第18話 ずっとずっと、いつまでも。

 あれから数日、セスタリカ邸で傷の治療を行っていたレディア。とくに気まずい雰囲気も無く、いつもと同じような平凡を過ごしていた。

 ライカの傷も治癒魔法の効果もあって、驚くスピードで回復していった。



 そして今日、レディアがセスタリカ邸を後にする。



「レディア様、御召し物等はこちらにご用意しておきましたわ」

「ありがとう、レエナ。悪いな、わざわざこんなことまで」

「いえいえ、レディア様には感謝してもしきれない程の御恩がございますから」


 真面目なのか律儀なのか、こう言い始めたら意地でもやめようとしないのがセスタリカ家。


 靴紐を結び直し、動くようになった拳を握ったり、開いたりして感触を確かめる。どうやら何も問題は無さそうだ。


 そしてふと思い出されるレックスとの戦い。


 あれくらいで動かなくなるようでは、これから巻き起こる戦いに支障が出るのは間違いないだろう。そうなれば守りたいものをまた守れなくなる。


 まだまだ俺は強くならないといけない。ギルドに戻ったら早速訓練の開始だ。


「……」

「どうかなさいました?」


 

 そうだな。気持ちだけで十分だな。


 それに戻ったら戻ったで、いろいろと誤解を解かなければならないのが苦行でしかない。


 マヤは元気が無くなるし、ヘスティにいたっては失神するほどで、今更どんな顔をして会えばいいか分からない。


「……」

「レディア様?」


 ま、分からんから理不尽にブチ切れてみるのも面白いかもしれない――いや、やっぱりやめておこう。


 ヘス――デーモンは怖い。


 そう思いつつも、久しぶりにみんなと会えると想うだけで、心がワクワクするようなウキウキするような感覚に包まれる。


 例えるなら――んっとねえ、えっとねえ……ほら、なんというか……ねっ、その……あのさ、こうね……言い換えるとさ、ええと………………つまりそういう事だ。


 なにはともあれ、荷物を持とうとするとすでにレエナが手に持っていて運んでくれるらしい。至れり尽くせりというか、やり過ぎなほど。


 少し困った顔をする彼。「少しでも一緒にいたい」という気持ちは相変わらず伝わらないが、それでもいい。


 今は――。


「あらま、盛大な見送りですこと」


 レエナとともに外へ出ると、そこにはセスタリカ家一同とライカが並んでいた。ほとんどが笑顔を浮かべる中、ライカだけは何故か浮かない顔をしていて、違和感がある。


 浮かない顔だけが浮いているのだ。そしてその理由は、レエナだけが知っている。






 

「レディア様のお怪我は? どう?」

「はい。もう問題ないとのことです」

「そう……よかった」


 昨夜、レエナの自室にて呼び出されたライカ。しかし特にこれといった用ではなく、ただ話したいとのことだった。


 部屋に入るなりテーブルの反対の席に座らせられてから、一緒に紅茶を啜る。


「でも、本当に色んな事があったわ。レディア様と会ってから、お父様やお兄様たちも物腰が柔らかくなったというか……」

「ロイド様は相変わらずですよ」

「そうね。でも、変わったのは――貴方もよ」


 その言葉に思わず口につけていた紅茶を吹き出す。しかし、至って冷静で真面目な顔をして見つめてくるレエナに、いつもと違う空気を感じてゆっくりとカップを置いた。


 流石レエナ様だ。ボクのことは何でもお見通しなのだろう。


「そう……ですね。私は今の今まで、冒険者という存在を大いに見下していました。何もしてくれなかった冒険者が嫌いで……憎くて……」

「私がレディア様に依頼しようとした時、いの一番に反対したものね」

「……でも、本当は知っているんです。あの時、彼らが取り合ってくれなかった訳ではないことを」


 子どもの頃、ライカの故郷の村が盗賊たちに襲われている際にたまたま近くを通った冒険者たち。実は彼らはまだ冒険者成り立ての新米だったのだ。


 自分たちでは対処できないと感じた彼らは、その場を離れて助けを呼びに走っていた。そして見つけたのが、ナゼル率いる王国軍の精鋭部隊。


 サバイバル訓練からの帰路であったナゼルたちは冒険者たちから話を聞き、すぐに村へと向かったのだが間に合わなかった。


「私は誰かのせいにすることで、あの頃の弱かった自分を正当化させようとしていました。そしてそれを――」

「彼に、身を持って気付かされた」

「痛いほどに……ですね。アイツは不思議な男です。普段はあっけらかんとした間抜け顔だというのに……まったく……」


 そう悪態をつきながらも微笑むライカ。その瞳の中に映るのは、目の前にいる自分では無いことを知って、彼女と同じように微笑む。


 本当に……本当に変わったのね、ライカ。

 

