第20話

 『近衛童子このえどうじ』の部屋は、『武徳殿ぶとくでん』に立ち並ぶ殿舎の一つに設えてある。

 壁の無い広い殿舎はの床は板張りで、一定間隔に置いた『立て障子』で細かく仕切られる。

 それぞれの広さは畳八枚分ほどで、それが『近衛童子このえどうじ』一組四人の部屋となる。

 そこに在るのは、寝床用の四枚の畳と枕に、上掛け用のうちきが数枚ずつ。

 衣類を収めるひつと、文机と筆などの小物を入れる小箱もある。

 当然ながら、女子の部屋は別の殿舎にあって、行き来は出来ない。


 食後、仮眠をとるために『近衛童子このえどうじ』たちは、自室に戻った。

 アトルシオ・アラーシュ・セオ・リーオも、部屋の中央に置かれた竹籠を見つけて駆け寄った。


「『鴬時おうじ祭』用の水干だ!」

 アラーシュは、いち早く歓声を上げる。

 萌黄色と山吹色の水干が二着ずつ、浅紫色の括り袴、白足袋、黒い浅沓あさぐつが人数分、入っていた。

 装束には邪気払いのこうが焚き染められており、香木の良い香りが漂う。


「最高級の絹だよ、これ」

 アラーシュは慣れた手つきで、『術士』候補用の山吹色の水干を手に取る。

 アトルシオとセオは『剣士』、アラーシュとリーオは『術士』の修練童子だ。

 二人も萌葱色の水干を手にし、色合いと手触りを確かめる。

 装束の素晴らしさに、リーオは目をみはるばかりだ。


「ほら、似合うよ。リーオ」

 セオは、水干を彼の胸元に当ててやった。

 リーオは恥ずかしそうに俯いたものの、こぼれる笑みは隠せない。

 故郷の両親が見たら、と想像すると、小さな胸は自然と弾む。


 はしゃぐ子供たちの声を尻目に、部屋の外の廊下を行く舎人とねりたちは、格子戸を降ろし始めた。

 室内は暗さを増し、アトルシオたちは丁寧に水干をたたみ、寝床に横たわる。

 セオとアラーシュが畳を並べ、セオの向かいにリーオ、その隣にアトルシオが寝る形だ。

 

 しかし興奮して、なかなか寝付けない。

 障子越しに、他の部屋の子供たちの声も聞こえる。

 四人も顔を近づけ、ひそひそ話を始めた。

「ガレシャ様もエオリオ様もカッコいいよね。僕たちも、ああなりたいな」

「明日は、月帝つきみかどさまから『月守つくもりの名』をたまわるんだよね」

「ボクも、絶対に『四将』になるっ。兄上みたいに」

「……うん……」

「なれるよ、きっと。みんな一緒に『月守つくもりの名』をたまわろう!」


 アトルシオが言い、手を伸ばした。

 セオもアラーシュもそれに手を重ね、一番上にリーオの手が乘る。

 彼らの瞳には『希望』だけが、果て無い草原のように広がっていた。



 

 真夜中の群青の空には、無数の星が瞬いている。

 『近衛童子このえどうじ』たちは待ちかねたように起床し、『湯殿ゆどの』にて順番に湯浴みをする。

 薬草で清めた浴槽の湯を浴び、邪気を流し払うのだ。

 乾いた単衣ひとえに着替えて自室に戻ると、白粥とお茶が用意されている。

 それらを食してから、着替えを始める。

 着替えは、乙女の女官たちが手伝ってくれる。

 小袖に単衣ひとえを重ね、白足袋を履き、括り袴と水干を着て、髪をうなじでまとめる。

 最後に木製の重い檜扇ひおうぎを渡され、両手でしっかりと支え持つ。


 着替えを終えた子供たちは、殿舎前に整列した。

 篝火が惜しみなく焚かれ、星明かりと相まって、周囲は夕刻のような明るさだ。

 

 だが、その神秘的な情景は、男子たちの目には映らない。

 いつもの上衣・袴姿とは打って変わった、女子の華やかな姿に釘付けなのだ。

 女子は紫色の切袴に、小袖・単衣ひとえうちきの上に汗衫かざみを着ていた。

 『剣士』候補の女子の汗衫かざみは紅梅色、『術士』候補の女子の汗衫かざみは桜色だ。

 貴族の少女の着る汗衫かざみと違い、裾丈を短く仕立てているが、うちきを腰に姿は実に可愛らしい。

 

 男子たちの幼い心は揺れに揺れたが、しかし導師たちが現れると、全員が姿勢を正した。

 古式ゆかしい濃緑色の武官服に身を包んだ導師たちは、老導師を中央に立ち並ぶ。

 顔を引き締めた教え子たちに、厳しくも温かい眼差しを向ける。


「これより、『鴬時おうじ祭』が始まる。今宵、月帝つきみかどさまが、新たな『近衛府の四将』に御目通りされ、『月守つくもりの名』をたまわりあそばされる。夜明けの饗宴きょうえんの後には、帝都大路に集まる民にお披露目を行う。そなたらも、心して『叙任の儀』に参加し、大路に集う民の姿を心に刻め。そなたらは、いずれ国の守りのかなめとなろう」


「はい、導師さま!」

 『近衛童子このえどうじ』の声は、寸分の差も無く重なった。

 

