第27話 夜 うるわしの少女 うるわしの少女2

うるわしの少女2


「大丈夫ですか」




 少女が声を掛けてくる。身体が重い。濡れている。背中が、頭が温かい。少女が私を抱えている。




「うん」




 言葉が出た。ぼんやりとしていた思考がはっきりとする。言葉が出た。人だ、人になった。意識を身体の方にゆっくり向ける。手がある、腹がある、足がある、動く。




「初めまして」




 少女が微笑みながらそう言ってくる。話しましょうって言われた気がした。




「初めまして」




 私は身体を起こし、少女に向き直ってそう応える。少女もまた濡れていた。




「何からお話ししましょうか」




 いくらか微笑みが増して少女の言葉が活き活きしてくる。




「では、どうして家出をしたんですか」




 私は一緒に微笑みながら、そんなことを聞いてみる。




「辛かったから、あの人たちの優しさが。息苦しかった」




 少女はへロリとそう言った。




「そっか。私も昔はそう思うこともあった。私も孤児になったからね。でも、私はそれでも感謝したよ」




 私もへロリとそう言う。




「う~ん。だって。嬉しくない」




 少女は顔を伏せながら、考え込む。




「嬉しくないけど。嬉しいだろ。いや、有り難いことさ」




 私は少女の目を、しっかり見るようにしながら言う。少女はそんな私の目を見て、また下を向く。




「まあ、そうなんだけど」




 少女はやはり少女だ。なんだか可愛らしい。十七歳というが、心はまだ純だ。その純は輝かしいものでもあり、危ういものでもある。




「連れ戻しに来たとき、どうしたの」




 探検隊やら何やらが探しに沢山来たはずだ。全員行方不明ということだが、どうしたものか。




「鷲に変えちゃったよ。でも、大丈夫。もう戻ってるよ。わたしのことは忘れてると思うけど」




 なるほど、そういうからくりか。まあ、そう聞いて安心する。少なくても人殺しではない。




「なろほどね。虐待もされてたんだっけ、そう言えば。そう聞いたんだけど。辛かった」




 もう一つの疑問を聞いてみる。




「辛かったかなぁ。よくわからない。嬉しくなかったというか、面白くなかったというか。あんまり食べ物作ってくれなかったり、学校に行ったりするの、全然関係ない感じだった。忙しかったから。しょうがないのかなって。優しい時もいっぱいあったし。イライラしてる時もあったけど、なんか不器用なんだなって」




 少女の中ではまだ整理がついていないことのようだ。傍から言わせれば、ひどい親だが。傍から見るほどに少女は嫌悪感を持っていない。




「お母さんたちが死んだとき。凄く悲しかった。もっと一緒に居たかった。愛し合いたかった。なんか、やるせなかった」




 嫌悪感だけが先立っていれば、一緒に居たいとは思わなかったろう。おそらく彼女ら親子は時間が無かったのだ。過ごした時間が、経っている時間に比べて少な過ぎたのだ。……おそらく、か。




「もっと、一緒に居たかったんだね。私もそうだった」




 自分と重ねてみる。いや、重なる部分がある。なんだかんだで似た者同士だ。




「私も母を早くに亡くしてね」




「魔女のお母さん」




「そう、魔女のお母さん。父のことは知らない。生まれた時からね。だから、お母さんとずっと一緒に居た。でも、そのお母さんも居なくなってしまった。もっと、一緒に居たかったよ」




 自分をありのままに語るというのは、どこか恥ずかしいものだなと思う。私は小説を書いているので、自己を表現することが多いのだが。こう、直接的に語ることは少ない。世間一般の美意識の問題なのだろうが、ありのままというのは美しくないのだとか。




「一緒に居たいよね」




 少女と私で違うところは、少女は適切な愛情を求めんがためにもっと一緒に居たかったのであり、私は単により長く愛情を感じていたかったというものである。まあ、全部が全部同じというわけでもあるまい。




