第16話 明日は明日の風が吹き荒れる。
髪も肌の色も違うけれど、口調や雰囲気だけで無く不敵に笑うその顔もレディアそのもの。
「俺もレディアって、言うんだぜ?」
黒いフードの男の正体――それはレディアを名乗る、レディアと瓜二つの男。
彼と比較して明確に違うと言えるのは、一見平然としながらも常に放ち続けている悍ましい殺気。
同じ人間とは思えない、黒く濁ったもの。
「まったく、失礼な奴らだぜ。お前等の言うレディアって奴が、俺の真似してんじゃねえのか?」
「なんだと?」
レディアの名を騙る男は、やれやれと首を振りながらため息を吐く。そんなふざけた態度、台詞に苛立ちが込み上げてくるライカ。
ただ彼が侮辱されているだけだというのに、何とも思わないはずなのに、やけに腹が立って仕方なかった。
そんな自分にさえ、どうしようもなく腹が立っていた。
「例えそうであっても、ボクの前でその名を騙るな。貴様が……その名を騙るな」
「なるほどねえ。それなりに信頼されてるみてえだな、アイツは」
「いいのか、それが遺言になるんだぞ?」
「面白え。そこまで言うんなら――」
前屈みになって石を拾う男。1度軽く真上に投げてから再び手の中に収めた時、あの殺気がライカの胸を貫く。
思わず身体が僅かに反応した瞬間。
やってみろよ。
「くっ!」
小さな石ころを親指で弾いた。ただ弾いたとは思えない速度の石ころは、放たれた矢のように速い。さらに殺気に反応してしまった分反応が僅かに遅れたが、避ける余裕はライカにはまだあった。
しかし男の口元がニヤリと笑ったことに気がついた途端に、その石ころが自分に向けられたものでないことを理解した。
避ければ――レエナに当たる。
石ころとはいえ放たれた速度は風を切るほど。それが当たれば身体を貫通する可能性も多いにあった。そうである以上、避けることは許されない。
咄嗟に避けようと踏み出した足を踏ん張り、手に持った剣で石を弾くライカ。
そして、その目の前にはすでに赤い瞳があった。
「なんだよお前」
「し、しまっ――」
「やっぱ弱えのな」
「ライカ――っ!」
それはあまりにも一瞬だった。
目に見えない速さで振り下ろされた剣はライカの身体を袈裟斬りにし、男が血糊を振るい落とすのと同時に、思い出したかのように傷口から血が溢れ出す。
「あ……あ…………」
「ちょっと期待したんだがなあ。ハズレは所詮ハズレか」
「ラ、ライカ……嘘っ――ライカ!」
刃で斬られた感触。今にも飛んでいきそうなほどに朦朧とした意識。力が全身から抜けていく。
ボクは弱い。
誰も守ることが出来なかった。無力だった僕はひたすらにトレーニングを重ねて、今度こそ大切な人を守ると誓った。
だというのにボクは、1人の冒険者に手も足も出ずに負けた。そしてまた――ボクは負けるんだ。
また、大切な人を守れなかった。
ボクは弱い。
きっとお前も、そう思うだろうな。
『自分に聞いてみたらどうだ?』
「……っ!」
不意に思い出されるのは、レディアから投げられた言葉。薄れゆく意識の中で鮮明に聞こえてくるその言葉。
そうだ――弱いとか強いとかそんな事どうでもいいんだ。どうでもいいじゃないか。
「ん?」
「ライカ……ライカ!」
倒れそうになる身体の力を振り絞って、足を踏み出しながら支える。それにより傷口から血が溢れても、まだ倒れていいはずがない。
まだ死んでいいはずがない。
「ボクは弱い……貴様の言う通り弱い」
「分かってんならよお、なんでまた戦おうとすんのか意味分かんねえ。何がそんなにお前を突き動かすんだ?」
面倒くさそうに話す男からレエナを守るように、もう1度剣を構える。不安でいっぱいなレエナに見せるのは不屈の背中だけでいい。
弱いとか強いとかじゃないんだ。
守るんだ――ボクが。
「死んでも――守ってみせる!」
「はあ? なんだそりゃ?」
「ライカ、貴方は……」
ゆっくりと瞳を閉じて構えた剣を手から離し、突き上げるように高らかに天へと手を掲げる。
その背中はまるで、あの人のようで……。
まるで、伝説の剣聖のようで。