 そして一同は、帝都王宮に移動した。

 月帝つきみかどとその一族が住まう、高い塀に囲まれた壮大なみやである。


 その王宮の中心の『月照殿』は、無数の衛士に護られていた。

 『近衛童子このえどうじ』たちが近付くと門が開かれ、広い庭が全容を見せる。

 白い砂が敷き詰められた庭を囲むように、白い花が咲き乱れる木が植えられ、殿舎正面には、四角い舞台が設えてある。

 舞台を囲むように畳が敷かれ、すでに席に着いている者たちが居た。

 『第八十八紀 近衛童子このえどうじ』たちで、アトルシオたちより五歳ほど年長だろう。

 舞台に上がる階段の傍に座る四人が、その次の『四将』ともくされる。

 

 その四人のうち、女子二人は『剣士』の色目の汗衫かざみを着ていた。

 水干の色目で、男子二人が『術士』だと分かる。

 今日、叙任される『四将』とは、対照的な組み合わせだ。

 

 

 やがて『第八十九紀 近衛童子このえどうじ』は、先輩童子たちの後ろに座った。

 さらに彼らの後ろに『第八十九紀 近衛童子このえどうじ』たちが座る。

 男子は浅緋色の袍、女子は紅梅色か桜色の汗衫かざみを付けている。

 儀式が終われば、多くは『近衛府武官』として帝都を守る任に就く。

 特に身分低き者にとっては、十代の若さでは異例の出世である。

 不平など、微塵たりとも無い。


 やがて、『月衛府つくえふ』役人や『近衛府』上級武官たち続々と現れ、殿舎正面の回廊の下に座り始めた。

 その中には、セオの父親も居る。

 

 『月照殿』正面奥の御簾みすで覆われた御座に、月帝つきみかどがお座りあそばされるが、お出ましは儀式直前となる。

 御座の左側の椅子に座る老いた摂政が、その御言葉を代弁するのだろうが、摂政は何度も足を組み直している。

 長時間座るのは辛いのだろう。

 摂政の隣には、アラーシュの父親が座っており、童子たちをチラチラ眺めているのは、次男の様子を伺っているからだろうか。


 アトルシオは、未だ空席の御座を眺めた。

 月帝つきみかどは病弱との噂で、正室にも側室にも御子は居ない。

 そのため、帝位継承の第一位は、月帝つきみかどの姪の姫君だ。

 隣国『花窟はなのいわ』の王に嫁いだ月帝つきみかどの妹君と、姪の姫君も、御簾みすの内で儀式を見守るらしい。

 月帝つきみかどの妹君も、『近衛童子このえどうじ』だったと聞いた。

 先輩童子の『剣士』のような勇猛な御方だったに違いない、と思いを馳せる。


 

 

 篝火は燃え盛り、やがて星の瞬きが弱々しくなった頃。

 『月照殿』にて、『近衛府の四将・叙任の儀』が始まった。

 三人の大臣が祝辞を交互に述べ、月帝つきみかどが、御簾みすの奥に入られた。

 その左奥には、妹君の王后おうきさきと姫君がお付きになられる。

 

 それらを目視した宰相が立ち上がり、周囲を見渡して告げた。

月帝つきみかどさまの御名のもと、紀元七百五年に於ける『鴬時おうじ祭』の始まりを宣誓する。帝国の安寧と繁栄を祈り、新たなる『近衛府の四将』に、月帝つきみかどさまが『月守つくもりの名』を下賜かしあそばされる。参上いたせ」


 すると、後方から『四将』たちが姿を見せた。

 先頭は、アラーシュの兄のガレシャで、エオリオ、サリア、マリシャと続く。

 ガレシャとエオリオは濃茶色のほうに、黒い冠、『剣士』が履く薄藤色の袴に、ほうと同色の長ききょを引いて歩む。

 サリアとマリシャは紅の長袴と桜色の汗衫かざみの長いきょを引き、花飾りの付いた簪子かんざしで前髪を結っている。

 

 敷かれた緋毛氈ひもうせんの上を進む、四人のきょを引く音が響く。

 八十八紀・八十九紀の近衛童子このえどうじたちは、その華々しくも勇猛な姿に称賛の息を吐き、八十七紀の同胞たちにも、自然と笑みが浮かぶ。



「これより、そなたら四人に『月守つくもりの名』を与える」

 直立して並ぶ四人に、宰相が言葉を送る。

「『北門の将』を『羽月うづき』、『東門の将』を『神鞍月かぐらづき』、『西門の将』を『亜夜月あやづき』、『南門の将』を『水影月みかげつけき』とし、『東門』を『大将』と為す」


 すると、回廊の欄干に、『四将』の『月守つくもりの名』を記した巻紙が吊るされた。

 それを合図に先代の四将が殿舎の奥から現れ、剣士には『太刀』と『数珠』を、術士には『霊符』と『数珠』を差し出した。


 やがて空は明るい紫色へと変わり、日輪が昇る時刻が近付く。

 神鞍月かぐらづき殿は、右手に数珠を嵌め、両腕を前に差し出して太刀を捧げ持ち、誓いを立てる。

「『大いなる慈悲深き御方』と月帝つきみかどさまに、この言葉を捧げ給う。我ら四将、月帝つきみかどさまと帝国すべての民のため、『正しき』と『まこと』に従うこと誓い給う。この言葉を以って、我らの『不滅の契り』と為す…!」


 神鞍月かぐらづき殿と羽月うづき殿は、鞘から太刀を抜いて天に掲げ、亜夜月あやづき殿と水影月みかげづき殿は、数珠を嵌めて霊符を持つ。

 その霊符からは、小さな金色の炎が吹き上がる。

 炎は刃を金色に染め、日輪の陽がそれに交わる。

 


 この荘厳な儀式を、アトルシオたちは感嘆して見守った。

 感激のあまり、泣き出す子もいる。

 やがて、篝火よりも明るい日輪が、地平より威容なる全貌を見せた。

 空は鮮やかな紫に燃え、誰もが帝国のながき繁栄を疑わなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る