第32話 晩 つきのワルツ つき あい たい

つき あい たい




 この白い部屋はどうしてこんなにも白さに拘るのか。朱に交われば赤くなるという言葉がある。もしかしたら、この白さは黒くなってしまう人を白くするために作られているのかもしれない。ただ、黒という色は強い。何に混ぜてもその色は黒くなるし、黒く滲む。だから、黒を白に染めるには大変な白さと時間が必要だろう。白を混ぜ続けなければ、白には染められないだろう。




 父はつきのワルツを書くと言った。しかし、ワルツとは二人で踊るものだ。僕にはその相手がいない。パートナーが居なければワルツなど踊れない。お見合い相手でも探してくるのだろうか。正直、今は誰とも付き合いたくはない。




 夜も耽って、だいぶ遅くなってきた。看護師さんが晩御飯を片付けて、どれくらい経ったろうか。そんなことを思っていると、部屋の外から、急に誰かが走る音が鳴り響いてくる。段々、段々大きくなり、部屋の前で止まった。




 ドクン




 何か、何か懐かしいものを感じる。女性の匂いだ。看護師さんではない。母親でもないもっと、もっと身近な人だ。扉の外で幾ばくか佇んでいる。何故入って来ないのだろう。息を整えているのか。迷っているのか。迷う事なんてしなくていい。早く、入って来て。




 そう願うと、扉がゆっくり開いた。やっぱりだ。彼女だ。彼女がゆっくりと、目を伏せがちに入ってきた。ゆっくりと、ゆっくりと。姿が全て見えた時に、彼女は立ち止まった。立ち止まって、今度はゆっくり顔を上げる。




 ああ、あの時と同じだ。初めて話したあの時と。彼女はあの時どうしたか。確か、しどろもどろになっていた。目が合った瞬間に、駆け出して行ってしまった。僕は何が何だかわからなかったけど、なんだか残念な気分になった。もっと、話してみたいと思った。




 彼女が顔を上げきったとき、目が合った。僕はすかさず、言葉を発する。もう駆け出さないように。




「おかえり」




 すると、彼女はその場に崩れ落ちてしまった。崩れ落ちて、わんわん泣き始めた。僕は彼女に泣いて欲しくなくて、もう一度声を掛ける。




「おかえり」




 彼女は顔を上げて、ぐしゃぐしゃな笑顔を向けてくる。




「ただいま」




 もう、会えないと思っていた。もう会えないと諦めていた。また会いたいと思っていた。また一緒に居たいと思っていた。そんな言葉を口にする。




「また、会えたね」




 彼女は首を何度も縦に振りながら、また立ち上がる。




「うん、また、会えた」




 彼女の想いが伝わってくる。色々な色を帯びていた。そうか、この世界は白と黒だけではないのだ。そんなことに気付かされる。彼女の言葉から、出て行ってから何が起こり、何を感じて、どうして戻ってきたのか。なんとなく伝わってきた。




「好きです」




 僕は静かにそう言った。彼女に言わせたきりになっていたその言葉を。やっぱり、こういうのは男から言った方が良いだろう。




 彼女はそれを聞いて目を見開いた。そして、また泣く。そして、何か言っている。何か言っているが、泣き声が混じって何を言っているかわからない。ただそれも、時間と共にはっきりしてくる。




「んきでぇす。私も、好きです」




 僕はにっこり笑い掛けて、もう一つの言葉を言う。




「付き合ってくれますか」




 彼女は僕に駆け寄って、僕の身体に抱きついた。抱きついて、耳元でこう言う。




「私も、付き合いたい」




 僕は彼女を抱きしめ返して、今度は夢を語った。




「もう、踊れなくなったけど。君にまた会えて、夢が出来たよ。二人で踊りたい。ワルツを、二人で。僕の右足は不自由だから、リードしてくれるかな」




 彼女は僕の身体に埋めていた顔を離し、僕の顔を覗き込む。彼女の瞳に移る僕は、朗らかだけどしっかりとした目つきをしている。




「うん。踊りたい。私、ダンス覚えるよ。誰よりも上手くなって、リードするね」




 彼女は笑顔になっていた。凄く温かな笑顔で僕の中に入ってくる。




「お願いします」




 そう言って、もう一度彼女を引き離す。彼女は一瞬戸惑って、困惑した表情になる。僕はそんな彼女にお構いなしにキスをした。誓いのキスだ。二、三秒で離れると、彼女の目が飛び出そうになっているのが見える。僕は、以前彼女がやっていた小悪魔なような笑みを浮かべた。




「もう、ずるい」




 そう言って、今度は彼女の方からキスをしてくる。今度はさっきよりもずっと長い。長い長いキスだった。キスを終え、二人でもう一度抱き締め合う。しっかりと。もう零れ落ちないように。


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朝が来て、晩が来る 桃丞優綰 @you1wan

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