第34話孤独の集合

音寧の音に気付いているのは俺だけではなかった。綾瀬さんはある日の部活終わりに俺に声をかけてきた。

「あの・・・時雨くん」

その表情からは言いづらそうな雰囲気が感じられて、声もいつもよりも緊張があるような気がした。俺は他の全員がピアノ室から出るのを待ってから綾瀬さんに隣にあった椅子に座るように促した。彼女は少しドアの向こうを気にしているようだった。彼女の様子からは彼女が今から話す内容はこの部員に関係あることだと見て取れた。彼女からの言葉を待っていると暫くして彼女はとても苦しそうに声をかすらせながら一人の名前を挙げる。

「音寧・・・くん・・・は寂しい・・・のでしょうか・・・。」

そう言われた時、俺の胸はドキリと大きく波打った。音寧の本当の音に気づいてほしかったようで周りに気付かれてしまうのが怖かったのかもしない。音寧自身はどう思っているのだろう。もしかしたら音寧自身、まだ自分の音を知らないのかもしれない。それでも彼は自分の奥の音を知る人が大勢いるのは嫌がりそうだな、なんてことを思ってしまった。綾瀬さんが音寧本人にそのことを言えばきっと彼はピアノを弾かなくなってしまうことだろう。本来弾かない方が音寧にとっていいと思う。弾かせるべきではない。それなのに弾いてほしいと思ってしまうのは俺のエゴだ。自分でも幼馴染として失格だと思う。視線を下げたまま綾瀬さんは気まずそうにしていた。綾瀬さんはいつから音寧の「音」に気づいていたのだろう。御神や佐伯も気づいているのだろうか。そんな事を考えると不味い空気を体に取り込んでいるように気持ち悪さが体を渦巻く。今すぐにでも何処かに逃げ出してしまいたくなった。すると綾瀬さんはポツリと言葉をこぼした。

「皆・・・独り・・・なのに・・・。」

俺は綾瀬さんの言葉に思わず顔を上げた。そんな俺に気づいたのか、彼女も下げていた視線を俺の方へと向けて悲しそうに微笑む。その表情からは綾瀬さん自身が感じている孤独の一部が見えた気がする。彼女の顔を見て、さっきの言葉が呑み込めたような気がした。

「私達が・・・演奏する運命は・・・1人では奏でられません・・・。でも・・・皆独りだから・・・皆の音を・・・聴くしかないんです・・・。悩んで・・聴いて・・・弾くしか・・・ないんだと・・・思うんです・・・。」

独りだから、独りの集まりだからこそ、奏でられる運命があると思うんです。そう言葉を締めくくった彼女の耳は真っ赤に染まっている。その赤さは彼女の言葉を心からのものだと証明している気がした。綾瀬さん自身が孤独感を感じているからこその言葉であり、考え方だ。それでもいいと彼女は前を向いて進もうとしているのかもしれない。そして、音寧にも今のままでもいいからと一緒に前に進もうと手をひこうとしているのではないか。

「綾瀬さんは音寧と…皆と孤独を生きたいの?」

そう訊いた俺の声は少し震えた気がする。それでも綾瀬さんは俺の目を見つめてただ一言、

「はい。」

と言った。彼女の返事には何処か今までよりも強い意志がこもっている気がする。その言葉に俺はなにかの糸が切れたかの様な気分になった。その切れた糸の先にゆっくりと広がる感情は安堵か、それとも喜びか、はたまた不安か。徐々に広がっていくこの感情は心に静かに小波を起こす。俺はその感情を逃がすように一度深くため息をついた。俺はそのままの勢いで席から立ち上がると使い古された軽さの変わらない鞄を取った。綾瀬さんは驚いたように立ち上がる。

「時雨・・・くん・・・?」

綾瀬さんの声色には先程の返事のような力強さは感じられない。ただ不安そうないつもの綾瀬さんだ。そんな綾瀬さんに俺は「少し時間がほしい。」とだけ残してピアノ室から出た。綾瀬さんがどんな表情なのか、何を考えているのか、気にはなったが俺には振り向いて確認するだけの余裕がなかったんだと思う。綾瀬さんは追いかけてくることはなかった。その代わりに綾瀬さんの運命が、音寧が待っていた下駄箱まで静かに響いていた。

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君の音を聞かせて 上高地 日時 @ni10

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