第22話 (残虐描写あり)

 侍医じいや医僧たちの足音は止まらない。

 几帳きちょう越しに漂う薬湯の匂いと水音は途絶えない。

 侍医じいの低い話声、それに応える王后おうきさきの声、そして雨月うげつ殿の声も聞こえる。

 玉花ぎょくかの姫君がお召しの白いうちきが、几帳きちょうの端から見えていたが、今は見えない。


 神名月かみなづき殿は唇を噛み締め、水葉月みずはづき殿は深くうなだれ、如月きさらぎ殿は放心状態で、聞くにがたい話し声を受け流す。


 火名月ひなづき殿たちが敵地に発ってから、一刻ほど後。

 待機していた雨月うげつ殿と神名月かみなづき殿は、三神月みかづき殿の『転移術』で敵地の牢から助け出された羽月うづき殿を抱き止めた。

 

 火名月ひなづき殿が発つ直前に、雨月うげつ殿に託したのは、三神月みかづき殿の術を封じた『霊符』。

 助け出した羽月うづき殿を『霊符』のある場所に転移させるための護符だ。

 

 そして雨月うげつ殿は、抱き止める役目を、自分と神名月かみなづき殿が請け負うと決めた。

 極刑と定められた者が、どれほど惨い刑を受けるか。

 それを熟知する雨月うげつ殿は、水葉月みずはづき殿と如月きさらぎ殿を役目から外した。

 水葉月みずはづき殿の性格と、実兄の所業に打ちのめされている如月きさらぎ殿には、相応ふさわしからぬと判断したのだ。


 そして今は、羽月うづき殿の手当に侍医たちは難色を示しつつも、動きは止めない。

 薬湯を満たした壺やおけ、清潔な布が繰り返し運ばれ、それが少し静まったのは夜が明けた後である。

 

 銀色の月が地平に隠れ、空を碧が包み始めた頃。

 部屋に高僧が呼ばれた。

 医僧たちの読経が流れ始め、神名月かみなづき殿たちは、その意味を悟る。

 

羽月うづき様……」

 水葉月みずはづき殿は右手で顔を押さえ、如月きさらぎ殿は膝立ちで几帳に近寄る。

 王后おうきさきに付いていた尼僧が、几帳の陰から声を掛けて来た。

「みなさま……どうぞ、こちらへ……」


「……失礼いたします……」

 神名月かみなづき殿は立ち上がり、水葉月みずはづき殿は喉を鳴らしつつ立つ。

 二人が近付くと、若き僧の一人が几帳きちょうの端の垂れ布をめくり、入るように促す。

 促されるままに腰を落として几帳きちょうをくぐり、最後に如月きさらぎ殿が続いた。

 

 畳に横たえられた羽月うげつ殿は、できるだけ以前の面影が残るように配慮されていた。

 二枚の大袿おおうちきで体を覆い、足の部分も高く見えるように衣を重ね置いている。

 高僧が被る白い帽子もうすを被せられ、左目は白い絹が巻いて隠されている。

 固く閉じた右目の周りは少し腫れているが、鼻や唇は腫れてはいない。

 しすし、掛けられた大袿おおうちきから出ている首も、白い布で隠されている。

 そして胸には、五色の糸で編まれた紐に繋いだ銀鈴と、数珠が置かれている。


 その足元には高僧が座り、後ろの医僧五人と共に、読経を唱えておいでだ。

 枕元には姫君、そして傍らには王后おうきさきが座っておられる。

 王后おうきさきの後ろには尼僧が座り、横には低い燈台に掲げた蝋燭ろうそくに火が灯っていた。


 高僧の横で三人を迎えた雨月うげつ殿は、如月きさらぎ殿を無言で見つめ、神名月かみなづき殿と水葉月みずはづき殿は、彼に道を譲る。

 如月きさらぎ殿は、這うように寝床に近付き、羽月うづき殿の枕元に座った。


 玉花ぎょくかの姫君は瞼を伏せ、両の手のひらを羽月うづき殿のこめかみに当てる。

「……お話なさってくださいませ……短い時間なら、どうにか……」

 姫君は、一同に語る。

 王后おうきさきの血筋ゆえか、姫君には『術士』の資質が備わっていた。

 短い時間ながら、触れた者に『癒し』をもたらすと言う。


 しかし姫君に促されても、如月きさらぎ殿は畳に近付けない。

 潤んだ瞳で、几帳きちょうの手前から羽月うづき殿を見下ろすばかりだ。

 兄の変貌、凶行を未だに理解できない。

 まして『近衛府の四将』として、『不滅の契り』を交わした仲間の二人を犠牲にするなど、想像の範囲外だ。

 

 見かねた神名月かみなづき殿は、励ますように背を押し、枕元に座らせる。


 その気配を感じたらしい羽月うづき殿は瞼を開き……如月きさらぎ殿を見た。

 頬はやつれ、健康だった頃の面影は無い。

 けれど、その眼差しは驚くほどに穏やかで、全てを受け入れた者の輝きが在った。

 羽月うづき殿は動かせる首を少し傾け、青い唇を開き、あえかな声で語る。

「……アラーシュ……許してくれ……ガレシャを…止められなかった……」

「……エオリオ様……!」


 昔のように本名で呼ばれた如月きさらぎ殿は顔をゆがませ、大粒の涙を流す。

 最期の時を前に、羽月うづき殿の口からは、恨みの片鱗も出ない。

 友のあやまちを制止できなかった自分への悔恨があるのみだ。

 そり想いに、如月きさらぎ殿は……胸を震わせて応える。


「エオリオ様……いつか……兄を止めてみせます……きっと……」


「君たち四人で……彼を救ってやってくれ……火名月ひなづきたちと……見守ってる……」


「はい……はい…!」


 如月きさらぎ殿は大きく頷いた。

 羽月うづき殿は安堵して微笑みむ。

 大きな役目を果たした者の、満たされた笑顔だ。

 その瞼はゆっくり閉じ、かすかな息の音も途絶える。


 高僧が鈴を鳴らし、僧医たちは頭を伏せた。

 王后おうきさきは両手を合わせ、姫君は惜しみながら手を離す。

 尼僧は、手元の蝋燭ろうそくの炎を消した。

 室内が少し暗さを増し、再び読経が響き始める。


「……エオリオ様……愚かな兄と私をお許しください!」


 如月きさらぎ殿は床に額を付けて号泣した。

 恨み言のひとつでも言い残して欲しかった。

 お前たち一族は呪われろ、とののしって欲しかった。

 そうであれば、兄への憎しみを募らせられる。

 復讐をかてに闘える。


 だが羽月うづき殿は、それを望まなかった。

 友の弟と仲間たちが、殺意に満ちた闘いをするのを望まなかった。

 火名月ひなづき殿も、自分たちの『勝ち』だと言った。

 けれど……それを受け入れられない。

 一人を助けた四人は戻らず、その一人の命も尽きた。

 

 故郷は恐怖に支配されたままだ。

 この状況のどこが『勝利』なのか。

 これが『正義』だと言うのなら、むなしすぎる。

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