けと促されたのだ。

 これで、動揺するなと言われても無理である。

 庭のような場所は人で埋め尽くされ、庭を囲む建物の一角では、笛や琴を演奏している一団が居る。

 どうやら、の真っ最中で、自分たちが祭の重要な役を担っているらしい。


「……とにかく、落ち着こう」

 一戸は後ろを見ずに言う。

「50年前を体験したばかりだろう。あの時より、相当に昔のようだが……入学式の入場行進と思おう」

「でも、あの四角い舞台に上った後は、どーするんだよ…」

 和樹は嘆く。

 舞台の上には、校長の姿は無い。

 しかし舞台正面の建物の中には、偉そうな人々が座っている。


「おい、後ろのお前。どうすれば良いか教えろ」

 上野は必死に、月城に囁く。


「……分かった。教えるけど、急にどうしたんだよ……」

 彼も、三人に劣らず困惑している様子だった。

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