第15話 守れ。
大罪人、レックスとの戦いを終えて剣を鞘に納めるレディア。馬鹿力による攻撃で腕が悲鳴をあげており、拳を握ろうにも力が上手く入らない。
もはや執念で剣を握っていたようなものだった。
「ったく、割に合わねえ仕事だ――くっ……」
一息つこうにも突然、目眩に襲われてよろけながら壁に片手をつく。
柄にもない、僅かとはいえ熱くなり過ぎた。
「はぁはぁ……クソっ」
「苦しそうですなぁ。レディア・ノエストラ殿……ふぉっふぉ」
不意に背後から老人の声で囁かれる。戦い終えたというのに、ピンと張り詰めた空気が解かれない原因がそこにいる。
ため息を吐きながらゆっくりと振り返るレディア。
「はぁ……次から次へと、人気者かよ」
その声色の正体は黒いローブを羽織った、白く長いひげを蓄える老人の男。ただ普通の老人と違うのは、地に足を付けていないこと……つまり、浮いているのだ。
なんの原理かは分からないが、その瞳が赤く染まっている、それだけで敵と判断するには十分であった。
「おい、爺さん。浮いてるぜ?」
「そうですなあ、年寄は誰にも相手にされないですからのぉ」
「そいつぁいい。傑作だ」
笑いながら剣先を向けようとするも上手く力が入らないどころか、急な痛みに襲われて剣を手放してしまった。
レックスとの戦闘で予想以上にダメージが蓄積しているらしい。
「ふぉっふぉ。あの筋肉馬鹿には少々手を焼いておりましてな。流石のS級のレディア殿でも無傷では終わりませんでしたな」
「こいつといい、爺さんといい……何を企んでやがる? あの貴族主義の坊っちゃんを利用してまでやることか?」
そう言うと、突然老人の顔が険しくなる。
レディアが言う貴族主義坊っちゃんというのは次男のリヒトの事で、確信は無かったが場所を選ばずに剣の刃を他人に向けたこと、そして異様なまでの殺気には違和感しかなかった。
常人、いや貴族の振る舞いとは到底思えなかった。
「流石……とでも言おうかのぉ、若いの」
「へっ、笑えねえ殺気だぜクソジジイ」
「声が出るだけマシじゃ」
何処からともなく杖を出現させて、そこにレックスと同じような魔力を集中させていく。するとレックスの亡骸から黒いオーラが抜けていき、次第に全てが黒いオーラとなって吸収されていった。
そして上空にはヘルフレアや、ヘルフレイムよりも何倍も大きな火球が生成されていて、今も尚その大きさは増していく。
「これが本当の黒炎弾じゃ。今のお主では対処できんじゃろう?」
「はへえー、こりゃ
「じゃが、あのお方の怒りはこれだけでは足らぬぞ?」
「相当な恨みを買ってるわけかよ。覚えてねえんだよなあ」
およそ馬車を2台分はまるまると飲み込めるほどのド級の黒炎弾。笑うレディアの頬を汗が伝っていく。
ははっ、これ以上の恨みって相当嫌われてんのな。つか、笑ってる場合か俺。楽しくも面白くもねえってのに随分と悠長な奴だぜ。
つくづく馬鹿だよなあ。こんな馬鹿げた力を目の前にして、逃げようなんて考えねえんだもんな。
黒炎弾はさらに大きさを増していき、屋敷を丸呑みできるほどに膨らんでいる。暗黒竜が放つ黒炎弾を遥かに上回る圧倒的な力。
まさに絶望という言葉が相応しい。
絶望……だと?
経験したことのない……絶望?
ふと、自分の考えていることに疑問を覚える。目の前にあるのは今の自分では太刀打ちできない圧倒的な力。だが、そうであるというのに……絶望はしていなかった。
「く……くくっ……くはははっ!」
「何じゃ? 血迷ったのかのお?」
「違う違う、違うぜクソジジイ。まったく、嫌になるぜ。こうも自分が馬鹿だとよ」
「馬鹿?」
レディアは震える手で剣を痛みを忘れて強く握りしめる。すると呼応するように白銀の光剣が輝き始めた。
その光こそ、闇を照らし勝利を齎す正義の証。選ばれし者にのみ許された退魔の力。
「その剣……まさか、お主はっ!?」
「何かよく分からねえけど、貸してくれんなら遠慮なく全部借りるぜ!」
「け、【剣聖】だとでも言うのかあぁぁ――!!」
膨大な魔力を帯びた黒炎弾が解き放たれる。屋敷もろともレディアを飲み込もうとする黒い影の中で、輝きはさらにさらに増していく。
『我の力を開放せよ。希望の光はそなたに宿る』
「そうかよ。でも俺にはもう希望の光なんざ見えやしねえんだ」
俺はもうもとには戻れない。あの日の自分には、もう戻れない。冒険者としてどんな功績を残そうとも、この穢れた赤い瞳は消えることは無い。
決して許されることのない罪。それでもいい……許されなくたっていい。
ただ
『
「死して詫びるのじゃ! そして絶望しろ、偽りの英雄が――っ!」
「あっちこっちで耳が
剣を両手で構え、迫る黒炎弾に向かって大きく振りかぶる。
「悪いな……絶望なんざ――」
ニヤリと笑みを浮かべて、全力で振り下ろす。
絶望なんざ、とっくにしてんだよ。
白銀の光剣による煌めく斬撃が黒炎弾を斬り裂く。その瞬間、黒炎弾は輝きに包まれて青空の下で弾け飛んでいった。
それはまるで、一つ一つが小さな宝石の煌めき。
「あ、あり得ない……こんな事……」
「てめえの目で拝んだんだろうが。あり得なくたってあり得てんだよ、クソジジイ」
