第21話

 壁に囲まれた薄暗い『塗籠ぬりごめ』に、読経とこうの香りと煙が立ち込める。

 『第八十八紀 近衛府の四将』だった四人は、白小袖、墨染のきぬと細身の袴姿で、数珠を手に向き合って立っていた。

 二人の僧と二人の尼僧が、彼らの後ろに立ち、その御髪を短く断つ。

 

 剣士の夜重月やえづき殿と、紗夜月さやづき殿。

 術士の火名月ひなづき殿と、三神月みかづき殿。


 四人とも、二十歳を幾許いくばくかか過ぎた若者である。

 彼らは僧の手で受戒じゅかいし、『大いなる慈悲深き御方』に魂を預けた。

 

 本来の受戒じゅかいは、半日の祈祷の後に床に座して、僧に髪を断っていただく。

 だが、そのような余裕は無い。

 墨染のきぬも、僧の着古しをいただいた。

 だが、こうして受戒じゅかいを成し得たことは、誠にさちなり、と四人は微笑み合う。

 

 これから……敵地となった故郷『月窟つきのいわ』の帝都王宮に侵入し、捕らえられて極刑の判決を受けた『第八十七紀 近衛府の四将』の羽月うげつ殿の救出に向かうのだ。


 

 生きて帰れぬ出陣である。

 しかし、誰に乞われたのでも無い。

 ただ彼らは、己れの心の命ずるままに死地へとつ。


 見守っていた王后おうきさき玉花ぎょくかの姫君も、祈りをめない。

 二人とも、質素な白い小袖に白い無地のうちき、薄灰色の袴姿である。

 反対側の壁には、現『近衛府の四将』たる雨月うげつ殿、如月きさらぎ殿、神名月かみなづき殿、水葉月みずはづき殿が正座し、言葉も無く見守る。


 中でも、如月きさらぎ狼狽ろうばいは激しかった。

 顔には血の気の片鱗も無く、今にも崩れ落ちる気色けしきである。

 嗚咽おえつし、床に額を押し付け、荒い吐息を繰り返す。

 死地の中心で、恐怖で民を支配しているのは、今や宰相となった実兄だ。

 

 彼は『神逅椰かぐや』と名乗り、術士たちを殺害して能力を奪い、人ならぬ悪鬼と化してしまった。

 その『気』は地脈の如く帝都を包み、『反逆の志あり』と見なされた者は、忽然と姿を消し、再び誰の目にも止まることは無い。

 帝都貴族も士族も、武官も衛士も、我が身と家族のためにと、宰相にひざまずく。


今や、友好国であった『花窟はなのいわ』の王国が、反逆者たちの砦なのだ。



「……悔いは在りませぬか?」

 王后おうきさき受戒じゅかいを果たした四人に近寄り、その表情を心に刻む。

「決意を翻しても、誰も責めはせぬ。羽月うづき殿を助けられとしても、その命は、もはや長くあるまい……」


「御言葉ですが……王后おうきさきさまも、かつては近衛府で修行あそばした身と存じ申し上げます」

 火名月ひなづき殿の瞳には、悲壮感の欠片かけらも見当たらない。

 希望だけをしたためた声で、彼は言う。

「我らは『勝った』のです。我らの帝都王宮への侵入を知った神逅椰かぐや殿は、こう申すでしょう。『役にも立たぬ虫けらを奪いに来た愚か者ども』と。その通りです。我らは、自身の『心』に打ち勝ちました。我らが闘うべきは、神逅椰かぐや殿では無いのです」


 その誇り高き言葉は、僧たちの、そして雨月うげつ殿たちの心を打った。

 犠牲を見過ごしても、守るべきものはあろう。

 犠牲になる仲間も、覚悟していた筈だ。

 だが、それこそ敵の望む『堕落だらく』だ。

 敵に「愚かなおこないいだ」と嘲笑されること。

 それこそが、自分たちが『正義』であるあかしに他ならない。


「……聞き分けの無い子たちばかりで……困りましたね……」

 王后おうきさきは瞼を伏せ、うちきの袖の内から、小さな包みを取り出した。

「……五人分ある。捕らえられて、苦しめられる前に……」


 夜重月やえづき殿は受け取り、指先で包みを開いた。

 五粒の鉛色の小さな丸薬が収まっている。


王后おうきさきさま……御心遣い、深く感謝申し上げます」

 紗夜月さやづき殿は頭を下げた。

「されど、必要なのは四粒のみ。羽月うづき様は、必ず此処にお連れ致します」


「今は、はっきり分かるのです」

 三神月みかづき殿も、軽やかに微笑む。

 童顔だった彼が、今は驚くほど大人びて見える。

「『術士』としての我が『転移』の力は、この時のために備わったのだと。きっと、成し遂げて見せます」



「もうしわけ…ありません……」

 如月きさらぎ殿は、血を吐く声を上げた。

「我が兄の非情なる不始末……どうか……私をお連れください……」


「残念! 三神月みかづきが転移させられるのは、四人までだ」

 夜重月やえづき殿は、如月きさらぎ殿の肩に手を当てた。

「泣くのは止めな。色男が台無しだよ!」


 しかし、如月きさらぎ殿の涙は止まらない。

 火名月ひなづき殿は腰を落とし、如月きさらぎ殿を抱き締めた。

 もはや、言葉は不用となった。

 互いの温もりと濡れた瞳が、全てを語る。

 

 託す者と、託された者。

 二組の四将は次々と思いを伝え合い、最後に火名月ひなづき殿と雨月うげつ殿が抱擁し、火名月ひなづき殿はささやく。

「これを……君に託す。浄土より流れる四つの川の交わるほとりで……いつか、逢おう」

「はい……火名月ひなづき様……」

 雨月うげつ殿は、彼から『霊符』を受け取った。

 そして頷き、今生の別れを告げる。


 

 彼らの別れが済んだと悟った玉花ぎょくかの姫君は赤く腫れた目を伏せ、床に座して、両手で障子戸を開けた。

 続いている先の廊下には、花弦かげんの王が座っていらっしゃる。

 王は瞼を閉じ、背を正した。

 死地に向かう者への礼節とは云え、王としては全く相応しからぬ態度である。

 だが、ひとりの人間として、尊敬の限りを尽くして、王は彼らを送り出す。

 

 『第八十八紀 近衛府の四将』は前だけを見つめ、『塗籠ぬりごめ』を出た。

 彼らを追い駆けるは、低い読経のみ。

 

 ここは『宝蓮宮ほうれんのみや』の王の住まわれる『玉の間』に近い部屋。

 今は、宵の最中さなかである。

 彼らは、ここの御庭おにわから敵地へと跳んだ。

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