第15話 姫は離さないから
課長と同じ布団に寝て、好意を思うがままに伝えあってしまった後、まどろむ時間を過ごすと、課長が先に眠りに落ちた。
私は起こさぬようにそっと離れて、仰向けに横たわった。
やはり課長は優しい。優しくて丁寧で粘り強いんだと思う。
すべてを委ねた私は、もう何だか分からなかったけど、課長の事を忘れられそうになかった。
何も無いはずの天井に、静かに見つめ返す自分の顔が浮かび上がって来た。
無表情なその顔が何を言わんとしているのか、分からない。
しかし、非難している印象は無く、自分の心の中を覗いているような嫌な印象も無い。
ただ、強いて言えば、菩薩の眼差しといった感じだろうか。自問自答を行う時間を与えてくれているような気がした。
しばらく穏やかな気持ちで天井を見詰めていると、ソファからさつきさんが下りてきた。
私の布団を捲り、覆い被さる。
私はその背中にそっと手を回した。
「課長が…… 好きなんですか……」
喉の奥から絞り出したかのような、小さくて細い声が聞こえた。
ずっと起きていたのだろう…… 申し訳無い気持ちが抑えられなくなり、私はさつきさんを抱き締めた。
「それとも、誰でもいいんですか?」
私の気持ちを分かって貰いたいが、言葉と行動とが一致していない今、何を言えば伝わるのだろうか。
「いつも受け身で、誰でも受け入れちゃうなんて、酷いです」
体が震えてる。泣かせてしまった。
安心させるための嘘でも吐ければ、落ち着かせる事が出来るかも知れないが、背中を優しく擦ることぐらいしか出来なかった。
そして感じた。さつきさんは、可愛くていじらしい。いつも素直に振る舞う彼女といると、安心するし楽しい。
今だって本当は、キスをしてキスをして、彼女が落ち着くまでキスを重ねて、慰めたい。
泣かせるような事をしておきながら、慰めるなんておかしな感情だけど、泣いてる彼女を愛おしく感じる……
「向こうの部屋で寝たら?」
足元から声がした。
ひろ美さんだ。
「二人は香織の部屋のベッドで寝なさい」
私はさつきさんを下から持ち上げるように、起き上がらせると、手を引いて、課長の部屋へ行った。
ひろ美さんは、たぶん課長の隣に寝たと思う。
さつきさんが泣き疲れて、眠ったことに気付いた私は、もう一度、誰を選べば良いのか、考えようとした。
翌朝、トイレに行き、リビングを覗いて見ると、課長がひろ美さんに抱きついて寝ていた。
ひろ美さんもまだ眠っているようだが、絡んだ脚に気付いて、心が苦しくなった。
部屋に戻るとさつきさんが待っていて、笑っている。
「おはよう」
「おはようございます」
隣に戻るのも何だか恥ずかしくて、ベッドに腰掛けると、背中にさつきさんが抱きついてきた。
「知恵さん、こっち向いてください」
振り向くと、人懐っこい笑顔を浮かべたさつきさんがいて、囁いた。
「あ・い・し・て・ま・す」
口の形がそう動いた。
だから、理性は駄目って止めるだろうけど、感情が反応して、その唇に唇を重ねていた。
結局、私は、目の前の人に感情が引きずられて、より気持ちが良いほうに流れてしまう。
じゃあ、誰かを諦めればと思うが、手放すことも、遠ざかることも出来ない。
せめてと思って、小泉陽子ちゃんとは、熱くならないように距離を取ってみたが、逆効果だった。
「ねぇ、聞いてほしいことがあるの。」
仕事抜きで、陽子ちゃんのお店に呼び出された、ある土曜日。
「率直に言うね。私、あなたが好き」
「昔からずっと好きだった訳では無いんだけど、結構、色々とあって、高校とか大学とか大変だったんだよね。その頃かな。ふと、あんな事あったなって思い出したら嬉しくなってね。卒アルで顔見たら忘れられなくなって、嫌な事があったら、見るようになってた」
陽子ちゃんは話を続ける。
「だから、春にあなたの顔を見た時には嬉しかったんだよ。私にとって知恵ちゃんはヒロインだからさ」
「なんて言えば良いのか分からないんだけど、私とお付き合いしてくれませんか… 同性からなんて嫌かな…」
「コーヒー、飲みたいな」
レジ前の立ち話で、まさか告白されてしまうとは想像していなかったけど、返事を考えるには頭の中がグチャグチャ過ぎた。
かろうじて、コーヒーをお願いすると、陽子ちゃんが手を動かす姿を見ていた。
コーヒーが載ったトレーを持つ陽子ちゃんに続いて、二階へ上がる。
向かい合って座るとカップに手をかけた。
「ごめん、何からどう話せばいいのか分からないんだけど、私も陽子ちゃんの事が好き…」
とてもじゃないけど、陽子ちゃんの顔は見れず、その手元を見ている。
両手を組んでテーブルに置かれたその手が緩むことは無く、むしろ固く握られた気がした。
「でもなに?」
何と話を繋げれば良いのか困っていた私に、陽子ちゃんが逆接の言葉を与えてくれた。
「ほかにも好きな人がいて、今は選べない」
「正直者だね…… 選んで答えを出してから振ったっていいのに……」
「ごめんなさい」
「本当に迷っているの?」
「うん、どうしたら良いのか分からないんだけど、誰も手放したくない」
「その人とは長いの?」
「ううん、会社の人」
「じゃあ、別れるとか無理じゃないの?」
「分からない……」
「その男の人、元カノがいる職場で、平然としていられるのかな」
「うん…… 相手は女性なんだ」
「えっ……」
陽子ちゃんが姿勢を変えた。
「そう、相手は女性なの…… どんな人?」
「えっと、可愛い子」
「ふーん、じゃあ、私は自立した女性の魅力で勝負かな」
「それと格好いい人」
「じゃあ、私は同級生として何でも気が許せるポジションを狙おうかな」
「それにしても、可愛くて格好いい人なら、もうそれで十分なんじゃないの?」
「それがね…… それぞれ違う人なの。陽子ちゃんも温かくて、頼り甲斐があって素敵な人なんだよ」
「なにそれ! 三人から選ぼうとしてるの? 他の二人も知恵の事が好きなの? 知恵はもはや姫だね」
陽子ちゃんは大きく息を吐き出すと、コーヒーを一気に飲んだ。
「ねぇ、今度会わせてよ。私のライバル達にさ。まだ横一線なんでしょ。会ったらけん制してやるわ」
陽子ちゃんに変なヤル気が湧いてしまったようだが、これで何とかこれからも、そばに居られそうだ。
「じゃあ、帰るね」
そう言った私の手首を掴むと、陽子ちゃんが首を横に振った。
コーヒーのお替わりをもらいながら、後片付けが終わるまで待ち、二人で店を出る。
「ご飯、食べに行こ」
そう誘われて、車に乗ると、ファミレスへ行った。そしてふたたび伴に夜を過ごす。
「姫は離さないから」
(Fin.)
カルテット [ Quartet ] tk(たけ) @tk_takeharu
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