「帰ろっか」




 身体が濡れているというのもあって、だいぶ肌寒さを感じ始める。このままだと、二人とも風邪を引く。




「そう言えば、服は回収出来た」




 そうだ、そもそも服を取りに来たのだと思い出す。




「うん。私は着替えある」




 と、同時に崖から落とされたのも、鷲にされたのも思い出す。いつの間にか、滝に居る。




 やはり魔法なのだよな、と改めて思う。




「私だけ損してないか」




 そんな言葉を投げかける。と、少女は笑い出した。




「気のせい気のせい」




 イラッとするよりも笑いの方が先行する。もう、笑い話だ。




「早く風呂に入りたい」




 と、歩き出す。散々飛び回っていたから、もう道はわかる。




「うん、二人で入ろーー」




 リズミカルに少女がしゃべり出し、




「一人で入る」




 スパッと少女の発言を切る。そりゃまあ、男にとっては夢のようなことなのだが、なんというかゆっくり入りたいのだ。ゆっくり出来ない。




「なんでぇ。もう裸同士で語り合った仲じゃん」




 それは同性に使う言葉ではなかろうか。どこまでが本気なのか、疑わしい。うん、疑わしい。疑わしいか。いや、待て、これも、か。




「誘ってるのか」




 言いながら目を伏せる。もう私を殺してくれ。いや、もう殺されている気がする。悩殺とはこのようなときに使うのか。




「さっきから誘ってるよ」




 いや、馬鹿。そう意味ではない。ああ、もう何故言わせるのだ。




「そうじゃなくてだから、その、男と女という性別の違いを分かって誘ってるのか。彼にも君ももうそろそろいい大人だろう」




 こんなにも言葉を発するのに疲れることがあろうか。あまり妄そ、想像すると鼻血が出そうになる。テレパシーでも使えないものか。




「関係ないじゃん」




 関係あるよ。




「そんなにやなの」




 嫌じゃないけど嫌だ。




「じゃあ、お風呂じゃなくて、一緒に寝よっか」




 ど、ど、ど、ど阿呆。




「どう」




 どうじゃない。どうじゃないだろう。い、一緒に寝るだ。一体どれほどの意味を持ってこやつは口にしているんだ。どれほどのーー。どれほどの……。はぁ。




「わかった。隣で寝るだけな」




 何か凄く負けた気がする。だがもう疲れた。彼女の好きにさせよう。いつか必ず仕返ししてやるからな。と言いつつ、思い浮かべたのは風呂を誘い返すということだったが、効果はなさそうだ。私はこれからずっと、少女に翻弄されていくような気がする。




 森の道がさほど暗く無く感じるのは何故だろうか。少女も私も懐中電灯を持っているから。いや、そんな陳腐な理由ではあるまい。月と、星々の光が地面までしっかり届いて来ているのだ。少しばかし枝葉が開けているのだろう。




 隣で歩く少女は屈託なく笑っている。その顔を見ると王様になったような気分になる。この国の繁栄は私の手によるものだ。私の手でこの繁栄を守ってゆきたい。この国を大きくしてゆきたい。




「そう言えば、暗い所はもう大丈夫」




 宿題が他にもあったのを思い出す。




「うん、もうそこまで暗く感じないから」




 少女は胸の奥から清々しい風を吹き起こす。森の匂いが立ち込めるようだった。




「高い所は」




「大丈夫だよ。もう下じゃなくて、前を見ればいいから」




 ぐわんと胸の前から一歩、少女が大きく進んだように見えた。崖だと思ったその先は、地平の彼方へ続く道だったようだ。




「そっか」




 真っ暗な木、真っ暗な道。その先を見つめると、暗闇に飲み込まれそうになる。そんな森もいつの間にか色味を帯びていた。木の幹の茶色、木の葉の緑、砂利の灰色。薄暗い中にもその色彩がわかる。なんだ、案外と普通の森ではないか。




 家が見えた。純粋なる乙女が住む家だ。私は乙女ではないが。戻ってきたという気分になった。一緒に住めるだろうか。ふと、隣の少女を見る。少女も何故か私を見ていた。ドクン。鼓動が森に響き渡った。








 涙ぐましき潤わしの少女




 容姿端麗な麗しの少女




 鷲を売っている売る鷲の少女




 純粋無垢なうるわしの少女








 風がなびく




 穏やかになびく




 豊かになびく




 鷲が空を舞っている




 夜の明かりに照らされて




 輝きを全身に纏わせて








 ああ、心地良い




 綺麗だな




 自由に、優雅に、羽ばたいている。


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