第18話「微かな違和感の正体」

 それから数十分、妹との会話は続いた。

 お互いに今日学校で何の授業を受けたのかとか、体育祭ではどんな種目があるのかとか、家族がするような……そんな至って普通の会話をした。


『あ、そろそろ買い物行かないと!』


「あぁ。今日、母さん達遅いのか」


『そっ。だから、作りたい料理の材料買いに行かなくちゃいけないの』


「そっか、頑張れよ。くれぐれも台所は破壊するなよ?」


『そんなことしないから!!』


 そう言うと、一方的にプチッと切れた音が鳴る。


 実家に居た頃はずっと家の中にいたこともあって、料理は基本的にオレが作っていた。実家を出るためというのもあったが、帰りが遅い両親の代わりに、家族分の料理を作ることが1番の目的だった。そして、オレの作ったご飯を美味しそうに食べてくれる妹の顔を見ることが、何よりも嬉しかったっけ。


 この間帰ったときにも思ったが、あんなに小さかった千夏が台所でハンバーグを作ってくれていたのを見て、本当に成長したんだと思わされた。

 それ比べてオレは……いつまで過去を引き摺ってるんだろう。


「電話、終わったの?」


「……まだ居たのか」


「勝手に居なくなる方が失礼だからね。それで? 何の話してたの?」


「お前には関係ないだろ」


「――ま、全部丸聞こえだったけどね~!」


 ……後で本気でこいつのこと殴ろうかな。せっかくこいつにだけは一瞬だけ触れられる事実を得たわけなんだし、今こそそれを実用するときじゃないのか?


「ぜーんぶ顔に書いてあるよー。ところで、さっき『体育祭』ってワードが飛び交ってたけど、それって妹さんの?」


「……まぁな。今週の土曜日にあるらしい。んで、全員リレーのアンカーをやることになったーって、スゴい張り切ってた」


「へぇ~! アンカーなんてスゴいじゃん! 当然見に行くんでしょ?」


「…………無理だ」


「えっ……?」


 体育祭の応援は何も生徒だけじゃない。特別行事なだけに監視制の元、一般客も自由に出入りすることが出来る。その数はきっと、10や20じゃ収まらない。100人を相当しても足りるか怪しいと言った具合だ。


 そんな大人数が自由に闊歩かっぽする中、オレはその場に居座ることなどまず不可能だ。


 たった1人、この間の痴漢犯に触られたときでさえ硬直して動けなくなったっていうのに、いつ誰が入れ替わり立ち替わりするかもわからない体育祭に行くなど、ほぼ自殺行為だ。千夏はそれを知っている。だから……今日も言ってこなかった。来て欲しい、って。


「そっか。確かにそれは、魑魅魍魎とした中に飛び込むみたいなものだもんね。……ねぇ、妹さんが通ってる中学校って、多分『森ヶ谷もりがや中等学校』だよね? 中学・高校・大学のエスカレーター式がある私立学校」


「そう、だけど。何で知ってるんだ?」


「昔、近所に住んでたお姉さんが通ってたことがあってね。この辺りに中学校っていったら色々あるけど。土曜日に体育祭となると、宣伝が必要になるよね。学校行事を行うに当たって、多くの一般客に目を止めてもらうためにポスターを駅前とかに貼ったりするでしょ? そんな条件が揃ってたら、きっとそこかなーって」


「……そうか」


 こいつ、やっぱ意外と物知りというか観察眼が鋭いというか。駅前のポスターとかも、そこまで目立つ場所に貼られてるわけじゃない。精々端っこの掲示板に掲載されている程度なはず。……本当、オレはこいつについて、ほとんど知らないんだな。


「……本当は、行きたいんだ。オレはこの体質になったのが丁度中学生の頃で、3年生のときは、ほとんど学校に通えてなかったんだ。授業もテストも全部リモートで単位取ってて、卒業証書だって母さんが学校に取りに行ってくれたほどだったんだ」


「…………」


「これは、ほとんど自分のためなのかもしれないけど、千夏にはちゃんと学校に通って、楽しい生活を送って欲しかったんだ。少しの間入院してたことがあったんだけど、そのときにも、千夏は友達より……オレを優先してくれた。けど、それじゃダメだと思った。千夏にはちゃんと、自分の人生を歩んでほしくて、いつか好きな人を作って結婚して……そんな普通の生活を、送って欲しいんだ。そのためにも、オレは邪魔しちゃダメだって思って……千夏を、オレで縛りたくなくて」


「それで家を出て、今に至るって感じなのかな」


「……完全にわがままなのはわかってる。でも、オレがあそこに行ったら……きっと千夏は気にするから。だから……行かないって、言ったんだ」


 入院していた時、毎日のようにオレに顔を出してくれた。話をしてくれた。外のことをたくさん教えてもらった。けどそれと同時に――オレは千夏の時間を奪っていた。


 違和感はあった。やって来るのはいつも午後3時過ぎ。学校が終わってすぐという時間だった。


 運動が好きで、中学生になったら陸上部に入って大会で活躍するんだと意気込んでいた千夏は、いつも陸上クラブで練習してたはずで……こんなに早く終わるわけがないって。


 そして、同時に気づいた。

 オレは千夏から――大切にしていた時間を、奪っていたんだってことを。

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犬系男子と鳳仙花 四乃森ゆいな @sakurabana0612

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