最強クラスの奴隷化スキルだと思ったら対象は僕でした

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第1話


 待合室は思った程浮き立ってはいなかった。

 いくつか設けられた窓口の仕切りの向こうから帰ってくる者達は、皆一様に落胆するか微妙な表情を浮かべ、中には受け取った紙を丸め捨てていく者もいた。

 どうやら誰も当たりは引いていないようで、嫉妬するべき対象すら現れないのはなんとも景気の悪い話だった。

 

「サイモン・エドマンドさん。三番の窓口へどうぞ」


 分かりきった結果よりも、ようやく名前が呼ばれて帰れることに喜びを覚えながら窓口へ向かうと、お堅そうな役所の人間が出迎えた。


「先ず始めに、今年十五歳を迎えられたとのことで──」

「あの、もしかしてそれ全員に言ってるんですか?」

「ええ、まあ」


 十五歳になれば、皆『見定めの儀式』を受けるというのに律儀な話だ。


「僕、屋敷勤めなのですが、まだ仕事が残っていているので早く帰りたいんですけど……」


 実際のところ、見定めの儀式で『スキル』に目覚める人間はそういない。

 その上で強く使える能力などとなれば、ほんの一握り以下の数に留まるのは自明だった。


「では、こちらの書状に鑑定結果の詳細が載っておりますのでお持ちください」


 受付の人は、紙をロール状に巻いて手早く紐で封をして差し出した。


「よければそちらに、スキルとの付き合い方という小冊子と、新しく通達された手配書や仕事の求人募集などもありますのでご自由にどうぞ」

「どうも」


 正直全部要らないが、わざわざ用意してくれた鑑定書を捨て置くのは忍びなかったので、それだけは使用人服のポケットに押し込んで僕はその場を後にした。

 外に出ると、冷たいものが鼻頭に当たった。


「あ、雨が降ってきてる!洗濯物干しっぱなしなのに!」


 屋敷に他の使用人がいないわけではないが、この時間は恐らく厨房に入っているだろう。誰も気づかなければきっとそのままだ。

 急いで屋敷に戻らないといけない。

 少々行儀は悪いが、役所周りの敷地を突っ切って近道してしまおう。

 生垣を飛び越えるのはさすがに難しいので、無理矢理体当たりで突っ込んでいったのだが、なんとその先には人がいて、思い切りぶつかってしまった。


「いたた……」

「ご、ごめんなさい!ってうわ!?」


 謝った僕の視線の先には、比較的薄着な上、ぶつかった衝撃で胸元が少しはだけてしまっている女の子がいた。

 健康的に焼けた肌だ。

 彼女は服を整えながら僕を睨みつけた。


「あんた何者だっ」

「い、いや、何者ってわけでもないけど、人がいるとは思わなかったんだ。その、ちょっと近道しようとして…………そういう君こそこんなところでなにしてたの?」


 なんだか気まずくて質問で返してしまった。

 ただ、彼女の身なりはあまり良い物ではなく、役所の職員のようには見えない。見たところ僕より二、三歳年上で、見定めの儀式を受けに来たわけでもなさそうだった。


「いや、あたしはさ……」


 彼女が顔を逸らした先には、窓越しにさっきの待合室がみえた。


「弟がちょっと心配で」

「弟?」

「ほら、あそこにいるだろう」


 彼女に似た容姿を探すと、なんとなくそれらしい人物が見つかった。


「あぁ、あの巻き毛で赤っぽい髪の?」

「うちの弟、私に似て雑だからちゃんとやってるかなと思ってね」

「儀式の場は関係者以外立ち入り禁止だけど、そこの待合室なら大丈夫だと思うよ」

「それがさぁ、今朝一緒について行こうとしたら怒られちゃって」


 待合室の弟は友達らしき子と仲良さげに談笑しているようだ。彼からしてみれば、そういう場に姉が加わったら気恥ずかしいのかもしれない。


「たった一人の弟だから、ついつい構って嫌わてんのよ」

「身よりがいない僕からしたら、そういうの羨ましいけどなぁ」

「見たところどっかの使用人っぽいけど、拾われ?」

「まぁそんなところかな。だから、たまに家族っていう存在が恋しくなるよ。君みたいな姉がいたら、お姉ちゃん子になってたかも」

「十五歳にもなって可愛いやつだな。こっちこいよ。おねーさんが抱きしめてやろうか?」


 彼女の言い方は明らかに僕をからかったものだったし、僕自身にもそれは分かっていた。

 思わず自分の胸の内を漏らしてしまったことに気恥ずかしさを覚えて、適当な挨拶でこの場を離れようとした。

 なのに、何故か僕は彼女に身を寄せていた。


「ちょ、ちょっと、冗談だってば」

