第30話 晩 つきのワルツ 月夜見尊

月夜見尊




 目が覚めると、日がだいぶ傾いているのがわかった。陽光が角度をつけて窓から差し込んでいる。目の前がぼんやりと滲んでいるようだった。




 夢を見た。いや、夢なのだろうか。頭の中で今朝方の出来事が反芻されている。寝ても覚めても。反芻されている。今朝はちょうど、今みたいに目を覚ましたのだった。




 真っ白な空間が目の前に飛び込んでくる。天国かと錯覚するほどだ。最初、自分のいる場所が分からなくて、ぐらぐらと落ちるような感覚が押し寄せてきた。と、自分でない息遣いが聞こえてくる。そこで漸く自分がまだ生きているのだとわかり、世界がはっきりとしてきた。一人の女性が、自分のいるベッドに突っ伏している。僕は、しばらくその様を見つめていた。




 顔をこちらに向けている。




 髪の毛が少し顔にかかっている。




 寝息が静かに聞こえてくる。




 髪の毛を払ってあげようと思った。




 肌が触れる。




 女性は目を覚ました。




「おはよう」




 静かに語り掛ける。




「あっ」




 女性は目を開けたかと思ったら、そのまま目を見開いて涙を溜め始める。




「良かった」




 女性はうん、うんと頭を縦に振っている。それでいて何かをしゃべろうとするが、上手く言葉にならないらしい。ガラガラ声が呻いているようにしか聞こえてこない。それがおかしくって僕は笑った。すると、女性も釣られて笑う。そして、泣いた。止めどなく。泣いた。ひとしきり大きく泣いて、それが収まらぬうちに僕に顔を向ける。そして、苦しそうに、すごく苦しそうに、絞り出すように言った。




「もう、踊れないんだって」




 静かに鳴っていた心臓の鼓動が早くなる。体中に血液を送った。隅々まで血液を送って確かめる。




 ああ、本当だ。ここが動かない。




 目の前の世界が踊るように揺れ動く。




 ああ、動けない。




 動かない。




 踊れない。




 世界は踊っているのに。




 目から何かが零れていく。ステージを思い浮かべた。何万人も入るようなステージだ。僕はその中心にあるステージで踊っている。夜だった。夜だったけども暗くない。明る過ぎるくらいだ。活気がある。野外だった。活気は遠い隣の国まで届いてしまうほどだった。世界が滲んでいく。滲んでいって、零れていく。零れていってしまう。




 待って、行かないで。




 そう言って僕の思いが滴となって、手を伸ばすのだが、その滴も一緒に連れて行ってしまう。




 待って、待って、行かないで。




 連なった滴は、いつの間にやら滝のように流れていた。そして、滝が轟音をあげる。




「ごめんね。私のせいだ」




 女性が伏せがちそう言った。私のせい。女性のせい。どういうことか。ああ、そうか。どうしてこうなったのかを思い出した。




 雪が積もっていた。バイクが爆音を鳴らして後ろからやってきた。女性は驚いて、雪に足を滑らせて転びそうになった。僕は転ばないように支えようとした。そしたら僕まで滑ってしまった。勢いで道路まで出る。バイクが来た。バイクが寸でのところで僕から逸れた。バイクは電柱にぶつかった。破片が飛び散る。そう思って、僕はとっさに女性を覆うように膝立ちになった。背中から強い衝撃が走る。色んなものの感覚が飛んだ。痛くはない。ただ、何かが自分の中から飛んでいった気がした。そして、苦しくなった。そして、気を失った。




 女性のせい。バイクのせい。雪のせい。僕のせい。神様のせい。わからない。女性が女性のせいというのならそうなのだろう。女性のせいだ。




「どうしてくれるんだ」




 何かが爆発した。自分の中で何かが爆発して、僕は粉々になった。爆発した破片が女性に突き刺さる。女性の顔が、破片に塗れてぐしゃぐしゃになった。




「ごめん。ごめんね」




 うねるように女性は身体を前後に揺らしながら、ごめんねと言い続けた。僕は小さくなっていく女性を見て、後悔する。女性のせいなどではない。女性のせいだけではない。僕はなんてことをしてしまったのか。




「「別れよう」」




 どちらともなくに、そんな言葉が紡がれた。少しびっくりして、時を止め、お互い見つめ合う。ほんの少しだけ笑った。二人で。そして、時が動き出す。笑っている顔はぐしゃぐしゃになり、女性は駆け出した。




 思い出していたら、また滴が落ちてきた。あれだけ零したのに、まだ残っていたとは思わなかった。僕は心で少しだけ笑った。




 小説で魔女が言っていた。強く強くイメージすれば、それは現実に起こるのだと。僕は、強く強くイメージしてみた。女性と出会ったあの場所に、もし彼女が来たならば、僕の想いを伝えて欲しい。噴水が出るあの広場で、噴水よりも勢いよく高らかに、好きですと、伝えて欲しい。君は僕の太陽で、僕は月であったのだ。二人いなくては地球を照らせない。僕らは地球に住んでいる。光が無くては生きてはいけない。僕らは星の巡り合わせ。この世界を照らす天照大御神と月夜見尊なんだ。でも、僕は、月であることに慣れ過ぎてしまっていたようだ。光を受けるだけで自分からは輝かない。それでは君も疲れるだろう。だから、今度は僕が太陽となってみせるさ。だから、だから、戻って欲しい。




 ううん。違うな。馬鹿げている。もう、僕のエゴは押し付けないよ。ただ、君が幸せであればいいさ。

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