第17話「せめて妹と話す時間だけは……」

 それから謎のやる気に満ち溢れた瀬川は、先程とは偉く差が出るほどの速さでA4プリントの余白を次々埋めていった。それが出来るなら最初からやってほしかった感あるけども、結果良ければ全て良し。ということでいいんだろうか?


 そして約20分後――宣言通りの時間帯には当然の如く終わらなかったものの、無事に課題を終わらせた瀬川は燃え尽きたのか、机の上に顔を突っ伏してしまった。


「…………オワッタ」


「別の意味に聞こえるな。まぁ、お疲れ様」


 オレは瀬川の側に淹れ直したお茶をそっと置く。

 あんなに必死扱いてやるぐらいなら日頃から少しずつやっておけ、と言いたいところだが、多分瀬川はあまり学力面は得意ってわけじゃないんだろうな。今回のように調べた内容を元に自身の考察を交える系の課題が苦手……って感じか。


「…………」


 するっと、自然と手が伸びる。

 どうしてだかはわからない。けど、苦手なことを頑張って乗り切ったこいつに、何かしてやれることはないだろうかと考えたら、どうしてか


「……あら、た?」


「……っ! ご、ごめん。ごめん……本当に」



 今……オレ、何をして……。



 無意識での行動だった。他人と関わることをあれだけ嫌って、自分から歩み寄ろうと思っても思うように身体が動かなくて。いつも……震えていたのに。


 さっきオレは――何の迷いもなく、自然と手が伸びた。


 まるで、兄が妹の頭を撫でて『頑張ったな』と褒めるときみたいに。オレが実際に、千夏へとやる行動みたいに――。


「……触ってみたくなった?」


「えっ……ち、違う!」


「えぇ~、ストレートに言わないでよぉ~」


 ふざけ半分で言っているのか、それとも真面目に言っているのかなんて、オレにはわからない。


 自分の行動の意図でさえ何1つ理解していないのに、自分から他人に『何かしたい』と思ったことも初めてだったのに……。触ってみたくなった? そんなの、オレが知りたい。今オレはこいつ相手に何をしようとしたのか。自分の心を、知りたい。


「……あ、あの、さ。少し訊きたいことが――」


 瞬間、オレの声を遮るようにリビング内に着信音が鳴り響く。


 その音を鳴らす主は言わずもがな、今日の生存確認をしに電話をしてきた妹の千夏、つまりはオレのスマホから鳴る音だった。……そっか。もう、そんな時間だったっけ。


 すっかり忘れていた。


 いつもこの時間、学校から帰宅してきたばかりの千夏と電話することが唯一の癒しで、唯一の楽しみでもあった。それが、一瞬でも頭から抜けていた。……どうしたんだろ、オレ。


「出ないの?」


「……はぁ。まぁいいか」


 訊ねようとした内容を押し留め、机に伏せてあったスマホを手に取る。


 画面を見ずとも『誰か』はすぐさまわかるため、オレの視線はスマホではなく、悠々とお茶を飲む瀬川へと向けられた。


「……いいか? お前は一切物音を立てるな。家の中に誰かが入るって現実は、今のオレにとっては『異常』なんだ。……勘付かれたくは、ない」


「……わかった。新太にとって、その人が大事ならそれを優先して? 察するところ、恐怖症の新太が物怖じせずに出ようとする相手は、家族の誰かだろうからね!」


「……異世界人か、お前は」


 異常なほどの察知スキルを併せ持つ瀬川から少し離れ、オレは自室のベッドへと腰掛ける。鳴り続ける威勢の良い電話に出て、スマホを耳に当てる。と――、


『――お兄ちゃん! 電話出るの遅すぎ! 20秒ぐらい待ったんだけど!?』


「わ、悪い。ちょっと席を外しててな……。機嫌直してくれ、わざとじゃないんだ」


『……仕方ないなぁ。今回だけだからね?』


「あぁ。恩に着る」


 耳に当てた途端、勢いで離してしまうほどの罵声が鼓膜を刺激した。


 出るのに遅れたのは完全にあいつのせいだが、今度からは長居させるべきじゃないな。平日はいつも千夏が電話をかけてくれる。その時間帯は、夕方4時~5時頃にかけて。


 ただでさえ優しい妹だ。

 オレが入院していた時も、いつだって気にかけてくれて、いつも外の景色を眺めていたことも知っていたらしく、面会の時に話してくれることはいつだって、外のことだった。


 今日はこんなことがあったとか、近くの公園でもみじが開花していたとか。そんな外の空気を教えてくれた。……だからこれ以上は、オレのことで負担も、心配も、気遣いもさせたくない。明日からは、早めに出よう。


「そうだ。体育祭の方は順調か? 今週だっただろ」


『おっ! 良くぞ訊いてくれました! 実は千夏……全員リレーのアンカーを任せてもらえることになりましたー!!』


「おぉ、良かったじゃないか。……って、今になって? お前、それ大丈夫なのか?」


『ご心配には及びませぬ。お兄ちゃんよ、私のことを甘く見すぎではないですかぁ? 私、これでも陸上部の副主将ですぞ?』


「……そういえばそうだったな」


 千夏は昔から、とにかく身体を動かすことが好きだった。


 それこそ、ジョギングから短距離走に加え、ハードル走やら高跳びまで。あらゆる種目に該当出来るほどの万能さを併せ持ち、本人曰く、動き出したら止まらないとのこと。それだけ動くが大好きで、小学校の陸上大会でも優勝を残したこともあるほどに。


 その反動なのか、逆に身だしなみには滅法弱い。

 小学校からの付き合いで、同じ部活に入ってる子もいるみたいだからまだカバー出来るだろうけど、高校生になったら少しはそういうことに気を遣い始めるのかな……。帰る度に、そのことは両親に口出されてるし。


 まぁ、どうするかは本人の自由だ。寧ろオレは、それを尊重すべき立場にある。


 奪った時間は戻らない。……だから、家を出たんだ。家族のために、そして何よりも、大好きな妹のために。


「けど、何で主将じゃないんだっけ。お前の実力なら推薦されてもおかしくないだろうに」


『ゔっ……い、痛いとこ突いてくるねぇ。っていうか、5月になってこんな話するの何か違う気がするんだけど。……でもそれより、言うの嫌だ』


「……ま、おおよそ予想つくけどな。どうせ、部員全員をまとめる素質よりも、個々の身体能力を伸ばす方が得意だから、とでも言うんだろ? そういうのだけは苦手だもんな」


『だけって何よ! というか、知ってるならわざわざ訊いてこないでよ!』


「悪い悪い、ついな」


 ついからかってしまうのは、兄妹ならではなんだろうか。本気で言っているわけじゃない、悪戯しているわけでもない。家族で、兄妹で。そんなオレに送れる限られた『普通』を、とことん味わいたいだけなのかもしれない。

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