「あ、あれ?」

「そんなに人恋しかったわけ……?」


 そんなつもりは全くなかったのに、どうしてこんなことをしてしまったんだ僕は。欲求不満なのか。


「ご、ごめん!あ、あー、そういえば僕急いでたんだ。それじゃあね!」

「お、おう」


 僕は片手を上げながら彼女に適当な謝罪を投げつけると、逃げるように反対側の生垣へと突っ込むのだった。


 先程ぶつかった彼女に羨ましいとは言ったが、僕にも家族というか、優しくしてくれる人はいる。

 身よりのない僕に、仕事と衣食住を与えてくれた貴族のお方だ。

 中でも、その家の御令嬢とは子供の頃から仲良くしてもらっていて、姉弟とまではいわずも、気心の知れた確かな絆を感じる相手だった。


「減給ですの」

「お慈悲を!」


 優しいやつなんていない。僕は天涯孤独だ。


「だいたい、気づいたのならマリナ様が自分で取り込めばよかったじゃないですか!」


 通り雨ではあったようだが、衣類からはしっかり水滴がしたたっている。


「前に魔法で取り込もうとしたら、物干し竿はバラバラになるし、洗濯物も泥まみれになってメイドに酷く叱られましたの」

「当主様や奥様も非常に優秀な方で、令兄様もこの国随一の魔術師だというのに……」

「パワーでは負けてませんわ。私が一番ですの」

「本当かなぁ……」


 彼女自身の力は微塵も疑ってはいない。なにせ、マリナが生まれた『レイロック家』は、教養のある人間なら知らない者はいないくらいの魔術師貴族の名門だからだ。

 ただ、マリナが令兄様より優れているかと言われると、さすがに疑念を持たざるを得ないところだ。


「それよりサイモン、スキルはどうだったのかしら」

「あぁ、どうなんですかね」

「まさか、儀式を受けてきませんでしたの?」

「ちゃんと受けましたよ。でも急いでいたから話も聞かずに出てきたんです。まぁ、名家生まれのマリナ様ですら去年なにもなかったんだから、僕なんかじゃ無理ですよ」

「スキルに家柄も人柄も関係ありませんの。それこそ生まれ持った才覚ですわ。どれ」


 マリナは僕のポケットからはみ出た書状を拾い上げると、紐の封を解いた。


「なになに、サイモン・エドモンドを……最上位のスキル保有者と認定する?!」

「え?」

「ほらこれっ、第一級ですの!」

「こ、これって、しかも奴隷化系能力……」


 他者を操ったり、直接干渉する心身掌握の力は非常に珍しい。

 そしてその最たるものの奴隷化スキルといえば、先の大戦を引き起こした悪虐の王が使っていたことで有名だ。

 こんな力が僕の身に宿っていたなんて。


「すごいんですのサイモン!私も主人として鼻が高いですわ!」

「……ふっ、マリナ様。いや、マリナ。いつまで自分が上の立場の人間だと思っているのかな」

「急にどうしましたの?」

「僕は力を手にしたんだ。何もかもが僕の思い通りだ」

「力を使う前から既に力に溺れているなんて、ダメな子ですのサイモン」

「さぁマリナ、僕に優しくして、給金だって上げてもらうよ」

「そんなんでいいんですの?もっと大それたことを言うかと思えば」

「もしかして、この街の民を支配下に置くぐらいはやってもいいんでしょうか……?」


 そして勢力を拡大し、ゆくゆくはサイモン王国となるのだった。


「以外と野心旺盛すわね。ダメにきまってますわ」


 正直いきなりのことで、能力の使い道なんて全く分からない。けれども強大な力を手にしたからには、試してみたくなるのが人間の性だ。

 意識を自分の内側に向けてみれば、確かに今までとは違う何かを感じる。

 力の源は内から解放され、僕の首元まで上り詰めたような気がした。今、僕の口から絶対遵守の命が下される。


「とりあえずマリナ、お茶をいれてくるんだ」

「私がですの?まぁ、たまには構いませんけれど。中のテーブルで待ってなさいな」


 マリナは言われるがままに、そそくさと準備を始めた。

 これが王の力。これさえあれば、もう何も怖いものはないのかもしれない。

 庭に通じるインナーテラスで座っていると、マリナがティーセットを持ってやってきた。


「さぁどうぞ」

「あ、美味しい。これとても高級な物じゃないですか?」

「ちょっとしたお祝いですの」

「ありがとうございます。……いや、ご苦労マリナ」

「ふふ、どういたしまして。ところでその首輪はなんですの?」

「え、首輪?」


 喉元に手をやると、何か硬い物に触れた。


「なんだこれ、外れない」

「ふむ……」


 マリナは興味深げに僕の首輪と、スキルの鑑定書を交互に見ている。