「ったくあのヤロウ……」
馬を走らせるレディアにも届くライカの想い。それに答えるように白銀の光剣が輝きを放ち始めた。
どうやら、俺の出番は無さそうだな。
馬に乗りながら白銀の光剣を手に持ち、遥か前方へと思いっきり投げつける。輝きは閃光となり、空を切って真っ直ぐと飛んでいく。
やがてそれは、ライカの掲げた手の中に。
「まじかよ。やるようになったな、アイツも」
「まったく……相変わらず乱暴な奴だ。不服だが、今くらいは感謝しよう」
「そ、その光は……ロイドお兄様の!?」
その剣は、剣が認めた者に――秀でた才と清らかな心の持ち主にしか扱えない。伝説の剣聖の想いが込められた白銀の光剣。
剣から溢れる輝きがライカの全身を包み込んでいく。
たった今、この剣はライカを真の主として、剣聖として認めたのだ。
「どこがハズレなんだよ……アタリを超えてサイコウってか? へっ――笑えねえな」
「安心するといい。今からお前は、笑う猶予すら無いぞ」
「……ククッ、クハハハッ! やっぱりハズレだよお前! 剣が変わったくらいで強くなれるかってんだ!」
笑いながら踏み込んだ瞬間、すでにライカの目の前にいる男はもう1度、ライカに殺意の籠もった剣を振るう。
しかし殺意は――ライカを斬り裂くことは無かった。
「……こりゃ、笑えねえ訳だ」
そう言い終えるのと同時に、背後でボトッと落ちる男の剣を握った右腕。しかし男からあるはずの出血は無く、ライカから間合いを取るように男は後方へと飛んでいた。
それと同時にフードを頭に被ると、赤い瞳だけが楽しそうに歪んでいく。
「笑う猶予は無い――人の話はよく聞いておくものだ。ま、なにはともあれ他人のこと言えた義理ではないがな」
まるで自分の言葉のように、自分にも言い聞かせるかのように語るライカ。そんなライカに、レエナは確信しながら微笑む。
ライカ――今の貴方は剣聖では無く、レディア様その人です。
貴方も惹かれたのですね――彼に。
「おいおい、腕くらいでもう勝った気でいるのか? 随分と悠長なこった」
「何だと?」
男は斬られた腕を拾い上げるとそれは剣ごと黒い何かに変化したかと思えば、失われた腕に集まっていき、ほんの数秒で斬られた腕が元通りに戻っていた。
「ば、化物め……一体何をした!?」
「説明しても分かんねえって。それに――時間もねえしな」
振り返り遠くを気にする男。その視線の先にはライカたちにもはっきりと確認できた。
「レディア!」
「レディア様!」
その姿に1番の笑みを浮かべる男から発せられるのは、今までが比にならないほどの怒りや怨みに染まりきった醜いもの。
白銀の光剣の輝きが霞んで見えるほどに、不気味で――どこか悲しくも思えた。
「ったく相変わらずだぜ。ほんと――嫌になるほどにな」
「……お前は――一体?」
不意に軽くなる身体。男の殺気から開放されたおかげで息苦しさが嘘のように消え、張り詰めた空気も和らいでいく。
「へっ、楽しかったぜ。ええと、ライカとか言ったな。また殺り合おうぜ」
「お、お前は一体何者なんだ!?」
全身が黒い何かに変わっていき、やがて風と共に消えていく。
最後の言葉を残して。
「そうさな……レディアが嫌ってんなら、今は【アルト】とでも呼んでくれ」
「待て!」
ライカが迫った時にはすでに男の気配は無く、あたりは普段通りの世界へと戻っていた。
アルト――男はそう言った。はたして、レディアなのかアルトなのか、はたまたそのどちらも偽名なのか。
今となっては定かではないにしろ、ライカは確かにレエナを守り通した。
その手に、剣聖の証を携えて。
不思議な感覚に包まれていると、ようやくレディアがライカとレエナに合流し、馬から降りて近づいてきた。
その顔は珍しく焦りを浮かべていて、いつものダラけた様子はどこかへ落としてきたらしい。
「ライカ、レエナ無事か!?」
「レディア様っ!」
「のわっ!?」
安堵の笑みと、恐怖からの涙を流しながらレディアに抱きつくレエナ。一瞬イラッとしたライカだが、ふと自分も安堵していることに気が付く。
ボクは……安心しているのか?
