2.これは大きなチャンスだ

「あっはっはっは! いやあ、すまんな! てっきり猛獣の類かと思ってたんだが、まさかご同類とは」


 目の前の、藍色の制服を着た青年が、若々しいその見た目に反して豪快に笑う。

 黒髪の、容姿に優れた青年だ。その身体は細身ながらもしっかりと筋肉はついているようで、笑いながら組んでいる腕から伝わる力強さは、彼が華奢とはほど遠いことを表している。


 そんな青年は今、謝罪をしている。


「重ねて詫びるが、いささか粗末なものを見せてしまったな。許してくれ」


 そう、この青年はつい数分ほど前、その裸体を目の前に惜しげもなく……惜しげもなく?見せつけてくれた張本人なのだ。

 状況が状況であるだけに、彼にそういう変態性があるというわけではないのはほとんど確実だが、同性の裸を進んで見たいわけではない。


 ゆえに、謝罪をされるのは正着ではあるのだが、しかし。


「い、いや全然大丈夫だよ許す許せる! 僕のほうこそややこしいことをしてしまったわけだし、こちらこそごめんなさい」

「そう言ってもらえると嬉しいが、そちらこそ仕方のないことだとは思うぞ? 俺の素性が分からないから警戒していたのだろうし」

「それは、まあそうなんだけど……。今にして思えばちょっと考えすぎてたなって」


 そう、今冷静になって考えてみれば、一人だけまるで戦地に赴いた兵士のごとき思考だったと反省せざるを得ない。

 川のそばで鼻歌を歌いながら何かをしていたわけだから、普通に考えればそれがやましいことであるという結論には到底至らないはず。

 つまり、考えすぎだったのだ。その考えすぎで相手に謝罪をさせているのだから、罪悪感が勝る。


「考えすぎでもいいじゃないか。考えが及ばないやつよりもよほどマシだ。少なくとも、俺はそういう人間のほうが信が置ける」

「あ、あはは……、ありがとう。そう言ってもらえると助かるよ」


 この青年と言葉を重ねたのは未だにわずかだが、やや古風というか堅めの口調で話すタイプのようだ。

 おそらくは同年代なのだろうが、その口調の影響で成熟した男、というイメージが付きはじめていた。


「しかし、そうか。お前……いや失礼、君で6人目ということになるか」

「6人目……? というと、もしかして」

「ああ、ここには俺と君以外にも4人の人間がいる。もちろん、男女ともにな」

「……!」


 目の前の青年を含めて他に五人もここに人間がいる……それは安堵を覚えるには十分すぎる事実だ。

 さらに自分が喪失している記憶に関する情報が得られる可能性もあるのだから、価値としてはとても大きい。


 ぜひともその集まりに入れてほしいわけなのだが……といったところで少しまごまごとしていると、


「それで、だ。もし君がよければ、我々が拠点としている場所に連れて行こうと思うのだが、どうだろう?」

「えっ、いいの……でしょうか!?」

「なぜ突然敬語に? ……もちろん、いいに決まっているだろう」


 願ってもない申し出が青年からなされた。

 正直にいうと自分から切り出すのは少しためらわれたため、まさしく渡りに舟の提案だった。


「あ、えっと、その……ありがとう。まさかそちらから言ってもらえるとは思ってなくて、それでね……」

「言うに決まってるとも。こんな状況になっているんだからな……」


 そう言うと、青年は一瞬目を閉じた後、肩をすくめてみせた。


「そういえば、まだ名前を聞いていなかったな。俺は黒崎奏牙くろさきそうがという。君は?」

「僕は、ええと……そう、篠見。篠見優夜しのみゆうや。よろしく、お願いします」


 ほんの一瞬の間をおいて名を告げた優夜は、その時ごく自然に頭を下げていた。

 深くはないが、しかし確かな敬意と重さを見る者に感じさせる、そんな姿勢だった。


「…………っ」


 まさしく、それを見ていた奏牙は小さく目を見開いていた。

 まるで、優夜のその行為を懐かしむかのように。


「……えっと、その、そういうことで」


 沈黙に耐え難くなったのか、優夜は直立へと戻っていた。


「あ、そ、そうだな。こちらこそ、よろしく頼む……優夜」


 そう言って、返礼のように奏牙も頭を下げ返した。


「さて、それでは行くとしようか。積もる話もあるだろうが、まずは拠点に着いてからだ。ここからそう遠くはないから、日が暮れる前にはたどり着けるだろう」

「了解。ところで、一つ聞きたいんだけど」


 振り返り歩き出そうとした奏牙に向けて、優夜が問いを投げかける。


「ああ、なんだろうか」

「結局、さっきは何をやっていたの?」


 それは過ぎたことではあるが、優夜が純粋に気にかかっていたことだった。

 川で鼻歌を歌い、裸でいた奏牙。そこから導き出せるのはつまり……。


「水浴びだ」

「え」

「水浴びをしていたんだ。ぬるま湯もいいが、冷たい水で身体を清めるのもまた乙なものなのでな。たまにやりたくなる」

「そ、そう……」


 ──改めて、自分の考えすぎであったことを痛感した優夜だった。

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