「マリナ、ちょっと工具を持ってきてくれよ」

「自分で持ってきなさい」

「め、命令だぞ」

「面白いから黙っていましたけど、私は奴隷化なんてしていませんわ。スキルの効力部分ちゃんとよく読みますの」


 第一級認定された理由や、能力詳細を読み進めていくうちに、僕は重大な一文を見つけた。


『任意の相手に強大な力で隷属する』


 任意の相手“を”ではなく、任意の相手“に”奴隷化する。つまり能力の対象は──僕だったのだ。

 この瞬間、サイモン王国建国の夢は儚く散ったのだった。


「任意の相手って誰だよ……」

「ここに書いてますわ。自分が最後にときめいた相手に隷属する。なんだか可愛らしいスキルですのね」

「なんですかそれ……」


 ときめきだなんて、乙女か僕は。


「それで、サイモン」


 アホアホな僕の命令にも嫌な顔一つせず付き合ってくれた彼女だっが、ここにきてあからさまに不機嫌な様子で眉を吊り上げた。


「ケイトリンって誰ですの」

「はい?」

「とぼけても無駄ですわ。その首輪にしっかりと書かれていますの」


 首輪に再度触れてみると、プレートが施されているような段差があり、その表面は細かに凹凸していた。


「従者の身分でどこの女としけこんできましたの?」


 マリナの目が怖い。


「い、いや、ケイトリンなんて人知りませんよ。そもそも、ときめいた相手の名前が刻まれるなんてそんな安直な……」

「じゃあ試してみますの」


 マリナは胸元まで伸びたオレンジ色の髪を後ろに払うと、座った僕に覆い被さるようにして抱きついた。

 服の上からでも大きいことが分かる彼女の胸のふくよかさが、再確認された瞬間だった。


「い、いきなりなにを」

「こんなものかしら」


 軽いハグでも済ませたかのような素振りでマリナは離れた。


「ほらみなさい、やっぱりですわ」

「え、まさか……」

「マリナ・メーガン・レイロック」


 彼女は自身のフルネームを口にして、ティーセットを乗せてきた銀盆を指さした。

 綺麗に磨かれた銀盆を覗き込んでみると、ばつが悪いような気恥ずかしいような表情の男が映っいた。

 色んな意味で照れ臭かった。



 僕が得たスキルはなんとも奇天烈であったが、全六段階の中で一番上の第一級認定されただけのことはあり、その力は確かなものだった。


 昨日はお祝いムードで僕に豪華な食事をご馳走してくれたマリナだったが、彼女もどうやら好奇心には逆らえないようで、能力鍛錬と称して庭に僕を連れ出しては無茶な命令をし始めた。


「次はこの庭の草木を全てエメラルドに変えなさい」

「もはやトラップじゃないですか。敷地に入る度に足がズタズタになりますよ」

「もしくは、サイモンが大の字になって回転しながら空を飛び回りますの」

「楽しそうですね」


 やはり僕の体はピクリととも動かない。こんな風に、あからさまに実行不可能な命令には能力は発動しないようだった。


「じゃあ、もう一度中宙返りを見せてほしいですわ」

「おっ……」


 僕が返事をする前に、体は滑らかな動きで空中一回転をしてみせた。

 今日マリナに命令されるまで、僕は一度も空中宙返りをしたことがない。出来るとも思っていなかった。

 こんな風に僕にとって可能なことであれば、熟練されたような動きで実行される。そして、それは魔法も例外ではなかった。

 僕が使える魔法は火と氷の魔法。どちらも主人の私生活を支えるために会得したもので、火を起こしたり、冷たい飲み物を用意する程度にしか扱えない。

 しかし、


「今度は、あの的の木人を魔法で消し飛ばしますの」


 消しとばすとなると、火の魔法がいいだろうか。そう考えた瞬間、今まで使ったことがない威力の火炎魔法が手から吹き出し、木人はチリ一つ残らなかった。


「すごいですわ!サイモンカッコいいですの!」

「本来はこんなこと出来ないし、自分の力って感覚薄いですけど」

「なに言ってますの。スキルとは、まごうことなき本人の能力ですわ」

「そうですかね。あ、そろそろ買い出しに行かないといけないので、能力鍛錬はここらでお開きということで」


 程よくマリナから離れる口実を得たつもりだったが、


「今日は私もついていきますわ」

「え、ど、どうしてですか」

「他の女の所へふらふら出かけて、首輪の名前が書き変わったりしないか監視するためですの」


 僕はため息一つで彼女の提案を承諾し、首輪が目立たないように使用人服の襟元をなるべくあげてから、マリナと一緒に街へと繰り出した。

 