予想していなかったことに大きく目を見開いて、ワナワナと震える老人。ほとんどの魔力を使い果たしたのか浮いていたはずの身体も地面へと落下し、杖で全身を支えるだけの覇気のないただの老人へと変化していた。
「さて、どう落とし前をつけようか? 自宅か施設か選べよクソジジイ」
「あああり得ない……あのお方の力にいい……か、敵うはずなどない……ないのじゃ」
「あのお方……黒幕っつー奴だな。丁度いい、施設にブチ込む前に聞いといてやるよ」
ヨボヨボの老人の首根っこを掴んで聞き出そうとした時、突然老人が狂ったように笑いだした。
「アヒャヒャヒャヒャ、アヒャヒャヒャヒャ!」
「気でも狂ったか? 俺でも引くわそれ」
「やはりお主は馬鹿じゃ! 阿呆が、間抜けが! アヒャヒャヒャヒャ!」
「やめろよ、哀れだぜ?」
しかし、老人の一言でようやくその意味を理解することになる。
「所詮お主では守れぬ……」
「……何だと?」
あの日と同じ……誰も守れぬのじゃ。
「……まさか」
「アヒャヒャヒャヒャ手遅れ手遅れ、今頃あの娘もこの赤い瞳の養分じゃ! 大切な者を失い再び絶望しろ、偽りの英雄よ!」
「このクソ野郎!」
「アヒャヒャヒャヒャ、アヒャヒャヒャヒャ!」
老人を押し飛ばして急いで馬を探すが、こうなる事を見越していたのか……すでに他の馬は殺され地面に横たわっていた。
してやられた。最初からこいつらの狙いは俺を殺すことじゃ無かったんだ。俺を絶望させる為に、レエナを殺すつもりだったんだ。
すると屋敷の窓からボコボコにされた兵士とボコボコにされたキクルが、放り投げられるようにして目の前に転がった。
「こちらはようやく片付いたぞレディア君!」
「随分と腕が鈍った。待たせたな」
窓から優雅に飛び降りてくる2人の身体には、いくつもの血が飛び散っていた。屋敷内部にはキクルの私兵団だけで無く雇った盗賊たちもいてかなり時間がかかったようだ。
だが、剣聖一家の敵では無かったらしい。
「丁度良い、あのクソジジイを頼む!」
「何をそんなに焦る? らしくないぞ」
「馬がいるんだ、レエナが危ない!」
「何だと!?」
しかし、初めて外の現状を見たナゼルとロイドにも殺された馬たちが目に入る。そして、すぐに何があったかを理解した。
「だが、レエナにはライカがいるはず……」
「ダメだ、こいつ等は只者じゃない! 俺がいかないと!」
「レディア君……まさか、腕が――」
すでに限界を迎えているレディアの腕は、赤く腫れ上がりほとんど力が入っていなかった。あの最強と謳われるレディアでさえ、苦戦する敵が……レエナを襲おうとしているのだ。
「きっとまだ平気な馬がいるはず! 僕がいこう!」
「悪いが、アンタが敵う相手じゃない」
「しかしその腕では――」
言い終える前に、レディアは拳で地面を強く叩いた。その続きを遮るように。
「俺でなきゃ……意味無いんだ。アイツは、レエナは俺が守る」
「君は……」
その時、レディア目掛けて突進してくる何か。
「レディアさん! どうかこちらをっ!」
「お、お前は!」
レディアの目の前に現れたのは、美しい毛並みの白馬に乗ったリヒト・イン・セスタリカだった。
先程までの高圧的な態度とは一変し、柔らかとも取れるそのオーラは白く輝いていて、ロイドやレエナと同じものを感じた。
「リヒト!」
「おそらく残っている馬はこれしかありません! どうか、急いでっ!」
「……ああ!」
リヒトが連れてきた白馬に跨がり、急いで馬を走らせる。
「どうか、レエナを! レエナをお願い致します!」
「任せろリヒト! 何があったか分からねえが、また稽古でもしようぜ!」
「レディアさん……ぜひ!」
颯爽と走っていくレディアの背中を、見つめ続けるリヒト。ナゼルとロイドはリヒトの肩を抱き寄せ、本物の英雄の背中を見えなくなるまで見つめ続けていた。
その頃、ひたすら遠くへと馬を走らせるライカは、剣で突き刺すような殺気を肌で感じていた。
逃げようにも逃げられないような、そんな気配にライカは馬の足を止めさせた。
「ライカ、どうかして?」
「申し訳ございません。レエナ様、ここからはどうか御一人で」
「ライカ、ライカ!?」
馬から飛び降りるようにして、異質な殺気を放つ敵を待ち構える。その殺気からするに相手は格上、だとしても刺し違えるくらいなら出来るはず。
「なんとか時間を稼ぎます。その間にお逃げ下さい」
「ダメよライカ! 貴方も一緒に――」
「レエナ様をお守りするのがこのライカの務め。御無礼をどうかお許し下さい」
近づいてくる気配はどうやらこちらの様子に気がついたのか、足を早めるのをやめたようだ。
この機にレエナに何としても逃げて欲しかった。ただ、それに気が付けないレエナに何を言っても聞く耳は持たない。
「いいえ、許しません」
「レエナ様……どうか、どうかお許し下さい」
「ライカ、何年貴方と共に過ごしてきたか……貴方にもそれが分かるはず」
「それとこれとは別の話ではありませんか!」
声を荒げるライカ。
どうしていつも、大事な時に……どうしていつもいつも意地でも一緒にいようとするのだろうか。
ずっとあなたの側で、あなたと共に過ごしてきた。共に笑い、共に泣き、共に怒られ、誰よりもずっと傍であなたを見てきた。
それなのに何故この気持ちが分からないんだ?
