てっきりどこかで誘拐してきたのかと思ったけど

 朝、十時頃に起床して、朝食のシリアルを食べようとしたら、牛乳を切らしていることに気づいて近所のドラッグストアまで買いに行った。

 早朝だから客はほとんどいなかったが、避妊具を売ってるコーナーで挙動不審にしている高校生くらいの男を見かけた。

 どうやら人目につかない時間帯を狙ってコンドームを買いに来たようだ。目が合って少し気まずくなった。

 だがレジ係の人は綺麗な女性だったので、あの男はこの先もっと気まずい思いをしなければならない。

 学生の頃、リア充だった男子の中には、似たような経験をした者もいるのではないだろうか。

 最近はネットでも買えるようになったというのに、わざわざ店に買いに来るとは、余程性急に必要なのかな。




 牛乳を買って帰宅すると、なぜか姉が家にいた。


「お帰りなさい浅夫。ちょっとお邪魔させてもらってるわよ」


 まるで自分の家のようにくつろぎながら紅茶を啜っている。実際に数年前まではここに住んでいたから、別におかしなことではないが。


「姉さん、こんな朝っぱらからどうしたの?」

「実家に帰ってくるのに理由なんて必要ないでしょう。ただ単に家が恋しくなって帰ってきたのかも、あるいはあなたのことが心配で様子を見に来たのかもしれないし」

「心配して様子を見に来たの?」

「いいえ、残念ながら違うわ」


 じゃあ今のやりとりはなんだったんだ……?


「だったらなにしに来たんだよ?」

「実は折り入って浅夫にお願いしたいことがあるの」


 姉はそう前置きしてから、自分の足元に置いてある荷物を拾い上げてこちらに見せた。

 それはフルーツなどを詰め込むバスケットを、少し大きめのサイズにしたものだった。

 しかしどういうわけか中身はフルーツなどではなく、生きた人間の赤ん坊が入っていた。

 一瞬、見間違いか、あるいは姉が高性能なロボットを開発したのかと思ったが、どうやら確かに本物のようだ。


「……姉さんそれどうしたの?」

「友人の子供よ。その人シングルマザーなんだけど先日、骨折で入院することになったから、私が預かることになったの」

「なんだ、てっきりどこかで誘拐してきたんじゃないかと思った」

「私をなんだと思っているの?」


 でも姉の場合はやりかねないと思う。


「それより預かったはいいものの、私には育児の経験がないでしょう? だからあなたにも協力して欲しいのよ。浅夫のほうが知的レベルが近いだろうから、乳幼児の気持ちを理解出来るかなと思って」

「……人にものを頼む時の言いかた知ってるか?」

「まあそれなりに」


 というか姉に友達がいたことが驚きだ。

 しかもに自分の子供を預けるほど、信頼関係のある友達がいるとは。

 実験台にされるとは思わなかったのだろうか。


「協力するって言っても、俺も赤ん坊の世話なんてしたことないんだけど、どうすればいいの?」

「心配ないわ。寝かしつけやミルクを与えるのは私がやるから、あなたはオムツを取り替えてちょうだい」

「……それ単に自分がやりたくないことを俺に押し付けたいだけじゃないの?」


 なるほど、だからこんな朝早くに来たわけか。


「まあ別に協力してやってもいいけど、その代わりそっちも俺の頼みを聞いてくれるのが条件だ」

「あらなにを要求する気? さては弱みにつけ込んで私に肉体関係を迫るつもりね?」

「んなこと頼まれたってせんわい」


 この人、俺達が姉弟ということを忘れてないか。

 気を取り直して俺は、姉が今後は俺のことを馬鹿にするのを控えるのと、今度なにか美味いものでも奢ってもらうのを条件に、手伝うことにした。姉もそれを了承した。

 オムツの取り替えには多少抵抗があるが、姉が俺に頼みごとをするなんて滅多にないことなので、ここで恩を売っておくのも悪くないと思った。

 上手くすれば今後の姉弟の力関係を変えられるかもしれない。

 一方なにも知らない赤ん坊は、おしゃぶりをくわえながらスヤスヤと気持ち良さそうに眠りこけていた。

 ベビー服のデザインや髪型を見るに女の子らしい。


「ところでこの子の名前はなんて言うの」

「ああそれはね――真由佳まゆかちゃんって言うよ」

「……は?」


 偶然というものは恐ろしいものだ。

 漢字こそ違うとはいえ、名前を呼ぶとなんとなく変な感じがする。

 姉が「ほーら、まゆかちゃーん。おねんねちまちょうねー」などと甘ったるい声で言ってる光景なんて寒気すら覚えるほどだ。

 幸い、赤ん坊はミルクを飲む時以外はずっと眠りこけていたから、俺の出番はなかったが、夕方頃になって状況が一変した。


「緊急事態よ浅夫、まゆかちゃんがオムツ警報を発令したわ」


 リビングでテレビを見ながらくつろいでいると、姉が急ぎ足でやって来た。

 こんなに焦っている姉は非常に珍しい。よっぽどオムツの取り替えが嫌らしい。


「別に爆弾が仕掛けられてるわけでもあるまいし、そんなに取り乱す必要ないだろ」

「爆弾なら仕掛けられているかもしれないじゃない。茶色い爆弾が」


 上手いこと言ったつもりか。

 赤ん坊が寝かしつけられている寝室に入り、オムツを確認すると、幸いなことに小さいほうだった。

 早いとこオムツを取り替えてテレビの続きを見ようと思い、服を脱がせにかかるが、赤ん坊の服は独特な構造になっていて、どうすればいいのかわからない。


「なあ、この子の服ってどうやって脱がせるの?」

「……ん、どういうこと?」

「だから、オムツを取り替える為に服を脱がさなきゃいけないんだけど、どうやるのかわかんないんだよ」

「ごめんなさい、もう一度言ってくれる?」


 やむを得ず姉に相談するも、質問の趣旨が理解出来ないのか、曖昧な答えしか返ってこない。

 段々と腹が立ってきた俺は、ついつい声を荒げてしまった。


「だーかーらー、まゆかちゃんの服を脱がせたいんだけどどうすればいいのかって聞いてるんだよ!」


 直後、ふいに背後から物音がした。家には俺と姉以外には赤ん坊しかいないはずなのに。

 泥棒かと思って慌てて振り返ると、そこにいたのは意外な人物だった。


「ま、麻由香さん……?」


 俺の目の前には、困惑した表情を浮かべ、寝室の入り口に佇む麻由香さんの姿があった。


「ど、どうも……」

「どうしてここに?」

「私が呼んだのよ。二人だけじゃ心もとないから彼女にも手伝ってもらおうと思って」


 こともなげに姉が言う。

 そういうことはもっと早く教えろよ。

 困惑しているのは十中八九、「服を脱がせたい」という台詞を聞かれたからだろうなあ。

 完全に誤解された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

親友に彼女を奪われて自暴自棄になった俺は、酔った勢いで隣の家に住む美人で優しいお姉さんと結婚してしまった 末比呂津 @suehiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