 美人な女性や可愛い女の子が近くを通るたびに、僕の目を両手で塞いだり、首輪を確認してくるマリナは非常に煩わしいことこの上ない。

 こんなことなら、適当な理由を上げて彼女の付き添いを断っておけばよかったかもしれない。

 そうこうしながら、不足していた日用品や今晩のための食材を買って回っているうちに、「甘い匂いがしますの」と言ってマリナは近くのお菓子屋さんへと入っていった。

 僕はまだ買う物が残っていたため、これ幸いとマリナのことは無視して買い物を続けることにしたのだった。


「うーん、今日は肉と魚どっちがいいかな。マリナに聞いておけばよかった」

「おーい、使用人の兄ちゃん」


 商店街で僕がキョロキョロしていると、魚屋のおじさんが手を叩いて僕を呼んだ。


「よぉ、いらっしゃい。今日は珍しい高級魚が入ってるんだ。ちょいと値は張るけど主人にどうだい?」

「あ、じゃあこのお金でそれをちょうだい。余った分でそっちの魚も」

「毎度あり!高級魚だからひったくられねぇようにしてな」

「魚を盗む輩なんているかな」

「猫だ。あいつらちゃんと物の価値が分かってやがる。うちも高いものばっかやられるんだ」

「それはとんでもないね。用心しとくよ」


 僕が去ろうとすると、


「おっと用心ついでに、この街にやばい奴が入り込んでるって噂だぜ」

「でかい猫でもいるの?」

「違う違う、こっちの方は人間だ。ダーシーっていう名前の指名手配犯で、結構な額の懸賞金がかけられてるらしい」


 魚屋のおじさんは声を少し落としてそう告げた。

 基本的に犯罪者の凶悪度が高ければ賞金額も上がっていく。高額賞金首ともなれば、人殺しも厭わないような輩だろう。

 マリナを一人にしてしまったことが急に不安になり、来た道を急いで戻ると、お菓子の袋を携えながら赤い実を手に乗せた彼女とばったり会った。


「サイモンついてきてるかと思いましたのに。どこに行ってましたの?女のところ?」

「違います。もちろん夕飯の買い物ですよ。それなんですか?」

「トマトですの」

「いや、そうじゃなくて、トマト料理が食べたいんですか?それなら一個じゃ足りませんよ」

「これはサイモンへのプレゼントですわ」

「い、要りませんよ」


 これはあれかな、マリナを置いていった罰かもしれない。

 僕はトマトが嫌いだ。トマトを食べるくらいなら、大の字で回転しながら飛び回る練習をするほうがいくらかマシだ。


「好き嫌いしていては立派な大人になれませんの。マリナが命じますわ。サイモン、トマトを好きになりなさい」

「ぐっ、そんな、僕の意に反してトマトを好きに…………あれ、ならない?」

「心は操れませんの?意外と不便ですわね」

「怖いこと言わないでくださいよ……」

「冗談ですの」


 感情に起因する能力であるが故に、そういった命令は無効なのかもしれない。


「なにはともあれ、僕をトマト好きになんて出来ないんですよ。残念でしたね!」

「じゃあ、トマトを食べなさい」

「そんなずるい、もごご……」


 体は逆らえなかった。悔しい。ずるい。

 白目を剥きながらようやく半分まで食べ進めたところで、見兼ねたマリナが残りを食べてくれた。


「美味しいですのに」

「良さが分かりません……というか僕の食べかけなのに」

「私は気にしませんわ」


 買い出しを終え、帰る途中に無言で再びお菓子屋に入ろうとするマリナを引き止め、夕飯前なのにお菓子袋を開こうとする彼女を嗜める。

 商店街の活気から遠ざかってきたところで、脇道から鈍い金属音が響いた。

 追う者と追われる者。脇道の奥に流れた一瞬の出来事だったが、確かにそう見えた。


「あれって……」

「……帰りますわよサイモン」

「あれを放っておくんですか」

「あの手の物事にみだりに首を突っ込んではいけませんの。ろくなことになりませんわ」


 彼女の言うことはもっともだと思う。しかし、


「知り合いなんです」

「それを先に言いなさいな。でもサイモンが一人で助けるんですのよ。私では周囲の建物も巻き込みかねませんの」

「分かりました。マリナ様、御命令を」

「サイモン・エドマンド。あの追われていた者を助けなさい。負けては駄目よ」

「承りましたっ」


 命令を受けた瞬間、体が軽くなった。一歩一歩が矢の如く、路地を縫いながら目標へと迫っていく。

 ──男の振り上げた剣が、地面に倒れ込んだ女の子に突き立てられる寸前だった。

 僕は女の子を抱き込みながら、転がるようにして剣をかわした。


「あんたは……!」

「やあ、昨日ぶりだ」


 襲われていたのは、役所の外でぶつかってしまった女の子だった。


「てめぇ、なんの真似だ」


 フードを被った男は、ギラついた目でこちらを睨んだ。


「それはこっちが聞きたいよ。彼女を襲うのはやめるんだ」

