つきのワルツ

第28話 晩 つきのワルツ ツキ尽きる

ツキ尽きる




 真っ白い。空が真っ白い。僕に見える空は真っ白い。よく見れば、右も左も真っ白い。僕は今、真っ白い世界に居る。




 昨日は雪が降っていた。子供の時は雪が好きだった。何か特別な物が空から降ってきて積もる。降り積もった物を丸めたり、投げたり、ドーム状にしたり。雪は天からの変幻自在な贈り物のようなものだった。




 それも、大人になるとそれほどの嬉しさは残っていなかった。交通機関が混乱するからだ。自転車は転ぶので使えない、電車は利用者大殺到でダイヤが乱れまくり、車も低速必須で渋滞気味。もちろんバイクも危険極まりない乗り物とかす。視界も悪いし最悪だ。雪の日に乗るのは是非避けて欲しい。一番事故に繋がる危険性のある凶器なのだから。




 自分のお腹を見る。白い雪のようなものに覆われていた。それは体が冷えぬように掛けるものなのだが、雪のように冷たく感じる。覆われた奥にあるお腹も白いのを知っている。ぐるぐると包帯に固められているのだ。幾ばくか疼く。蛆でも這っているのだろうか。まるで腐った肉の塊。ミイラだなと思う。もう一度天井を見る。白いけど、白いものは降って来ない、か、ここなら。




「こんにちは」




 いつの間にか人が隣に立っていた。黒い人だ。黒いフードを被っている。いつの間に入って来たのだろう。若い女性の声だ。何しに来たのか。




「私は、しがない占い師をやっております」




 占い。正直興味が無い。と、いうより何なのだ、この人は。人が休んでいるところに勝手に入ってきて。いや、まあいいか。特にすることもないし。




「はい」




「貴方は死の運命に巻きこまれてしまったようです」




 死の運命。ああ、思い当たる節はある。そういうものなのかな。よくわからないけど。運命とかそういうので説明出来ることなんだ。




「お気の毒に」




 お気の毒って、わざわざそれを言いに来たの。意味が分からない。何がしたいの。




「ただ、貴方は死ななかった」




「それで」




 ついと、言葉が出た。力なしに、雪のように冷たく、しっとりと。




「貴方は死ななかった代わりに大切なものを失いましたね」




 応えたくないと思った。あまりにも一方的過ぎる。




「それで」




 もう帰ってくれと半ば思いながら、占い師とは別の方、ちょうど窓のある辺りに目をやる。




「不公平だと思いませんか。巻きこまれただけなのに」




 知ったことか。何を言ってももう戻りやしない。




「それで」




「貴方には。復讐の権利が与えられています」




「復讐」




 さっきから意味の分からないことを言う。復讐。これは事故なのだ。恨んでも仕方がない。そんなものには興味はない。




「貴方を轢いた相手はまもなくこちらへ来ます。彼は、自分が受けるはずだった不幸を貴方に押し付け、貴方が受けるであったであろう幸福を受けました。理不尽じゃありませんか」




 事故をきっかけに運勢がひっくり返ったという事か。まあ、もしそれが本当なら、確かに理不尽だ。




「これから彼と話すにあたって、貴方は彼に運勢を返し、運勢を奪い返すことが出来ます」




 この女は何を生真面目に奇天烈なことを言っているのだろう。頭がおかしいんじゃないか。




「大丈夫です。だからと言って、彼が死ぬ訳ではありませんから。彼もまた、選択出来るのです。私を選ぶか、彼女を選ぶか。生きるか、死ぬか」




 なんだ、ただのメンヘラか。痴情のもつれに巻きこまれてしまったのか。ちょうど、死の運命とやらに巻きこまれたように。まあ、そういうことならお返しした方がよいのだろう。これ以上構って欲しくない。




「で、どうすればいいの」




「簡単です。今いる婚約者とではなく、私と結婚することを贖罪の条件に出してくれればいいのです。後は彼次第です」




 贖罪ね。もともと責めるつもりなどないのだけど。あれは事故。天候が悪かっただけ。そう思ってないと、頭が狂いそうになるから。




「では、私は彼が生きられるように。先に会って、その方法を伝えます。貴方の言う事を聞くようにと」




 女というのは面倒臭い生きものだ。何故人を巻き込むのか。何故自分でどうこう出来ないのか。心底嫌になる。




「では」




 黒い女はそう言って部屋を出て行った。静寂が戻る。僕は深呼吸をした。白い部屋の空気を取り入れ、黒


く濁った物を吐き出すために。




「こんにちは」




 程なくして、本当に彼がやってくる。黒いスーツを着ていた。こいつも黒い。早く、帰ってくれないものか。




「こんにちは」




 とりあえず、挨拶はする。




「その節は、誠に申し訳ありませんでした。少し聞いたのですが、脊椎を傷つけてしまったとか」




 脊椎を傷つけた。そう、傷ついた。傷ついて、右足が思うように動かなくなった。彼の口からそれを聞いた時、抑えていたものが爆発しそうになる。まるで、自分の中で噴火が起こっているみたいだ。熱い激しいものが噴き出している。僕は、それが外に出ぬように、身を屈めた。その時、うぅっと声が漏れる。