 ゆったりとした時の中で、彼女の彼に対する悪態だらけの言葉を楽しみながら、心の中で1つ決まったことがあった。


「ライカ、突然だけど……明日、レディア様がここを出立するわ」

「え!? そんな突然……早すぎます!」

「ええ、私も引き止めたのだけれど……」

「そんな……そんな……」


 冷静なライカがまったく動揺を隠せていない。そんな姿を見るのは初めてで――どこか寂しくて、どこか嬉しかった。


 まるで、母親が立派になった子どもを送り出すかのような想い。


「そこで、私から貴方に提案するわ」

「提案……ですか?」







「レディア君、名残惜しいがこれが最後ではない。またいつでも遊びに来るといい。歓迎しよう」

「軍もいつでも君を歓迎するぞ!」

「レディアさん、また厳しい稽古をお願いします!」


 3人の前のめりな握手に押しつぶされそうになるレディア。ぎこち無い笑顔を見せながら、今度はレエナの前に立つ。


 全ては彼女の依頼から始まった。一見、簡単そうに思えたこのクエスト――蓋を開けてみれば、とんでもない事件が待ち構えていた。

 それでも彼女はセスタリカの一員。強く気高くそして何より美しい。


 頬をほんのり赤く染めるレエナ。


「レディア様……私も紅茶を御用意してお待ちしておりますわ。また楽しい話をお聞かせ下さい」

「それはそれは、楽しみにして――のわっ!?」


 ポンポンと頭を撫でられると、どうしても想いが溢れてレディアを抱きしめる。


 あの日、たしかに想いは届かなかった。悔しくて悔しくて、何度も涙した……それがより一層彼女を輝かせ、そしてやがて大人へと成長していく。


「いつでも……またいつでもいらして下さい」

「ああ、また会いに来るよ」


 そう言いながら手の甲にキスをされる。不意に見せる紳士的な姿もレディアに惹かれた理由の1つで、顔が真っ赤に染まっていく。


 もうこの手……洗えませんわ。


 「いや、洗えよ!」とツッコミとチョップを頭にされたが、やっぱり痛くはなかった。


 そして、ついにライカの番。


「よっ、ライカ」

「あ、ああ……」

「何だよ元気ねえな。腹減ってんのか?」


 からかうつもりで言ってみたのかだが、普段の反応と違って何故か目が泳いでいる。おかげで目も合わせてくれない。


 嫌われてんのな俺。


 「あははー」と笑いながらポリポリと頬を掻くレディアと、おどおどして何も話せなくなっているライカを見兼ねて、レエナがライカにそっと耳打ちする。


「ライカ、言いたいことはハッキリと……でしょ?」

「レエナ様……」

「?」


 ポカンとしているレディアを後目に、大きく深呼吸をして心を落ち着かせてから、レディアに向き直る。


 彼には感謝している。感情が暴走し、狂いかけたボクを救ってくれた。ボクが道を踏み外したその足を、彼は支えてくれた。


 そして……1番大切なものを教えてくれた。

 そんな彼の顔をじっくりと見てしみじみ思う。


「こいつ、よく見たら間抜けな顔しているな――あっ」


 心で思っていたことをつい口に出してしまった。もはや条件反射というかごく自然に声に出していて、すぐに口を塞ぐも完全に手遅れ。


 いつものように怒ってくるだろうと、恐る恐るレディアの方を見てみると……何故か腹を抱えて笑い転げていた。


 一体何がそんなに面白いのか。


「はー笑った笑った! ったく、相変わらず俺には厳しいのなお前!」

「ち、違うんだ……本当は……本当は!」

