第17話 愛はどんな宝石よりも美しく輝く。
レエナとライカを連れて、屋敷へと戻ったレディア。そしてそこにはすでに赤い瞳の老人とキクルが拘束されており、ちょうど軍に身柄を引き渡している最中だった。
「お父様っ、ロイドお兄様っ!」
「おお! レエナ!」
並ぶ2人に向かって飛びつくレエナ。時に勇ましい彼女もまだレディアよりも3つも若い。その恐怖は相当のものだったはず。
聞きたいことが山ほどあるが、今はその時ではない。
肩の荷をようやく降ろしたレディアは、その様子を微笑みながらあえて視線を逸らす。
あの輪に入るのは野暮だから。
すると、突然背後から肩を叩かれて振り向いてみると、頬に誰かの爪が突き刺さった。
「馬鹿め、引っかかったな」
「痛っ」
「ふっ、お前にしてはやけに気が利く。見直したぞレディア」
「いいから止めろよ。痛えんだって」
意識が回復したのか、振り向いた先にはライカがしてやったり顔で笑っていた。頭を掻きながら大きくため息を吐き出す。
夕日の立ち込める空。いろいろ思うことはあるけれど、いつ見てもこの空は美しい。そんな夕日を、あの日のことを思い出しながら何も言わずに見上げるレディア。
それを真似するように、ため息を吐きながらライカも空を見上げた。
きっとボクは忘れないだろう。美しくも儚いこの空を。レディア《お前》と眺めるこの空を。
夕日に煌めくライカの瞳。いつしかそれは空では無く、彼の背中を見つめていた。
「さて、リヒトよ。何か言う事はあるか?」
「いえ……いかなる罰もお受けする覚悟です」
全てが落ち着いたところで、リヒトに詰め寄るナゼル。しかし、リヒトには最初の頃の悪ガキの印象は無く随分と落ち着いたように思える。
レエナはその間に入り、ナゼルになんとか許してもらえないかひたすらに懇願していて、話が進まないようだ。
「レエナいいんだ。全てはこの弱い心が齎したこと。貴族主義なんて……なんと恐れ多いことか」
「リヒトお兄様……」
「まったく……セスタリカとあろうものが国賊に手を貸すとはな」
「まあまあ、手を貸すというより利用されてたみたいなもんだろ? そうやって大人になっていくんだ」
あえて黙って見ていたレディアだったが、痺れを切らしてナゼルの前に立つ。
あの時のリヒトは正気では無かった。まるで誰かに操られているかのようで、あれがリヒトによる行動とは思えないことはレディアから見てもはっきりと分かっていた。
それにナゼルも思う所があるようで、顎を擦る手が止まらない。
「だが、やったもんにはそれなりの責任は問わなきゃな」
「はい、レディアさんの仰る通りです」
「ぐぬう……分かった。そこまで言うなら――」
「お父様っ!」
反論しようとするレエナを宥めながら、ナゼルの言葉を待つ。
静まり返る空間に息を飲み込む音。
「リヒト、お前が迷惑をかけた分だけ各地を巡り、その手で落ちた信頼を取り戻せ」
「え?」
「自分のしでかした事だ。出来るな?」
リヒトに背中を向けてそう言葉にするナゼル。
そりゃ名案だ。
「……はいっ!」
「流石はお父様っ!」
「良かったなリヒト!」
「ロイド兄様……」
今のリヒトにとって、この罰はかなり大変になるだろう。だが、それでもきっと大丈夫。
目が覚めたリヒトなら、何だって出来るはず。そんな彼もまた、セスタリカの一員なのだから。
レディアとライカの目には、確かに家族の愛が見えた。暫く忘れていた2人にも自然と笑みが溢れていく。
その笑顔を見られまいと背中を向けようとしたレディアだったが、相変わらずライカの爪が頬に突き刺さる。
半ギレ状態でライカに掴みかかろうとしたが、いつの間にか前髪を下ろした姿に女の子である事を思い出して、ヤレヤレと首を横に振るだけにした。
こうして予定より長くなったクエストを完了したこともあって、邪魔にならないよう静かに帰ろうとすると、それをナゼルに止められた。
「レディア君、どこへ行くんだ? まだレエナを守ってくれた礼を言っていないぞ?」
「礼なんて……ただのクエストのついでさ。それに、守ったのは俺じゃない。ライカだ」
そう言われて恥ずかしそうにレディアの背中に隠れるライカ。その首根っこを掴んで無理矢理前に立たせる。
あまりこういう事に慣れていないのか、いつもの淡々とした様子は無くかなり落ち着きが無い。
「ライカ、よくぞレエナを守ってくれた。心から礼を言う」
「旦那様……め、滅相もございません! 私はただ……私はただ、自分の成すべきことをしたまでです」
「ライカ、謙遜は止しなさい。貴方は命を賭して私を守ったのです。その手に……剣聖の証を携えて」
レエナのその言葉に、レディア以外の全員の視線がライカに集まる。腰に帯剣しているそれは、間違いなく白銀の光剣。
ライカを主として認めた、伝説の剣。
「そうか……そうだったのか。その剣が認めたのであれば、我等も認めざるを得んだろうな」
「はいお父様!」
「そうですね!」
「ええ、当然ですわ!」
何が起きているのか分からないままのライカに、ロイドは胸の勲章を外すと、それをライカに手渡した。
「ロイド様……これは?」
「受け取るといい。それはセスタリカが認めた、剣聖の称号さ。今は君が持つに相応しい」
「え……ええ!?」
今自分が腰に帯びている剣が、如何なるものかを今になって理解するライカ。そして「なんてものを渡すんだ!?」と言わんばかりにレディアを睨む。
だがレディアも今それを初めて知ったばかり。
今の今まで、急に頭に語りかけてくる気持ち悪い剣だと思っていたのはナイショだよ!