コイツに?
しかしレディアのくたびれた様子を見て、屋敷の方でも戦いが合ったことを理解する。
「レディア、向こうはどうなったんだ!?」
「向こう? ああ、なんとかしといたさ。みんな無事だ」
「そうか、それならよ……よかっ……た……」
「ライカ? おい、ライカ!」
今になってあまりの痛みに気絶して倒れるライカを、レエナを抱いたまま支える。
刃物でざっくりと斬られた傷跡が痛々しい。むしろ今まで立っていたことが不思議なくらいな状態。
このままではライカが危険だ。
「すぅ……すぅ……」
「――って寝てんのかい!」
「うふふっ、ライカの傷ならもう大丈夫です。ライカに守られながらずっと【治癒魔法】をかけておりましたから」
その言葉に目を丸くするレディア。それもそのはず、治癒魔法はエルフ族によって創造された魔法の中でも、限られた者にしか扱えない超級魔法。
エルフ族以外で扱えるといえば、あの伝説の勇者の仲間である【賢者】しか思い浮かばないほどに貴重なものなのだ。
そして剣聖の血筋であるレエナが使えるという事実――つまりそれは、レエナの中には賢者の血も流れているということになる。
「治癒魔法って――はあ……セスタリカってのは優秀なんだな」
「興味をお持ちになられまして?」
「クエストでなければな」
レエナは「それは残念です」と微笑みながら、レディアの頬にキスをする。
それが治癒魔法によるものなのかは定かではないが、何故だか身体の痛みが吹き飛んだように軽くなった気がする。
ただ、この現状に一体どんな顔をすれば良いのか――と頭を悩ますレディアだった。
「なんだよ、ハズレはあのジジイとむさ苦しい男だったじゃねえか。それにあのボンクラ……金しか無い無能かよ」
薄暗い路地裏で悔しそうに爪を噛む赤い瞳。そこに囲むようにしてフードを被った赤い瞳の集団が、何処からともなく現れた。
しかし気にする事もないまま、舌打ちをしながら壁によりかかる。
「オマエシクジッタ。ドウセキニンヲトル?」
「ニンゲンハ、ショセンニンゲンニスギナイ。ソレガイマショウメイサレタ」
「コロセコロセ」
「ジカンノムダダッタ」
それぞれ好き勝手にカタコトの言葉で責め立ててくる。また爪を噛む男よりも身体が大きい為、路地裏では狭くて狭くて堪らなかった。
「うるせえな、一気に喋るな気色悪い! だいたい今のてめえ等が使えねえってのが原因だろうが!」
「ナンダトオマエ……」
「ああ? やるってのか?」
イライラとする男の赤い瞳が醜い輝きを増していくにつれて、男から邪悪なオーラが漂い始める。。それに対して慄くようにローブたちが震えながら数歩下がった。
ようやく広くなったことで、男からの邪悪は消え去り大きくため息を吐く。
「忘れているようだからもう1度言うぜ? 俺はな、お前たちの事なんざどうだっていいんだよ」
耳をポリポリと書いて、集めたカスをフッと吹き飛ばす。ローブたちはその赤い瞳で男を睨みはするが、それ以上は何もしない。
何も出来ない。
それにさえうんざりする顔で頭を横に振り、煽るような動作で呆れる。
「本当惨めだな――【魔族】さんヨオ」
そう言い、笑いながらもローブたちを押しのけてどこかへと歩いていく。
「ま、お前たちじゃ無理だろうな。アイツがいる限り、人間にはゼッテー勝てねえ」
俺なら――話は別だが。
「マ、マテ!」
追いかけるローブたちだったが、既に男の姿は無かった。怒りと悔しさを噛み締めた口からは血が流れていく。
青く淀んだ血液。
人ならざる者【魔族】の血。
「クハハハ……クハハハッ!」
降り出す雨の中、ローブたちに響くのは……男の不気味な笑い声だった。
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