それなのに何故分かってくれないんだ?
あなたを守りたいだけなのに。
「少しくらい、私の言う事を聞いてください!」
「断固聞きません! 【死ぬつもり】の貴方を、置いていける訳ないでしょう!」
「――っ!」
ライカの胸に真っ直ぐと突き刺さる言葉。
レエナはライカの事を十分に理解していた。自らの命を投げ出してまで、守ってくれようとしている事、それほどに自分を大切に想っていてくれる事を。
そして、レエナもライカと同じように……それ以上にライカを大切に想っていた。
「貴方の想いはとても嬉しい。でも私は貴方を失ってまで生きたいとは思わない」
「レ、レエナ様……ですが!」
「ライカ、貴方は私の大切な……大切な【家族】なの。家族を置き去りにできるわけ無いでしょう」
「かぞ……く」
その言葉に、驚いて固まるライカ。微笑んだまま馬上から手を差し伸べるレエナ。その姿は自分を拾ってくれたあの時と同じで、あの日から自分を【家族】の一員してくれたんだ。
「レエナ様……」
「行きましょう、ライカ」
「えぇ、レエナさ――っ!」
差し伸べられた手をライカが掴もうとしたその時、ライカの頬を掠めるようにしてレエナの乗る馬にナイフが2本突き刺さった。
たちまち馬は暴れだし、放り投げられるレエナを抱えてゆっくりと降ろす。
「お涙頂戴は終わりか?」
「ラ、ライカ!」
「レエナ様、離れていてください」
振り向きながら鞘から剣を抜き、後ろにいる不気味な気配に切先を向ける。
頭まですっぽりとフードを被り、その影から覗かせる赤い瞳。寒気を感じさせられる隠そうともしない殺気に、全身を包まれているようだ。
「へぇ、俺の殺気を浴びても顔色1つ変えないなんてな。もしかして、結構強いとか?」
「交わす言葉など無い。そのまま立ち去ってくれるのであれば別だがな」
「おー怖っ。そんな可愛い顔で睨むなよ――興奮すんだろうが」
ヘラヘラと油断している赤い瞳の男に、前触れなく斬りかかるライカ。しかし男はライカの斬撃を視野に入れることなく、たった2本の指で刃を止めていた。
驚くライカの腹部に男の拳がねじ込まれる。
「なっ――ぐはっ!」
「ライカっ!」
「いいねえ……
レエナの目の前までふっ飛ばされたライカだが体勢を整えながら立ち上がる。
この男、思っている以上に強い。
「偉そうに、何様のつもりだ?」
「偉そうだあ? へっ、お前ほど偉かねえよ」
「っ!」
どこかで聞いたことのあるセリフと、ぶっきらぼうな言い回し。今一番聞きたくもないあの男の声にもよく似ていて、どうにも真似事が好きらしい。
「くだらない……いかに強かろうと、奴の真似事だけは感心できないな」
「おいおい、冗談言っちゃいけねえな。真似事? 一体誰のだ?」
「とぼけるか。いいだろう、教えてやる」
いつもヘラヘラしていて、ふざけたことばかり口にする、馬鹿でウザくてとにかくムカつく男。
そして、そんな奴に救われた。
馬鹿でウザくてとにかくムカつく……そして自分が目指すべき背中。
「そいつの名は、レディア。貴様とは似て非なる者……決して貴様は奴にはなれん!」
「ライカ、貴方……」
「はえー。そらまたびっくりだわ」
相変わらずヘラヘラとしながらも男はフードに手をかけた。そしてその素顔をゆっくりと曝け出していく。
目の前の……敵である男のその素顔に、2人はたちまち言葉を失うことになる。
「ば、馬鹿な!?」
「一体何が……っ!?」
輝きを失った、やつれた白髪。生気を感じない青みがかった白い肌。真っ赤に染まる瞳の奥の怒りと憎しみ。
「奇遇だな。俺も――」
【レディア】って、言うんだぜ?
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