3.愛しているのかもしれないですね

 奏牙の先導で歩きはじめて十分ほどが経った。

 それなりの距離を歩いてきたと言えるだろうが、その風景は全くといっていいほど姿を変えず、歩く道の左右は先を見通せぬ林が続くばかり。

 本当に先へと進めているのかどうか疑わしくなるほどに、変化がなかった。


(これは……)

「気になるか?」


 数歩先を歩く奏牙が、振り向きもせずに尋ねてきた。何が、というのは言わずとも察しているのだろう。

 先の水浴びの件もそうだが、彼の勘は常人よりも鋭いらしい。


「……少し、ね」

「気持ちは分かる。俺もそう思ったからな……だが、安心するといい。先へは進めている」


 そう語る間、奏牙の歩みは勢いを一切落としていない。

 疑うわけではないが、その言葉に偽りはないようだ。


 そうしてさらに歩き続けて数分ほど経った頃。


「……お」


 右手の木越しに、何かが見えはじめた。


「見えてきたな……少し先で右手の林に入るから、見失わないようにしっかりとついてきてくれ」

「わかった」


 その言葉の後さして間を置かず、奏牙が林の中へと分け入った。

 事前に言われていたとおり、見失わないように一定の距離を保ちながらそれに続く。

 林の様相は水浴び事件の時に見たものとそう変わりはないが、光が見えるまでの距離はこちらが圧倒的に短かった。


 そうして林を抜けた時、優夜の目に飛び込んできたのは。


 いくつかの木造小屋と、コンクリートで造られているであろう二階建ての建造物だった。


「こ、ここが……」

「そう、ここが俺たちの拠点だ。改めて、歓迎するぞ。優夜」


 奏牙が振り返り、両手を広げながら言う。

 ふとどこからか吹いた風に黒髪が揺れ、整ったかんばせは僅かに喜色を帯びている。


 非常に、サマになっていた。


(……こんな時に考えることじゃないかもしれないけれど、イケメンは得だなぁ)

「まったくです。わためは男性ではありませんけど、容姿が優れていると色々とお得だというのは羨ましいですよね」


「……えっ!?」


 突然左耳から聞こえてきた声に驚き、優夜は思わず反対側へ飛び退いた。

 そして、声のしたほうへと振り返ると。


 これまた制服を着た透き通るような銀髪の美少女が、口に手を当て微笑みながら優夜を見ていた。


「はい、はじめましてユーヤさん。これからお仲間さんですね?」


 その仕草はまるでいたずらが成功して喜んでいるかのようで。

 透明ながら、どこか蠱惑的な雰囲気をまとっていた。


「はぁ……おい、リーナ。"あざとく"するのはやめるんだ。そんなことをしても相手を困らせるだけだぞ?」


 目の前の少女の雰囲気に呑まれそうになっていたところを、奏牙の一言が現実へと引き戻す。


「え、あざとく……?」

「んー、そうみたいですね。少なからず嬉しがってくださっているんでしょうけど、困惑のほうが大きそうです」


 そう言った瞬間、リーナと呼ばれた少女の色めいた雰囲気は消え、透明さだけが見事に残っていた。


「……すまない、優夜。リーナに悪気はないんだ。コイツなりの挨拶みたいなものでな、俺たちも少し手を焼いている」

「それでは自己紹介しましょう。わためは榎崎えのさきリーナという名前です。だと『桜梅桃李」の『李』に『夏』と書いて『りな』って呼ぶんですけど、ちょっと可愛くないのでリーナと呼んでください。ちなみにスタイルには自信あります、彼氏募集中です」