「わーった、わーった! 分かったから、邪魔もんはさっさと帰るとするさ。ま、お前とは特にいろいろあったが、それなりに楽しかったぜ」


 本当は他に伝えたいことがあったのに。本当は別の言葉を言いたかったのに。


 ただ一言……「ありがとう」を伝えたいだけなのに。


「そ、そうか! さっさと帰れ、清々する!」


 たったそれだけが……全然声に出せない。


 誰かに想いを伝えるのが、こんなにも難しかったなんて知らなかった。ずっとずっと、簡単だと思い込んでいた。

 それが、こんなにも言葉にできないだなんて、剣を振るうことよりもこんなに難しいなんて。


 違う――難しいんじゃない。

 ボクが――ヘタクソなんだ。


「はいはい帰りますよ――だ。つかお前、人の話はよく聞くようにしろよ?」

「わ、忘れるまで……覚えておくとするさ」

「そりゃいいな」


 そう言い彼は背中を向ける。そして、ゆっくりとした足取りでセスタリカ邸から離れていく。


 今だ、今言うんだ。彼が去ってしまう前に、一言だけでいいんだ。口を開け、開くんだライカ。


 懸命に口を開いても、声にならない声。何かが喉に詰まっているみたいに言葉にできない。

 ボクは……やっぱり――。


『んなもん、知らねえよ』


「レ……レ…………」


 そうだ、知るもんか。弱くたって知るもんか。


 叫べ、彼の名を。

 叫べ、想いを。

 叫べ、叫べ……叫べ!!


 「レ、レディア!」


 去りゆく背中に向かって、真っ直ぐに声を飛ばす。喉に詰まっていた物が取れ、今なら遠くで振り返る彼と、ようやく面と向かって本音で話せる気がしていた。


 それでいいの。それでいいのよ、ライカ。




「提案……ですか?」

「ええ。ライカ、貴方の彼に対する想いは私はよく分かっているの」

「な、何のことですか!?」

「ライカ、偽る必要はないわ。いい? これからは偽ることは無し。全てとは言わないけれど、もっと正直に生きなさい」


 決して偽っていた訳じゃない。ボクを救ってくれたあの日から、彼女の為に生きると誓った。ボクの全ては彼女の為にあると、そう思ってきた。


 彼女の為なら例え偽りであろうと、その全てを真にしてきた。彼女が偽りなら紛うことなき偽り。真ならばこれまた然り。


 だが、そんな彼女に偽りと言われた。


「そうね、【自分に】正直に生きなさい」

「じ、自分に……正直に……」

「そして私にも、もちろん彼にもよ」






 ようやく出た声。ようやく振り返る彼。


 ボクは、言われた通りに正直に生きる。自身の内にあるこの想いを、偽ることなく彼に伝えるんだ。


 ただ――ありがとうと。


「ん? なんだ、どうした?」

「え、ええと……その……あ、あ……」

「よく聞こえねえぞ? なんだ?」

「あ……あ……あり……あり…………」


 首を傾げる彼に向かって、何度も何度も声に出そうとしているのに、何故か言葉にできない。彼女が自分を見つめているのを感じる。


 逃げ場などない。そして、ボクは――逃げない。


「達者……でな」

「ああ、お前もな」

「……」




 結局……言えなかった。また偽ってしまった。彼女との約束を破ってしまった。


 ただ遠くにある彼の背中を、悔しさに握りしめた拳とともに、情けなさととともに見ていることしか出来ない。


 自分の気持ち1つさえ伝えられない。


 それでも、これで良かったのかもしれない。自分に正直になった所で、何1つできないと言うのなら今のままでずっといいのかも知れない。



 へなへなと力が抜けていき、膝をつこうとしたその時だった。

 

