序の章・弐 黄泉月の子どもたち

第19話

「よし、木太刀を納めよ!」

 導師が右手を挙げ、子供たちはピタリと動きを止めた。

 道場は静寂を取り戻し、子供たちを指導していた剣士たちも、導師の横に並ぶ。

 子供たちは整列し、木太刀を脇に置いて正座する。

 

「本日の訓練は、これで終了する。明日に備え、昼食後に仮眠を取れ。起床後に湯浴みをし、食後は『晴れの装束』にて庭に集合せよ」

「はい、お師匠さま!」


 子供たちは、深々と黙礼する。

 全員が、木綿の簡素な上衣と細身の袴だけを身に付けている。

 男子は長髪を一つに束ねてうなじで結び、女子は、肩に掛かる髪を綺麗に切り揃えている。


 彼らは、帝国の各地から集められた子供たちだ。

 『近衛府 第八十九紀 近衛童子このえどうじ』と呼ばれ、『近衛府武官』の候補生である。

 『近衛府武官』は、この『月窟つきのいわ』を統治する『月帝』の警護を勤める名誉ある職務なのだ。

 剣術に秀でた『剣士』と、守護や攻撃の術を駆使する『術士』で構成されるが、

『剣士』が総員の七割を占める。


 結成初期の『近衛府武官』は、帝都貴族や士族の一族で占められていた役職だが、

生まれ持っての資質が必要とされる『術士』は減少し続け、『月衛府つくえふ』は全土から『近衛童子このえどうじ』を集るようになった。

 武官みずから各地に趣き、身分を問わずに資質の在る子供を帝都の『武徳殿ぶとくでん』に住まわせ、武官に必要な修練を積ませた。

 

 これは、辺境に住む庶民に取っては、歓迎すべき好事であった。

 目に留まった子供を差し出せば、村や町に報奨金が支払われたからだ。

 そればかりか、五年間の無税が約束されるのである。

 差し出した子供が『武官の才覚無し』との烙印を押されても、帝都貴族や士族に仕えることが出来る。


 たが、修行中の『近衛童子このえどうじ』たちは、平等に扱われる。

 親の身分に関わらず、質素な衣装を着て、質素な食事を摂る。

 ただ、寝床として畳が用意されていた。

 畳を敷いて眠ることが出来るのは高貴な身分の者たちだけであり、庶民は板間かわらの中で寝ていた。

 身分なき『近衛童子このえどうじ』たちには、畳の上で眠れるのは、夢のような待遇なのだ。



「おなか空いたよ~」

「今日は肉が出るかな?」

「でも緊張して、なんかオナカ痛い…」


 道場に木太刀を収め、外に出た子供たちは、皮沓かわぐつを履いて『大炊舎おおいしゃ』に向かう。

 放し飼いの鶏たちの間を縫って走る子供たちは、十歳より上は居ない。

 木太刀を置けば、まだ竹馬遊びや人形遊びをしたい年頃なのだ。

 幸い、子供たちには竹馬も人形も与えられる。

 祭りの日には、晴れの装束を着て、都大路を練り歩く。

 決して、修行一筋の生活を強いられている訳では無い。

 農民の子として、親の農作業を手伝うよりは、恵まれているのかも知れない。



 『大炊舎おおいしゃ』は木造の食事処で、『近衛童子このえどうじ』専用だ。

 木の食卓が設えられ、四人一組が固まって椅子に座って食べる。

 

 すでに、彼らは選別されているのだ。

 月帝を警護する『近衛府』武官には、『近衛府の四将』と呼ばれる者たちが居る。

 『北門の将』『東門の将』『西門の将』『南門の将』と呼ばれる四人で構成され、

四人の頭領が『大将』と呼ばれる。

 彼らは十代後半の『近衛童子このえどうじ』より選ばれ、その任期は五年。

 その間、月帝のお傍近くに仕えて警護に当たる、象徴的な職務と言えよう。

 

 『北門』と『東門』は、『剣士』。

 『西門』と『南門』は、『術士』が任命されるが、例外も多い。

 四将すべてが『術士』と言う極端な事例もあった。

 だが、逆に四将すべてが『剣士』の例は無い。

 広範囲の防御術が使役できる『術士』を、必ず一名入れる決まりがあるからだ。

 月帝と仲間を護る重要な職務であり、最重要の『将』である。

 

