高黄森哉

そっちの水は苦いぞ

 蛍。夜のビルの壁に止まってる、光たち。それは、俺達の光。

 

「迷惑ですよね。仕事が伸びちゃって、一体いつ帰れんだか」

「はぁ~、先輩帰っちゃいます?」

「いや、ヌルポじゃだめだな」

「ガッ」


 新米はキーボードを叩く。俺達は別に、プログラミングをしているわけじゃない。広告の企画を通そうと、してるだけだ。この情報化社会に、なぜ、俺達の会社はサニーサイドアップという動画サイトに広告を打たないのだろうか。


「まさかさ。残業が増えるだけとは思わなかったよなぁ」


 一か月前。睡眠時間を、無しに出来る薬が開発されると、会社は、仕事時間を2倍にした。仕事以外の自由時間が人生なら、人生は二倍にはならなかったのだ。むしろ、相対的に人生が減ったと言えよう。その代わり、給料は沢山出る。


「あっ、蛍だ。先輩、蛍だ」

「なんで、こんなところを飛んでんだろ」


 赤い発光が、沢山、ユラユラと宙を舞っている。都会に蛍というだけで、珍しいのに、こんな高いどころまでよくもまぁ。

 俺は、椅子に深く腰掛けたまま、後輩が俺に話しかけるのを待っていた。


「これが、未来か。未来は、思ったよりも現実で、堅実なんですね」

「そうだなぁ」

「あれ!? 先輩、隣のビル、燃えてません?」

「え゛っ」


 そうだ、さっきの蛍は火の子だったのだ。


「逃げないと」

「おう、内のビルの警報機も鳴らそう。ほら、ボタン押す奴だ」


 てんやわんやで、ビルから出る。そして、ビルを見上げると、もう、火は消えていた。あれは、幻覚だったのだろうか。


「さっきのは、幻覚か?」

「同じ、幻覚を共有するなんてあり得るんでしょうか」

「いいや、ない」

「じゃあ、あれは一体」

「あれは、夢だ」

「夢?」

「俺たちにちょっかいを、かけて来てるんだ。俺たちは睡眠と、そしてその副産物である夢を捨てた。でも人間は夢を捨てることは出来なかったんだ。夢の機能を知らないまま、それを捨ててしまったから、だから、人間は取り戻そうと抑制していた夢の機能を開放し始めたのだ。それは、きっと、集合意識と呼んでいたものなんだ」

「違うと思います。だって集合意識なんてオカルトです。そうだ、きっと、夢を見ないことで、人間の思考を整理する機会を失ってしまった。だから自覚していないだけで、普段から頭に夢のようなカオスが、燻っているんだ。催眠に、かかりやすい状態になってるんだ。ぼく、さっき、蛍、見てないんです」

「嘘か」

「そうです。それでも、混沌の中で現実感を失った僕たちは、信じるしかなかった。こんなに明晰なのに、都会に蛍がいて、こんな高層を飛んでいる、筋だってない理論を簡単に信じてしまった。つまり、さっきのは気付かないうちに、声にするだけで自己暗示にかかってしまう危うい状態に陥っていたんだ」


 俺は、自販機でカフェインがキツイ、眼が冴えるようなドリンクを二つ買った。


「直に俺たちは、現実と夢が区別できなくなって、理論だってない世界のなかで、狂気に陥るかもしれない。その前に、面白いことをしよう。道行く人に暗示をかけまくるんだ。俺達はこれで、脳を起こして、催眠にかからないようにするという魂胆だ」

「いいですね。最後にぱーっとやりましょう。それは、飲まないで起きます」


 俺たちは、辻斬りのように次々と、道行く人に囁きかけた。後輩は、通りを猥雑にしようと不信していたが、俺はもっぱら人を物にかえていた。


「お前は、犬だ。セントバーナードだ」

「ウー、ワンッ!!」

「君は、破廉恥なストリークイーン」

「ワォワォワォ、ワンッ!」

「貴様、あの時、俺の膝を蹴った、アイツだな。じゃあ、お前は、大根おろしだ」

「シャカシャカシャカシャカ」


 狂気のエピセンター、同心円状に広がっていく。俺のそばを、やじろべえ、を名乗る変態が通り抜けたかと思うと、今度は緑の狐を装った親子がスキップしていた。横から、尺八のような雅な口笛が流れてくる。


「後輩?」


 可哀そうに。後輩は、カフエイン飲料を拒んだがゆえ、楽器になっていた。俺も、その音色にクラりと来てしまう。クラリ、クラリ、クラリネット。

 危ない。俺まで、楽器になるところだった。後輩が尺八になって独りになってしまうと、急に魑魅魍魎が溢れた、この街が怖くなった。逃げるためには、多くの飲み物が必要だ。俺は取り敢えず、後輩に買った分を飲み干す。そして、駅までの分を確保しようと自販機にすり寄る。


「ギャ!」


 自販機だと思って、ボタンを押すと、それは中年男性の乳首だった。どうやら、カフェインに耐性が着いてしまったらしい。夜の、色モノに溢れた、路地を駆け抜けて、今度はドラッグストアに駆け込む。そして、大量のカフェイン錠を強奪して、その場で貪った。その、すりつぶす響きとは別に、こんな音が聞こえる。


「シャカシャカシャカシャカ」


 股間をすりおろしながら、例のあの男が、俺を付けてきたらしい。観察すると、彼の彼たらしめる、部位は、”彼”ではなくなってしまっている。大根おろしは、俺の大根を、感知してか跳躍してきた。俺は、その男の下をスライディングでくぐる。そして、ガラスを突き破り、路上に着地すると、タクシーを捕まえた。


「どこまでになさいますか」


 驚いたことに、そのタクシーは、女子大生だった。ただ、女子大生が四つん這いになっていただけであった。しかし、俺には時間がない。すぐ後ろで、今まさに大根おろしが立ち上がろうとしている。


「品川駅までだ。チップははらう。飛ばしてくれ」

「承知しました。お客様、参ります」


 ぐんぐん、薬局が遠くなっていく。女子大生の後部座席で、私はほっと一息を付いた。これで、彼、ないし彼女に追いつかれることはないだろう。そう思い、振り返ると、大根おろしが、セント―バーナード犬にお世話になって、直ぐ後ろに張り付いていた。仕方なく、俺は、女子大生の耳元でささやいて、レッツ! 光になってもらった。光速の緑、ホタルノヒカリ号だ。



【相商ビルの前、男たちが暴れ狂う】

 今日深夜、男が女子大生に馬乗りになった状態で、大根おろしを名乗る男と取っ組み合いになっているところを、警察が逮捕した。裁判では迷惑防止法がどうのこうのが、争われる模様。男の弁護士は、『私はタケノコです』、とのことで、男の精神異常を訴えてる。なお、私は新聞。私は新聞紙でお送りしています。


 品川駅の前の通りで、新聞紙を名乗る中年が、そう叫んでいた。俺は、ようやく駅に着いたのだ。あとは帰宅して、そして、ゆっくり寝よう。


 おやすみ。

 おやすみなさい。

 俺はベット。

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高黄森哉 @kamikawa2001

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