「なんでてめぇにそんなこと指図されなきゃならねぇんだ?裏路地を住処にしてる薄汚えドブネズミを殺そうがどうしようが俺の勝手だ」


 話し通じる相手ではなさそうだ。

 僕は改めて、両手を広げて男の前に立ち塞がった。


「彼女は殺させない」

「貧弱そうななりして、まさかこの俺とやろうってのか。それなら容赦はできないぜ」


 男は嘲笑し、完全に油断しているようだ。

 今ならあっさり勝てるかもしれない。


「負けるとは思わないよ。負けるなって命令されたからね」


 僕は不意打ち気味に火炎魔術を撃ち出した。

 相手は人間なので威力を落としたが、それは失策だったようだ。

 思ったよりも炎の範囲が狭くなってしまい、即座に反応した相手の男は火炎をギリギリのとろでかわしながら一気に距離を詰めてきた。

 ──速い。

 普通なら、僕はここで斬り殺されていたのかもしれない。しかし、今の僕には相手動きがしっかりと見えていた。

 腰まで迫っていた剣を両手で挟み受け、そのまま捻り奪い取って投げ捨てた。


「な、なんだ今のは?!」


 魔法を放った直後の隙。そのゆったりとした、どう見ても攻撃を避けきれないような動きから一転、異常な動作速度で剣撃を捌いたのは相手からしても不自然だったようだ。


「今の動きは普通じゃなかった。てめぇまさか、能力者か」

「さてね」


 男の表情は苦々しいものへと変わり、


「クソっ、タネが分からないのは面倒だな」


 男は適当な悪態をつきながら逃げ出した。


「あ、おい!待て!」

「あの男、どこかで見たことある気がしますわね」


 振り返ると、重たそうに荷物を抱えるマリナがいた。


「マリナ様、あの男を」

「追ってはダメよ。それより、そっちの子はいいのかしら」

「あ、そうだった。君、大丈夫?」


 襲われていた女の子に声をかけると、


「あぁ、ちょっと足をやられちまったが、平気だ。あんたは……」

「僕はサイモンっていうんだ」

「助けてくれてありがとうサイモン。あたしは──」

「君の名前って、もしかしてケイトリンだったりする?」


 僕は彼女に詰め寄り、小声で耳打ちした。


「え、な、なんであたしの名前知ってるんだ?」

「実は……」


 首輪のことや、ケイトリンの名前でマリナに詰問されたことをかいつまんで彼女に話した。


「そりゃ災難で。あたしのことはケリーでいいよ。みんなその愛称で呼んでる。というかあんた、スキル持ちだったんだな」

「まぁね。なんであいつに襲われてたの?」

「知らないよ。晩飯を買って帰る途中だったんだ」


 近くに落ちていた籠を拾い上げると、いくつかの食べ物が入っていた。


「もしかして、あの男は食べ物狙いだったのかな」

「まさか。飢えてるようには見えなかったけど」

「でも、君の方はこれじゃちょっと厳しいんじゃない?弟もいるのに」

「……正直なところね。最近実入りがあんまよくないんだ」


 ケリーは俯き加減につぶやいた。

 ちょうど僕の手元、というより、不機嫌そうに袋を抱えているマリナの手元には、多めに買ってあった食材がある。これをケリーに分け与えようか。

 ……いや、それじゃ駄目か。根本的な解決にはならないな。

 マリナにお願いするしかない。


「あの、マリナ様」

「なんですの。コソコソ話は終わりましたの?」

「もちろんです。それで、ものは相談なんですけど、ケリーをうちで雇うことって出来ないでしょうか……?」


 マリナは断ったり顔をしかめたりはせず、呆れた様子でため息を一つついたのだった。



 屋敷は大きく、庭も無駄に広いが、使用人としての仕事はそれほど大変なものではない。

 僕がお世話している相手はマリナ一人だけだからだ。

 このお屋敷はマリナが学校へ通うために当主様が買い取ったもので、住んでいるのはマリナと、僕を含めた使用人が二人。

 そこへ手伝いとしてやってくるケリーが加わったので、急な雨に慌てふためくようなこともなくなった。

 彼女の怪我の回復を待って数日、さらに屋敷で一緒に働くようになってから数日が経っていた。


「もう仕事になれてきたかな。ケリーは要領いいよね」


 ある程度庭の掃き掃除も済んだところで、僕は箒を縦に持ち替えた。


「まあね」


 ケリーも手を休めて、顔の汗を拭う。

 僕がケリーの指導係になったはいいが、既に教えることはなくなってきている。

 彼女曰く、その日暮らしで転々していたため、色んな仕事をやっていたんだそう。


「あんたはそのスキルで新しい生活を考えたりはしないの?」

「というと?」

「私を襲った男、かなりの手練れだった。あれを簡単に撃退できるのならその手の世界で有名になれる。一攫千金の冒険者ってのもありだね。スキルの序列も、あれなら五級はあるだろ?」