「ライカ……見損なったわ」

「レ、レエナ様……」

「言ったはずよ? 正直になりなさいと」


 言えなかった自分に呆れて落ち込むライカに、そうと知っていながらも敢えて叱責する。


 それをナゼルやロイド、リヒトもまた何も言わずにただ黙って見守っていた。


「しかし、私にはそれが出来ないのです……私には無理なんです……」

「はあ……貴方、本当にそう思っているの?」

「はい……私には出来ません」

「……ライカ、近くに来なさい」


 出来る出来ないどうであれ、レエナとの約束を破った事は覆しようのない事実。だからこそ、どんな叱責もどんな痛みも受け入れる準備は出来ている。


 そう、これでいい。

 これで……いいんだ。


 手を振りかざすレエナ。しかしそれを見る事なく、瞳を閉じたまま覚悟を決めたライカ。


 たが、いつまで経っても頬に痛みがやってこない。いつまで経っても何もされない。

 閉じた瞳をゆっくり開けてみると、レエナは嬉しそうにしながら涙を溢していた。


「レ、レエナさ――なっ!?」


 そんなレエナに驚く間もなく、両肩をガッチリと掴まれクルッと後ろを振り向かされたかと思えば、優しいその力で背中を一押しされていた。


 思わず数歩、前へと進む。


「ライカ、行きなさい」

「え……えっ?」

「言葉だけじゃない――彼に着いていきたいのでしょう?」


 そう言うレエナの言う通りだった。ライカの心の中で芽吹いていたもの……それはレディアへの小さな憧れ。


 何にも縛られず自由でいて、そして自分には無い強さを持つ彼に、いつの間にか心を奪われていた。


 彼のようでありたい。彼のようになりたいと……今まで閉じ籠もっていたライカに、新たな生き方を背中で魅せられた。



 そんな願いが叶うのなら、彼のようになれるのなら――ボクはいいのだろうか?



 募る不安をナゼルに向けても、彼はただ頷くだけ。レエナもまた、涙を溢しながら優しく微笑んでいる。

 

 自分に正直に……なっていいのだろうか。

 誓いをまた破ってもいいのだろうか。


 許されるのなら……許されるのならばボクは――。


「レエナ様……」

「辛くなったらまた戻ってきなさい。その時は総出で歓迎するわ、ライカ――いいえ」


 ――ライコネン・シュセフィート。


 その名を聞いた途端、勝手に瞳から涙が溢れ出す。あの日、彼女を守ると誓ったあの日から捨てたはずの本当の名前。


『ライコネンって長いわ。そうね……ライカ――うん、ライカがいいわ!』

『ライカ……ですか』

『ええ、貴方はこれからライカよ。よろしくね、ライカ!』


 涙で顔がグシャグシャになりながら、帯剣した白銀の光剣を天高く掲げる。


 今まで抑えてきた感情、彼女への終わらない感謝。

 そしてもう1度、彼女の為に立てる新たな誓い。


「ボクは……必ず強くなります。誰にも負けないくらい強くなって……また貴方をお守りします。剣聖、ライコネン・シュセフィートとして……」

「ええ……約束よ、ライコネン」


 そして深々と頭を下げて、思いの丈を口に出す。


「レエナ様……貴方に出会えてボクは幸せでした。貴方と共に過ごした日々を、ボクは――ボクは忘れません!」

「もう……分かったから早く行きなさい。置いて行かれてしまうわ」

「はい……。それでは、行って参ります!」


 彼の背中を追って走り出すライカ。その背中を、涙を拭いながら、笑みを浮かべたまま見えなくなるまで見送る。

 強くなって、立派になって戻ってくる彼女を想像するだけで、少し寂しいけれどこれからの未来が待ち遠しくて堪らない。


 それに、それだけじゃない。


「良かったのかレエナ? ライカを行かせてしまって」

「お父様……ええ、それは勿論ですわ。彼女の道は彼女自身で開いていくもの。それに何の躊躇いもありませんし、それに――」

「それに?」


 走っていくライカのさらに奥、レディアの背中を見つめるレエナはいつもと違う、小悪魔のように微笑みながら呟いた。


 会いに行く理由は、多いに越した事ないですわ。


「ハッハッハ、流石は我が娘か! これならばセスタリカは安泰だ!」


 大笑いしながら屋敷へと戻るナゼル。その後をついていきながら、すでに見えなくなった彼に届くように、心の中で強く想う。




 私は諦めが悪いのですよ。

 覚悟して下さいませ、私だけの英雄様。








 

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S級最強剣士の怠惰―偽りの英雄譚― ぷりん頭 @pudding_atama

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