「新たな剣聖の誕生、そして我々の勝利を全員で祝おうではないか!」
「おお! お父様名案ですね!」
「では、私は支度を――」
「ライカ、貴方は此度の主役ですのよ? ほらほら、行きましょう!」
レエナに手を引かれるがまま、困惑する顔をレディアに向けるが、レディアはそれを手で追い払うようにして諦めさせる。
「ふう……」
どうやら俺は貴族というのを大いに勘違いしていたようだ。傲慢且つ高飛車で、誰かを見下している――そんな悪いイメージをいつからか持つようになっていた。
だがどうだろうか。
彼等、セスタリカ家は一切のそれに当てはまらない。むしろ清々しいとまで言えるほどの偽りの無いはっきりと真っ直ぐな物言いには、些か憧れてしまうくらいだ。
だからこそ、彼等は家族への想いが誰よりも強く……それこそが正しく高貴なのだ。
そしてそれを持たないから――持てないからこそ、羨ましく思う。
「いかがなさいましたレディア様? 一同皆、英雄様のお話をお待ちしておりますわ」
「英雄なんかじゃないさ。ただの冒険者だよ」
そう言いながら、すぐ傍まで来ていたレエナに手を引かれて歩き出す。
最初は婚約者の振りをするだけで良かったはずが、気が付けば忘れかけていた大切なものを、もう1度思い出すことになっていた。
単純な仕事の割には、随分と割に合わないじゃないか。
「レディア様。レディア様は冒険者ですが、私にとって英雄ですわ。私の――私だけの英雄」
「ははは、そりゃ感慨深いね」
でも、たまには――悪くないな。
そうしてレエナによって扉が開かれていく。
なんだな急に顔を合わせるのが恥ずかしいやら、気まずいやら……でもきっと心地いいはず。
照れくさくて正面を見れないが、レエナともに部屋へと入っていくレディア。
そして、そこで待っていたのは――
「さ、クエストとやらについて詳しく聞かせてもらおうかな?」
「――えっ?」
何故だ、何故バレているのか。
神妙な面持ちでソファに座るナゼルと、何も分かっていないであろうロイドとリヒト。そしてさっきまで見せていた、あのキラキラした顔のライカはすでに消え去り、憐れむような目をしていた。
吹き出す汗とともに思い出す大きな失態。
『礼なんて……ただの【クエスト】のついでさ』
ああ……やってますわ。これは完全に、やってますわ。
いやね、ほらなんかもう色々と終わったと思うじゃん? そりゃ大変なことばっか起きてさ、もうほとんどが予想外だった訳じゃん? ま、すんごい気は緩んじゃってたよねえ。
どれくらいかっていうと、例えるなら――そのさ、ほら……あれよアレ、こうなんかさ…………その……ね、よく言うじゃん……ええと……もうちょっと、もうちょっとなんだけどなあ、勢いなのよ勢いがね…………あのお…………つまり、すんごいの。
すんごいってのはね、凄すぎて凄すぎてもう凄いを行き過ぎてしゅんごいの。
あーしゅんご。
しゅごいしゅごい。
しゅんごいなあ。
分かってる、言いたいことは分かってるよ。でめな、こっちだってなあ、取り乱してんだよ。
あ、でめなとか噛んじゃった、噛んじゃった!
ほんと……舌噛みちぎってやろうか?
「……話したくないのかも知れんが、君はこれから我々の家族になるんだぞ? 隠し事は無しだ」
いや違うんすよ。隠し事とか合ってるけど、違うんすよ。
舌を噛みちぎる準備をしながらレエナに助け舟を求める視線を送ると、「やってしまいましたね」と楽しそうに微笑むだけだった。
ああ可愛い――って違う違う違う違う、そうじゃないんだよ。
このピンと張り詰めた空気では、どんなに嘘を付いても見透かされそうでとても逃げられる雰囲気では無かった。
なにはともあれ、良からぬことをした訳でも無い為、レディアは正直に今までの事、クエストについてすべてを話した。
「――なるほど。そういう事だったとはな」
「そ、それでは軍へ入隊するという……僕との約束はどうなるんだ!?」
「いや、した覚えが無いというか……」
「む、そうだった! していなかった!」
怖いよこのオニイサン。
もしかしてイカれてらっしゃるの?