「……あぁ、まぁ、うん。第四級かな」


 第一級であることを明かすと、彼女の僕を見る目が変わってしまいそうな気がして、なんとなく誤魔化してしまった。


「凄いじゃないか!上々だよ」

「でも、僕の能力は相方がいないと使えないからなぁ」

「なら、あたしと組むかい?」

「え?」


 ケリーが正面に立って、箒を持った僕の手に触れる。

 彼女の目尻に薄っすらと黒子がみえた。今まで気づかなかったが、薄化粧をしていたようだ。

 

「それとも、あたしじゃときめかない?」

「い、いや、そんなことはないけど……」

「だよね。一度はこの首輪に私の名前が書かれたみたいだし」


 ケリーの指が僕の胸の真ん中を上へとなぞり、首輪をつつく。


「あたし達、結構相性良いと思うんだ」


 彼女の吐息がかかる。


「ま、まだ会ってそんなに経たないのに、そんなの分からないよ」

「分かるさ。サイモンって弟みたいだから」

「君には本当の弟がいるじゃないか」

「……まぁ、そうなんだけど」


 ──突然、ケリーとのやりとりを遮るが如く、わざとらしい咳払いが後ろから聞こえた。


「その弟とやらは本当にいるのかしらね」


 咳払いの主はマリナで、その表情は不機嫌を通り越して緊張感を含めたようなものにすら見える。

 大してサボっていたわけではないが、僕とケリーの仲がただならぬものに思えたのかもしれない。

 下手なことは言わず、話に乗っかった方がいいかな。


「えーと、僕は見ましたよ。そばかすの目立つ子で、ケリーと同じような赤っぽい巻毛の」

「その子はケリーを姉だと言いましたの?」

「いえ、見定めの儀式の結果待ちのところを、少し離れた場所から見ただけなので……」


 マリナは僕の答えを受けて、手に持っていた紙を僕に突きつけた。

 その紙には、顔が描かれていた。


「見定めの儀式というのは、国外からやってきた指名手配犯の弟が、観光気分で受けられるほど俗なものではありませんの」


 精巧な似顔絵の下の部分には、


「ケイトリン・ダーシー、この者の生死を問わず……!」


 髪型などは全くの別もので一見しただけでは分かり辛いが、よく見ると顔の部分は似ていて、目尻には黒子がうかがえる。

 名前からしてもケリーと同一人物であることは間違いなかった。


「一体どういう……」


 正直、理解が追いつかない。


「罪状は窃盗、誘拐、違法な人身売買。ケリーを斬ろうとしていた男、どこかで見たことがあると思ったら名の知れた賞金稼ぎでしたの。あの時はその賞金稼ぎから逃げてる最中でしたのね、“薄汚い”犯罪者さん」

「君が役所にいたのってもしかして……」


 ケリーは束の間の沈黙の後、


「……あぁ、そうさ。売れる人材を探してたんだ」


 つまり、あの時ケリーが役所を覗いていたのは、高値で売れるようなスキルを持った人間に目星をつけるためだったわけだ。僕とぶつかった時に言っていた弟というのは、怪しまれないための嘘だったのだろう。

 ケリーもとい、ケイトリンは箒を投げ捨て、僕の肩に手を回して抱き寄せた。


「タイミングがいいねマリナ様。いや、悪いって言った方がいいのか」

「サイモンから離れなさい」

「いやだね、これはもう私の物だから。黙って動くなよサイモン」


 彼女の命令で体はもちろん、指先一つ動かせなくなってしまった。

 さっきのケイトリンとのやりとりで、首輪の名前が書き変わってしまったようだ。

 ちょろすぎだよ僕。


「……それで、彼にいくらの値を付けるつもりなのかしら」

「うん?あぁ、最初は売り飛ばすつもりだったんだけどさ、こいつは手元に置いておこうかと思て。だってさぁ、なんでも言うこと聞いてくれるんだぜ?炊事洗濯なにやらせたっていいし、あたしの“仕事”だって手伝わせられる。裏切らない仕事仲間ってのは大事よ」