 さて、『近衛童子このえどうじ』として帝都に集められた子供たちは半年も経ずに、四人一組の小集団に分けられる。

 熟練の術士が子供たちの能力や相性を読み取り、身分・性別に関係なく公正に振り分けるのだ。

 成長によって、仲間の入れ替えは少なからず在るが、大半は初期の仲間のままで過ごす。

 そして九年前後の修練を経て、晴れて『近衛府の四将』となる集団が決まるのだ。


 『近衛府 第八十九紀 近衛童子このえどうじ』の人数は、百二十人。

 この三十組の中から、ただ一組四人が選ばれる。



「今日は魚もあるよ!」

「それに干し柿も……干し柿が嫌いな奴は居ないか~?」

「食べ物をあげるのは禁止だよっ」


 子供たちは、目の前の食事を見て目を輝かせる。

 いつもは麦粥か芋粥、干し魚か干し肉のふりかけ、野菜の汁物か煮物にお茶だが、今日は違う。

 白米の粥に干し肉が二枚、焼き魚、野菜の煮物、昆布茶、貝の汁物、甘い干し柿も付いている。

 特に干し柿は貴重な甘味だ。

 真っ先に干し柿にかぶりつく子もいれば、最後のお楽しみに残して置く子もいる。


「干し肉は一枚でいいから、柿を二個付けてくれないかな~」

 アラーシュは、干し肉を手で裂きながら口に運ぶ。

 すると、隣に座るアトルシオが、干し肉を汁物に付けて言った。

「こうすると、少し食べやすいけど」

「やだ。汁に肉の油が浮いて気持ち悪い」

「そうかな。汁の味が濃くなって、こっちの方が好きだよ。リーオは?」


 アトルシオは、向かいに座る仲間に聞いた。

「うん……僕は……」

 リーオは下を向いて、恥ずかしそうに答える。

 辺境の集落の出身の彼は、ここに連れて来られた当時、言葉使いを笑われたことがある。

 子供同士のことだから珍しくは無いが、それ以来、彼は余り喋らない。


「……好きな食べ方で良いんだよ」

 隣に座るセオがささやいた。

 帝都士族出身の彼は、何かと面倒見が良い。

 質実剛健を旨とする士族らしく、ここの待遇にも文句は言わない。

 逆に、帝都貴族出身のアラーシュは、連れて来られた当初は、泣いてばかりいた。

 食事と衣服、飾り気の無い部屋や寝床を嫌っていたが、少しは慣れたらしい。

 

 そして、アトルシオは地方領主の一人息子だ。

 父の期待を背負い、帝都にやって来た。

 領地の暮らしは、決して楽では無い。

 帝都の近衛府仕えとなれば、一族の地位も上がる。

 『近衛府の四将』となれば、帝都に居を構えることも出来る。

 幼いながらも、一族と領地・領民の暮らしを背負っているのだ。



 故郷に思いを馳せていると、入り口の格子戸が開き、声が掛かった。

「みんな、元気に過ごしてるか?」


「ガレシャ様!」

「ガレシャ様……エオリオ様も!」


 はなだ色の狩衣に烏帽子姿の男性二人が姿を見せ、子供たちは歓声を上げて立ち上がった。

 後ろからは、紅袴に濃い山吹色の水干・烏帽子姿の女性二人が続き、女の子たちの目が輝く。


 彼らは、『第八十七紀 近衛府の四将』となる若者たちだった。

 『北門』は、剣士のアルダ・ジオレ・エオリオ。

 『東門』は、剣士のカレリ・ザシャ・ガレシャ。

 『西門』は、術士のユリウカ・ザナ・サリア。

 『南門』は、術士のユリウカ・リザ・マリシャ。


 エオリオとガレシャは十八歳、オリアとマリシャは姉妹で、十八歳と十七歳だ。

 いずれも精悍さの中に、あどけなさが垣間見える。

 彼らは、明日の『鴬時おうじ祭』で、『近衛府の四将』に叙任されるのだ。



「兄上様っ」

 アラーシュは、実兄のガレシャに抱き付いた。

 帝都貴族のカレリ家と言えど、帝都士族の力が増している現在は、優雅に舟遊びや歌合せなどの遊びに没頭してばかりいられない。

 だが、一族の後継者が月帝のお傍付き武官となれば、その地位は安泰となろう。

 貴族も『武』に秀でていることを、世に知らしめて起きたいのだ。

 その上、次兄のアラーシュにも『術士』候補として、声が掛かった。

 二人の父母は、嫌がるアラーシュも『近衛童子このえどうじ』として差し出したのである。

 

 そんな父母の思惑はともかく、長兄のガレシャは権力には興味は無い。

 幼い頃から、剣術の資質を見い出されていた彼は、純粋に国を守りたい一心から、

近衛童子このえどうじ』に選ばれた時は、おおいに喜んだ。

 そして明日は、いよいよ『近衛府の四将』として、立つ日だ。

 

「こら……」

 ガレシャは軽く弟の肩を叩き、優しい眼差しで全員を見回した。

 どの瞳も、希望に輝いている。

「みんな。明日は、大変な一日になる。今日はちゃんと食べて、寝て置くんだぞ」

「はーい!」

 一斉に答えた男の子たちを、物静かなエオリオも微笑んで眺めている。

 自分が、かつて歩んだ道を思い出しているのかも知れない。


 女の子たちは、サリア・マリシャ姉妹を囲み、上気した顔で質問している。

 姉妹は屈み、丁寧に質問に答える。

 

 和やかな歓談が暫し続いたが、見守っていた中年の師匠が軽く喝を入れた。

「ほら、汁が冷めたぞ。早く食べるように!」


 すると、ガレシャがクスリと笑った。

「お久し振りです。クレオ様」

「……四人とも、立派になりおって。だが、まだまだだな」

「はい。心して修練を積みます」

 サリアは、顔を引き締めて答えた。

「私たちは、おいとまします。明日はよろしくね、みんな」

「はい、一生懸命、御供させていただきます!」


 子供たちは答え、四人を見送る。

 明日は、名誉ある任務をこなす。

 『叙任の儀』の後に、帝都大路を『四将』や武官と共に練り歩くのだ。

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