第31話 晩 つきのワルツ 序




「よう、少年。元気か」




 快活な男がドアを開けていきなり入ってきた。いつの間にか夜になっている。この男と会うと、感傷に浸っていた自分がどうしようもなく阿保に思えてくる。




「もう、少年ってほど小さくないけど」




「おーう、そうだったな。青年」




 はぁ、本当に阿保らしい。なんでこのタイミングなんだ。




「何やら、足が動かなくなったと聞いたが」




 どうしてそう、人が気にしていることをぬけぬけと快活にしゃべれるのだこの男は。常識を疑うよ、本当に。




「おっと、その前に久しぶりだったな」




 遅いよ。遅過ぎるよ。なんかもう疲れる。この人。




「まあ、暇だろうからたくさん持ってきたぞ。さあ、隈なく読むのだ」




 そう言って男はベッドの上に本をぞろぞろっと落とす。ちょうど傷のある腹の上に。




「いてて」




「おう、ごめん」




 ごめんじゃないよ本当に。怪我人を何だと思っているんだ。それにーー。




「これ全部読んだことあるよ。お父さんのでしょ。小守話でお母さんが読んでいたし。小学校に上がってからも、読め読めって散々言われて、もう全部頭に入ってるから」




 そう、僕の父は小説家で序〈つき〉という名で活動している。




「ちっちっち、青年よ。文学というのは年を経る毎に趣を変えるのだ。名作は何度読んでも新たな趣を君に与えてくれるのだよ」




 自分の作品を名作と言える根性が凄いよ、本当に。




「それに、君は今人生の絶望を感じているはずだ。人はそういうときに成長し、新たな境地へと昇華されていく。つまり、人生観が変わったはずなのだ」




 全く持って余計なお世話である。この男に言われるとイライラはしないが。




「はいはい。わかったわかった。母さんは」




 父と母は所謂おしどり夫婦である。父がこうなったのは、母と出会ってからだと聞く。いや、まあ、小説に書いてあることを鵜呑みにすれば、ある程度推察できるが。




「母さんは今日は来ない。今日は森の日だ」




 二人は当初森で暮らしていたのだが、そこに住んでいたおばあちゃんが亡くなったため、それからはすぐ北の都市に移り住んだ。亡くなったおばあちゃんは血こそ繋がっていなかったが、特に母にとっては大事な人だったらしい。今日はその命日だったか、そういえば。




「母さんもだいぶ悩んだんだが、まあ、分かってやってくれ」




 まあ、正直母さんまで来なくてもいいとは思った。先も言ったが、二人はおしどり夫婦だ。正直、二人いるとうざい。一人でもうざいのに。




「まあ、そんなうざそうな顔をするな。青年。たまにはいいでないか、父子水入らず」




 ヌケヌケと人の領域に勝手に入ってくる奴と二人きりなどごめん被る。




「大丈夫だから、もう帰っていいよ」




 そう言って、窓の方を見る。もう外からは光が入って来ない。




「ほう、大丈夫か。あまりそうは見えないがな。青年よ。聞くが良い」




 そう言って男は大げさに息を吸った。




「魔法が使えても、人を殺したりするようなことに使ってはいけないぞ」




 急に声を落として、真剣な面持ちでそう言った。こういうところは凄く父らしい。いや、わかっている。父がわざと明るく振る舞ってくれているということは。親子だからよくわかっているのだろう。僕がどうやったら明るくなれるのか。暗い闇に囚われないのか。うざいけど、有り難い。




「魔法なんて使えないよ」




 呟くようにそう応えた。魔法が使えたら、怪我など治せるだろうに。




「いいや、君は使えるさ。なんたって、母を魔女に持ち、偉大なる父もまた魔法使いなのだから」




 そうは言うが、僕は二人が魔法を使っているところを見たことが無い。いや、父に言わせれば魔法とはメルヘンの類いのそう言ったものではなく、現実的なものなのだという。例えば、父が自らを魔法使いだと豪語するのは、父が小説を書けるからである。父にとっては小説が魔法なのだ。




「小説の書き方なら、いくらでも教えてやるぞ」




「いや、いいよ。たぶん向いてない」




 父のようにマジカルに小説を書くことは出来ないと思った。かと言って、現状やりたいこともないが。




「そうか、まあ困ったことがあったら、何でも相談しなさい。私も母さんも、いつもお前の傍にいるから」




「ありがとう」




 僕がそう言うと、父は二カッと笑い返してくる。




「よし、では。新しい魔術の開発に勤しむため、この辺りで失礼するよ。題は、つきのワルツだ。踊ることが出来なくなった青年が奇跡の復活を果たし、大衆の前で踊る話だ。私の魔法で、青年の足を治してしんぜよう」




「ありがとう」




 全く父にはいつも翻弄される。翻弄されるが、いつもありがとうと言いたくなる。本当にすごい人だよ、この人は。僕の知っているただ一人の魔法使いだ。




「ちゃんと、書いてよ」




「ああ、勿論だ」




 父はそう言って部屋から出ていく。なんて白々しい人だろう。ずっと、明るいままだった。もっと、まともな人だろうに。

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