 なんてことだ。彼女に付き従って、仕事や身の回りの世話なんかをやらなくちゃいけないなんて。卑劣なことだ。まるで今と変わらないよ。


「それに、夜にベッドへ連れ込んだっていいしね」


 むしろ、今よりよい生活になるのかもしれない。

 ケイトリンは首筋に口づけをしてきて、掌で僕の胸板を撫でた。

 マリナは何も言わず、じっと僕を見つめている。


「あれ、怒って声も出なくなっちゃった?」

「……別に、構いませんわ。その男は多分喜んでいるだろうし」


 ごめんなさい。


「でもサイモン。そろそろ目を覚ますべきですわ。その女についていって悪事に加担なんてしたら、スキル持ちは問答無用で高額賞金首になりますの」


 そうだ、悠長なことは言っていられない。なんとかしてケイトリンの支配から逃れなければ。


「さぁ、私の元に──」

「サイモン、マリナの言うことに一切聞く耳を持つな。あいつの言葉は理解しなくていい」


 そう命じられた瞬間、マリナの言葉が取り込めなくなった。

 音は聞こえる。口が動いているのも見える。けれども、マリナがなにを言っているのかが分からなくなってしまった。


「今後はあたしの言うことだけ聞けよな。そうだ、あたしに惚れなよ。もう他の女に心を奪われたりしたらダメだぜ。あんたはずっとあたしのものだから」


 感情に関わる類いの命令は僕に効かない。が、しかし、体の方は逆らうことが出来ない。

 ついてこいと命じられれば従うしかないのだ。

 ケイトリンは日頃から逃げ慣れているのか、かなり足が速い。命令を受けた僕は問題なくついていけるが、マリナでは到底追いつけないだろう。

 庭から繋がった森へと差し掛かる直前に、突如大きな土壁が出現した。


「この私から、簡単に逃げられるとでも思っていたのかしら」


 地の魔法において、右に出る者はいないと称されるレイロック家。その家の長女たるマリナの魔法が、眼前に立ちはだかった。


「掴まれ」


 そう言うとケリーは、自身の長い脚を曲げて一度しゃがみ込んでから大きく飛び上がった。僕を抱えたまま大きな土壁を軽々と飛び越し、難なく着地する。

 明らかに人間技ではない。これは恐らくスキルによるものだ。


「逃がさないと、言っているんですわ」


 地響きと共に、大きく緩れる地面に思わず僕は体制を崩しそうになってしまう。

 ──目の前の地面が弾け飛び、土くれが降りそそいだ。

 砂埃が晴れて現れたのは、地面を殴りつけた巨大な拳だった。


「なん、だこれ……」


 ケイトリンが驚くのも無理はない。僕だって口がきけていれば、締められる鶏のような悲鳴をあげていたに違いない。

 お屋敷の屋根を優に超えるような岩石の巨人が、僕等を見下ろしていた。


「くっ……あんた魔法が使えたろ。どうにかしてあれを止めてくれ!」


 そんな無茶な。

 ケイトリンが必死の面持ちで僕を見ている。

 追い込まれて混乱しているのは分かるが、どんな命令にも従う僕だってこんなものを止めるのは無理だ。これは実行不可能な類いの命令だ。

 しかし、そう思っていたのは僕だけだったようだ。

 巨人が一歩を踏み出すと、僕の体が無意識的に魔術を放つ体制に入った。

 ……え?