 見せつけるかのように右腕で胸を持ち上げながら、目を閉じドヤ顔で唐突に"自己紹介"をするリーナ。

 たしかにわざわざ主張するだけのものをお持ちのようだが、まずもって情報量が多いために優夜の処理能力は軽くキャパシティしていた。


「は、はぁ」


 絞り出せたのはたったの二文字。


「……マイペースが人間の形をしているような女でな。こういう時はあまり真面目に取り合わないことを勧めるよ」


 既に何度も洗礼を受けたのだろう。先ほどのサマになっていた時から一転、明らかに疲弊を含んだ声色で奏牙がそう言った。


「ちょっと、ちゃんと聞いていましたかユーヤさん? 乙女の一世一代の自己紹介、袖にしたら許されませんよ?」


 勢いをなくした奏牙に視線を移していると、それに気付いたリーナからの追撃がきた。

 頬をぷくーと膨らませている。可愛い。


「え、あ、あぁ聞いていましたよ、もちろん。リーナさんですよね、その、よろしくお願いしま----」

「彼氏募集中です」

「え」

「彼氏募集中です」

「いや、あの」

「よろしくお願いします」

「……よろしくお願いします」


 何に対しての"よろしく"なのか全く理解が追いつかず、結局勢いに押されよろしくした優夜。

 その時奏牙は後ろで肩を大きく落とし、うなだれながら「すまん、本当にすまん……」と謝罪していたのだが、優夜の耳には届いていなかった。


「さて、よろしくしていただいたところで本題に入りましょう。この素敵な殿方はどなたですか? 黒崎くん」

「俺じゃなくて本人に聞け! というかここまでのやり取りは何だったんだよ!! ただお前が一方的に喋り倒しただけじゃねえか!」


 水浴びが趣味の冷静な奏牙は消え去り、感情に振り回される男が一人そこにいた。

 そのキレ方は年相応のものであり、これが素なんだろうなと優夜は逆に冷静に考えていた。


「怒られちゃいました」

「いや、妥当かと……」


 心底不思議そうに見てきたリーナに、優夜は奏牙への同情を込めつつそう言った。

 自分が奏牙の立場だったら、まず間違いなく潰れている。


「えっと、それでは改めて……篠見優夜です。ついさっき草むらで目覚めて、ちょっとしたトラブル経由で奏牙くんと合流して、この拠点まで連れてきてもらいました」

「なるほど」


 気を取り直して自己紹介をすると、先ほどまでとは打って変わって真剣な表情で考え込むリーナ。

 頬を軽い握りこぶしでコン、コンとノックするかのようなその仕草は、小動物的な可愛さを見る者に感じさせる。


「黒崎くん」

「すぅ……なんだ」

「彼で"6人目"、ですよね」

「ああ、優夜で6人目だな」

「他にまだいたり、なんてことはあると思いますか?」

「……いない、と断言はできないが。可能性はほぼゼロだろう。優夜と会ったのだって、半ばありえないことだったんだからな」

「そうですね、そうでした。水浴びに行ってたんですもんね。それならあなたの言う通りです」

「……『数と合わない』ことを言ってるんだよな?」

「ええ。また謎が深まりましたね」


 急に二人の間で堰を切ったように会話が交わされる。

 それは優夜にとってほとんど理解のできない内容であり、彼らの間でしか通用しない事情のうえで成り立っているのだろうということは推測できた。


「……」


 気になる。一体彼らが何を話しているのか。

 しかし、生憎と自分の記憶さえもロクに持ち合わせていないのだ。下手に彼らの会話に水を差してはならないと、静観を選択するほかなかった。


「……そういえば翔たちは戻ってきたのか?」


 おそらく察してくれたのだろう。少々露骨に奏牙が話題を変えた。


「いいえ、まだ戻ってきてませんよ。糸里いとりちゃんが一回だけ戻ってきましたけど、またすぐに行っちゃいました」

「そうか。まあ、もうすぐ日が暮れるし少し経ったら帰ってくるだろう。全員が集まったら、改めて優夜を紹介する。優夜も、それでいいよな?」

「……え、あ、ああ、もちろん! 手間かけさせてごめんね」

「いえいえ、謝ることはありませんよユーヤさん。それが黒崎くんの役目ですし」

「その通りではあるんだが、お前に言われるとなんだか釈然としないな」


 額に手を当てながら呆れたように言う奏牙。


「ということで黒崎くん、しっかり紹介してくださいよ。わための伴侶様候補というところは強調して!」

「え、まだそれ続いてるんですか!?」

「強調しねえし、そもそもそんなこと言わねえよ。というか、なんでそんなに優夜に対して押しが強いんだ? 初対面だろ」


 至極もっともな質問を投げかける奏牙。

 それを受けてリーナは、一瞬その表情を正したあと、すぐに微笑みを浮かべて返した。


「……さあ、なぜなのでしょうね?」


 その微笑みは心の底からのものにも思えて。


 ──だからこそ、優夜にとって理解ができないものだった。

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ただここには夢があり、そして とめつま乖離 @only_HDW

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