立ち上がるロイドを咳払いで落ち着かせると、考え込んでいたナゼルが口を開いた。
「つまり君は、娘の縁談の邪魔をしたという訳か。さて、これについてはどう責任を取るつもりかね?」
「お父様、その言い草はあんまりですわ! レディア様には私からご依頼したのです!」
「だが彼は承諾したのだ。結果としては良かったものの、その事実については変わらぬだろう」
言葉は厳しいものの、レディアにはどうにも歯痒いというか、遠回しに何かを伝えようとしている気がして……ただ怒っているわけではないようで安心した。
だかそれも束の間――事は一気に加速していく。
「そこで……だ。その責任として、このまま娘と結婚してはくれんかね、レディア君」
「な、何かの聞き間違いか今のは?」
「いや、その通りで合っている。その方が後腐れもないだろう」
何を言い出すかと思えば、とんでもない事を口にするナゼル。そもそも事の発端を忘れてはいないだろうか。
何故、レエナがレディアに依頼してきたのか。
「あのな、そうやって娘の結婚を勝手に決めるからこんな事が起きるんだぜ? 折角家族愛に感動してたってのによ」
「レディア様……」
「後腐れも無い? はっきり言うが、馬鹿かアンタ。勝手に決めている時点で最初から腐ってんだろうが」
きっとそれは愛する娘の為を思っての行動なのかもしれない。だが本人の意志とは無関係であっていいはずが無い。
人生は誰のものでもない。その人、本人のものなのだから。
「自分の人生を捧げる……それがどれ程のものか、分からないアンタじゃないだろ?」
「ふむ……それもそうだな」
「まったく……ほら、聞かないでおいてやるからさっさとこの娘の意見を聞いてやれって」
「……いや、残念だか必要ない」
その言葉に怒りを覚えるレディア。
さっきまでの家族愛に包まれていたものは何だったのか。ここに来て嫌悪感を初めて感じるほどに、猛烈に怒りを覚えた。
そしてそれに対して言い返そうとした時、レエナがそれを遮った。
「レディア様……」
「退けよレエナ。俺は自由を奪おうとする奴が1番嫌い――」
レディアが言い終えないうちに、レエナに強く抱きしめられていた。あまりの突然の事に、言おうとしていた言葉が全て吹き飛ぶ。
え、何これ?
「レディア君、私は馬鹿ではない。2度も同じ過ちは犯さんよ」
「い、いやいや……笑えない冗談だぜ?」
「冗談ではありませんわ、レディア様」
「レ、レエナ?」
頬を赤く染めたレエナに見つめられるレディア。
レエナのその艷やかな表情が元々の綺麗な顔立ちと相まって、より一層美しく、とても魅力的で――思わず息をするのも忘れてしまっていた。
そう、ナゼルの言う事に間違いは無かった。
レエナに聞く必要など、無かったのだ。
「レディア様……レディア様と過ごした時間は、ほんの僅かしかありません。しかし、それでも十分過ぎるほどに、私は貴方様をお慕いしております」
全ては些細な事だった。
自分の好きなブルトーニュ産の紅茶を好きになってくれた事に始まり、自分では経験し得ない数々の冒険の話や、面白い人たちの話。
大きい歩幅で歩くはずなのに、2人で歩くときは歩幅を合わせてくれていたり、ガサツな物言いでありながら、いつも優しく気にかけてくれていた。
「貴方様と過ごす日々が、私には唯一無二のかけがえの無いものと気付いた時……私の心は、貴方様で溢れておりました」
「レエナ……」
「貴方様の人生の傍らで、共に生きてみたいのです。例えそれが、セスタリカの名を捨てることになったとしても構いません。私はただ、貴方様の傍に……」
涙を溢れさせるレエナ。
こんなにも真っ直ぐな愛の言葉を聞いたのは初めてだった。そして、それを初めて嬉しいとさえ思った。
そして初めて――悲しくもなった。
レディアはゆっくりとレエナを引き離して、その額に口づけをする。悲しい表情のまま、そしてレエナも初めて見る優しく柔らかな顔のまま。
「レエナ、気持ちは嬉しいが、応えることは……出来ない」
「……はい」
「そして理由も言えない。ごめん……」
そうレエナに伝えると、涙を流しながらもまたレディアを抱きしめるレエナ。
時折、貴方様が見せるどこか遠くを眺める悲しい表情。やはり、私ではダメなのですね。
私では――貴方様を心から笑顔にする事は出来ないのですね。
「ごめん……ごめん……」
「謝らないで下さい。もう、本当に貴方様はお優しいのですね」
「……」
「では、レディア様。私の最後のワガママを聞いては頂けないでしょうか?」
コクリと頷くレディア。その耳元でレエナが最後のワガママを伝える。
「今だけは……全てを忘れて――強く……抱きしめて下さい」
悲しみに包まれる前に、最愛の人に包まれるレエナ。強く抱きしめられるその力に、自分ではどうにも出来ない事を思い知らされる。
彼の心の奥底にある、深い悲しみ。そしてその赤い瞳に映らない自分の姿。
誰も、誰1人として言葉に出来ないまま……2人をただ見ている事しか出来なかった。
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