「大丈夫ですか」




 彼が心配をして、僕の背中に手を回し、介抱しようとする。僕はそれを振り除けた。




「大丈夫です。なにもかも。帰って下さい」




 僕はそう言いながら彼を睨み付け、息を整える。




「すみません。何をしたら良いのやら」




 何をしたら良いのやら。何もしなくていいと、言いそうになったとき、占い師の言葉を思い出す。




「では、今している婚約を破棄して下さい」




 本当は言うつもりなどなかったが、魔が差した。早く、この空間を白に染め直したかった。




「それは」




 彼は言い淀む。その困惑した表情を見られただけで十分だ。占い師も、言えばそれでいいと言っていた。後は彼が選択することだと。頼みごとの責務は果たせたことと思う。




「それだけは、すみません」




 断った。ということは彼は死を選んだと言う事なのだろうか。まあ、占いなど当てになるものじゃない。それが正しいと思う。婚約者がどういった人かは知らないが、あのメンヘラよりはだいぶましだろうし。




「冗談ですよ」




 笑いこそしなかったが、きつくも言わなかった。それでも、彼はだいぶ安堵したらしい。詰まっていた息を吐いている。




「もういいですから、帰って下さい」




 淡々と、淡々と言った。目線も窓の方に向ける。どうせいずれ警察署かどこかでまた会うのだ。今どうこう話さなくていいだろう。




「わかりました。ありがとうございます」




 察してくれたか、彼は素直に引き下がる。彼が出て行った。僕はまた深呼吸をする。やっと一人になれた。そんなに長い時間は経っていなかったが、今は異質なものに触れたくない。この白い世界に身を委ねていたかった。




 ふと、外の景色が気になった。昨日の夕方にはもう止んでいたが、その時にはだいぶ積もっていた。もしかしたら、外もこの白い部屋と同じくらい白い世界になっているかもしれない。そう思って、看護師さんを呼ぶ。




 看護師さんは白い。その白い姿で手慣れたように僕を車いすに乗せる。だいぶ、痛んだが平気な顔をして誤魔化す。窓辺まで行き、少し窓を開ける。外の空気が入って来た。ひんやりしている。予想通りまだ雪が残っている。そこそこ白い世界が広がっている。




 そんな白い世界だからか、見たことある人影だからか、黒い塊が視線を留める。フードを被った黒い塊が、病院の入り口付近に向かって佇んでいる。何をしているのだろうと思っているうちに、もう一つの黒い塊が外へと歩いてきた。彼だ。二人は幾ばくか話している。




「また君か」




「迎えに来ました」




「私は占いを信じないことにしたよ。君ともこれきりだ。忠告はありがたく受け取っておく」




「占いは当たります。貴方と私は運命で繋がれているのです。それを無理に引きはがそうとしたら、事故では済まされませんよ。ただでさえ、ルールを守れなかったのでしょ」




「私はもう死んだ。そして生まれ変わった。だから確かに貴女の占いは当たったよ。でも、生まれたての赤ん坊に運命を押し付けるのは少々酷ではないかい」




「いいえ、死ぬというのはそんなことではないですよ。占いは嘘をつかないのです。特に私の占いは。私は貴方を死なせたくない。生きていなければ幸せなど無いのですよ」




「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。生まれ変わった私は、もう占いに翻弄されないと決めたのです。色々ありがとうございました。でも、たまには外れてもいいじゃないですか。死ぬ占いなど。貴女も早くそんなしがらみから解放された方がいい」




「私の占いは絶対です」




 フードの女の手元にきらりと光るものが見えた。そして、それが男性に吸い込まれていく。




 なんていう風に見えた。馬鹿馬鹿しい。ただの想像だ。ここまで会話が聞こえてくるわけがない。ただ、なんとなくそんな気がしただけだ。もう踊ることは出来ないが、小説くらいなら書けるかもしれない。ふと、そんなことを思う。




 窓を閉め、また看護師さんを呼ぶ。あの二人は抱き合っていただけかもしれない。もしそうなら、メンヘラ曰く彼は生きていけるのだろう。移動中、女の高笑いが聞こえてきたのは気のせいか。看護師さんがベッドに寝かせてくれる。また、真っ白い世界に戻った。

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