第29話 晩 つきのワルツ 楼
楼
ボーっとしていた。ボーっと。ボーっと見つめていた。白い世界を。ボーっとしていたら、少し部屋の外が騒がしくなる。それで現実に戻された。パトカーのサイレンと従業員の駆け巡るような騒々しさがあった。一体何があったのか。
今の僕は楼閣に囚われた遊女のようだと思った。外に出ようと思えば出られなくもない。ただ、出たところで連れ戻される。自由が無いわけではない。ただ、それは制限された中での自由だ。五体満足とはいかない。この楼閣にあるのは憂鬱と苦痛だけ。いつしかそこは僕達を人でないものに変えてしまうのだろう。そんな気がした。
昔、楼〈つき〉という名の魔女の話を読んだことがある。その本によると、魔法とは欠けたものを埋めるために備わるものなのだそうだ。楼はいつも暖炉を見つめていたらしい。欠けた世界を見つめていたらしい。ボーっと。ボーっと。
もし、占いが必ず当たるのなら、もうそれは予言とか魔法のそれと同じなのだろう。あの女の人はメンヘラだった。普通の人はメンヘラにはなりえないだろう。きっと、何かとてつもない欠陥を携えたに違いない。そしてそれが、占いという特殊能力をあの女の人に与えたのだろう。逆を言えば、占いを切り離したらあの女の人は生きていけない存在になる。大きな穴ぼこを埋めるために占いが支えていたはずなのに、それがすっぽりなくなってしまうからだ。凄い抵抗が表れるはずだ。物凄く力強く、破壊的な、衝動的な、本能が、存在を支え直すために。それがなければ、楼閣に囚われた遊女のように人でなくなってしまうのだろう。
楼もまた遊女だった。母を早くに亡くし、父は多大なる借金を残して失踪。そのツケを払うために囚われてしまった。それが楼の十四の時。これが事実なら笑えない話だ。
そう言えば、楼の小説は実体験を基にして創られていたものだと著者は言い張っていた。つまりは小説ではなくドキュメントだと。勿論魔法が出てくるドキュメントなど誰も信じはしなかったが、それでもその小説には妙な説得力があった。魔法がどういうものであるかをしっかり書いてあったからだ。
楼は十七を迎えた時に、とある資産家に拾い上げられた。今度は遊女としてではなく、メイドとして仕えることになる。傍から見れば、鎖で繋がれているような状況に変わりがないが、楼閣に比べれば幸運な状況だ。少なくても楼にとってはとても幸運なことだった。楼はその資産家に恋をしたのだから。その瞬間から楼は人間に戻れた。人間として、一人の女として生きていけたのだ。二十五の歳を迎えるまでは。
資産家に結婚の話が舞い込んできたのだ。その時資産家は三十二。確かに結婚するならそろそろしなければという歳だ。何よりも、彼の抱える財閥のメンツもある。資産家は政略結婚を強いられた。
当然、楼は絶望した。そして、その時発現した。所謂魔法が。資産家は楼と駆け落ちしたのだ。無論、それが本当に魔法なのかどうかはわからないが、少なくとも楼にとっては願ったり叶ったりだった。好きな人と一緒になれるというのだけではない。売春、そしてメイドという繋がれた呪縛からの解放でもあったのだから。そこからは一人の女として生きていける。自由な世界で。好きな人と。
ただ、その魔法も三か月ばかりで効果が切れてしまった。彼は家へと連れ戻されてしまったのだ。そして二人は死ぬまで会えずに生きていくことになった。と、いう話だ。
もし、魔法が本当に欠けたものを埋めるために備わるものだとするのなら。僕も使えるのではないだろうか。もし、使えるならば、あの小説は著者の言う通りのドキュメントだったのだろう。そんなことを思って、手を前に突き出してみた。
動け、動け、動け。
何も起こらなかった。自分の手を見つめてみる。何の変哲もない手だ。足りないのだろうか。悲しみが。楼は確かに悲惨だったろう。でも、僕だって負けてやいない気がする。いや、そんなことないのかな。
ふふっと笑いが出る。馬鹿げた話だ。魔法だのを、小説だのを真に受けるなど。なんか、考え疲れた。少し寝よう。そう思って、静かに瞳を閉じた。
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