 吹きすさぶ氷の魔術は、氷柱となって天を目指すように巨人の胸部を貫き、瞬く間に全体を凍らせていく。

 そして、岩石の巨人はバラバラに砕け散った。


「そんな、まさか、私の特大魔法が破られるなんて………」


 マリナがどんな言葉を発したのかは分からないが、彼女が呆然と立ち尽くしている様子が見て取れた。


「ヒューッ、やるじゃん!でも、さすがにあのお嬢様を放って置けないね。あの女を捕まえろ」


 まずい。このままじゃ本当にまずい。

 捕まえる?どうやって。

 マリナに殴打を浴びせながら、地面に組み伏せるビジョンが浮かんだ。

 僕の体はもう動き出している。

 駄目だ、これは。解釈を変えろ。

 僕にだって心はある。これはたとえ命令であっても、誰かに揺るがされたりはしない。

 動きを封じるだけでいいはずだ。

 僕はマリナに飛びかかり、思い切り抱きしめた。

 今、この場でマリナをもう一度好きになってしまえばいい。魅力的な彼女が、こんなにも近くにいるのだから。

 しかし、そんな僕の考えとは裏腹に、僕の腕はマリナを捕らえたままだ。焦りだけが募り、“そんな気持ち”がどんどん遠ざかってしまう。

 マリナが懸命に何かを語っているが、命令で彼女の言葉を理解することができない。

 そのうち、ケイトリンが堪えきれずといった感じで笑い出した。


「熱烈だねぇ、お嬢様。でも無駄だっての。そいつは命令で私にぞっこんなんだから」


 違う。僕の心は──


 ──僕の唇は、マリナによって塞がれていた。


「マ、マリナ様?!」

「……もう、私の声は聞けますの?」

「き、聞こえています」

「良好ですわね。まったく、あまり主人に手間をかけさせるものじゃありませんわ」


 マリナは叱責の意を込めたのか、それとも照れ臭かったのか、少し強めに僕を押し返した。


「お、おい!やはくそいつを捕まえろよ!無理なら、私の所に戻ってきていいから……」


 ケイトリンが逃げるのも忘れて僕に命令しようとしているが、


「悪いけど、もう君の言うことは聞かないし従わない」

「今後私の言うことに従えって、命令したはずだろっ。私に惚れろって……サイモンは好きになった相手の命令には逆らえないんじゃないのか?!」


 今度は、マリナが高笑いをする番だった。彼女はなんとも愉快そうに、


「ええ、ええ、もちろんですわ。サイモンはその特殊なスキルによって、相手の指示を違えることはありませんの。私はこの目で、何度もその力を確認しましたもの。ですが、そうですわね…………あなたの女としての魅力が酷いものだから、サイモンも嫌気が差してしまったのかもしれませんわ。美人の描かれた絵画でも被ってから、もう一度命令してみてはいかがかしら?」


 マリナは感情に対する命令が効かないことを知っていたはずだが、つまりこれは、至極悪意のこもった嫌味なわけだった。


「こいつっ…………、くそっ!」


 ケイトリンは背を向けて森へと逃げいく。


「追いなさいサイモン。私の従者に手を出そうとした罰は、きっちり受けてもらわないといけませんわ」

「仰せのままに」


 ケイトリンを追ってすぐに森へと入ったが、彼女は人間離れした動きで木から木へと飛び走り、既に背中は小さなものとなって木々の間から見え隠れする程度になっていた。

 しかし、命を受けた僕には関係ない。同じようにして木々を飛び移り、追いつくのにそう時間はかからなかった。


「な、なんでこの速度についてこれるんだよ!」

「君のスキルってよくある普通の脚力強化でしょ?多分それじゃ逃げきれない」

「なめるなよ!あの賞金稼ぎには不意打ちで遅れをとったがな、他勢の衛兵だろうと、追跡スキル持ちだろうと、今まで誰にも追いつかれたことはないんだ。その辺の低ランクスキル共と一緒にすんなっ」


 確かに速い。スキルの階級的にも第三級以上はありそうだ。普通の、という言葉は取り消した方がいいのかもしれない。しかし、


「僕のスキルも、普通じゃないんだ」


 僕は彼女の腕を掴んで木から飛び降り、地面へ組み伏せた。



 ケイトリンはその後、隣国に引き渡された。

 国からは報奨金として、労働階級の人間からしたみれば多額であるお金が支払われ、僕がそれを受け取ることとなった。

 マリナには随分と迷惑をかけた気がするので、報酬金をそのまま彼女に渡そうとしたら、「そんな端金要りませんの」と一蹴されてしまった。


「全面的に僕が悪いですし、マリナ様が受け取ってくださればいいのに」

「全部が全部悪いなんてことはありませんの。人を好きになったり、ときめいてしまうのは仕方のないことですもの。自分で制御できたら苦労しませんわ」


 食事を口に運ぼうとすれば腕が上がり、どこかへ行こうとすれば足が一歩を踏み出す。僕の体は僕のもので、いつもはだいたい僕の思い通りに動いてくれるけれど、心はそうもいかない。自分自身の言うことすら聞いてくれないこの感情というのは、一体誰のものなのだろうか。


「確かにそうですね。僕何も悪くありませんでした。せっかくですし、このお金で思い切って女遊びでもしてみようかな。それとも賭博場がいいか。全額突っ込めば、しばらく働かずに済むお金が手に入るかも」


 細かいことを気にしたってしょうがない。僕は自由だ。


「…………けれども、そのスキルはとても危険だから、サイモンを家の地下室に閉じ込めて置いた方がいいかもしれませんわね」


 僕は不自由だった。


「それは勘弁してください!あなた様と一緒居たいんです!」

「ちゃんとお世話するから大丈夫ですの。なるべく一緒にも居てあげますわ」

「お慈悲を!」

「じゃあこれからは、このマリナ・メーガン・レイロック以外の女に現を抜かしてはいけませんの」


 指で軽く僕の頬を突いてからかうマリナはどうにも魅力的で、彼女の可愛らしい微笑みと共に、その高貴な名前は改めて僕の心に刻み込まれた。

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