魔法少女ゆりな

魔法少女ゆりな

 私には小学校一年生の頃にできた「ゆりな」という名前の友達がいた。漢字で書くと友理奈だったか友梨奈だったか、忘れた。

 出会いは入学式の昇降口だった。私たちの母親同士が顔見知りだったのだ。

 私の母とゆりなの母親が挨拶を交わしている中、ゆりなはゆりなの母親の陰に隠れてモジモジとしていた。私はゆりなを守るべき存在だと感じた。

「ゆりなちゃん、行こう」

 私はゆりなの手を取り、昇降口から校内へと引っ張っていった。そうするべきなのだろうと思った。  

 ゆりなの母親と自分の母親の顔をさりげなく確認すると、彼女たちは安堵したような嬉しいような、そんな顔をしていた。自分の母親の誇らしげな顔を見て、私も誇らしい気持ちになったことをよく覚えている。

 ゆりなは自分を表現することが苦手だった。でも図工の時間で絵を描くと、ゆりなはクラスで一番丁寧で、一番上手だった。

「絵里香ちゃん、女の子を描くんだけれど、髪の毛にリボンありとなしどっちがいいかな?」

「リボンありの方が絶対にかわいい! リボン描いて」

 図工の授業中にこのような会話をしたことがあった。ゆりなはいつも、漫画に出てくる女の子の主人公の絵を真似して描いていた。

「じゃあこっちの子は、ポニーテールと二つ結びどっちがいい?」

ゆりなは自分が思うような架空の可愛い女の子を描きたがった。彼女の家にあるような漫画の絵だ。

 ゆりなの家に行ったことがあった。漫画雑誌「ちゃお」の九月号があった。アーカイブも並んでおり、少なくともその年の二月号から八月号を確認することができた。私の家では漫画は禁止されていたので、そこで初めてちゃおを知った。

 ちゃおの九月号の表紙の漫画は、目が顔の大きさほどもある少女だった。髪をツインテールにし、星形のヘアゴムをつけていて茶髪であった。私はゆりなの家でちゃおの漫画を食い入るように見た。

「絵里香ちゃん、聞いてる?」

 ゆりなが話しかけても、私は生返事しかしていなかったと思う。それほど漫画に熱中していた。ゆりなの家に居ながら、ゆりなを鬱陶しく思った。

 私がなぜこのような漫画の絵に惹かれたのかは今でもわからない。私もこの漫画の少女になりたいと思ったのか、単純にこのような漫画の絵を描きたかったのか。大きな目、明るい茶色の髪、きらびやかなアクセサリー、ピンクと水色の服。

 ゆりなと私、どちらともなく漫画を真似して描く遊びを始めた。最初は彼女の家にあった白い紙と色鉛筆を使っていたが、いずれ自分の自由帳とクーピーを持ってくるようになった。ゆりなは私より遥かに、あきらかに模写が上手かった。日ごろから漫画を読んでいるかどうかの違いなのだろうか。


「ゆりなちゃん、それは誰を描いているのかな?」

 ある日の図工の授業中、ゆりなは先生にこう尋ねられた。ゆりなは顔を真っ赤にしてこう答えた。

「絵里香ちゃんと、れなちゃんと、みゆうちゃんと、まなかちゃんです」

 消え入りそうな声で、実在するクラスメイトの名前を言った。嘘だ。それは実在するクラスメイトの絵なんかじゃない。

 先生は満足げに頷き、教室中に声を轟かせた。

「みんな、ゆりなちゃんの絵を見てご覧。お友達を楽しそうに描いています。絵里香ちゃんやれなちゃんです。色づかいもとっても素敵です」

 クラスメイトの猿たちはゆりなの絵に群がっていった。実在しない友達を描いたこと、それを隠したことを恥ずかしく思ったゆりなは耳まで真っ赤にし、机にめり込んでしまうのではないかというほどに頭を垂らしていた。

 その絵は先生に気に入られ、県のコンクールに出品された。

「ゆりなちゃん、おめでとう!」

「絵里香ちゃん、ありがとう!」

ゆりなは心のそこから私に感謝を込めた。

 そんなゆりなを見て、私は心底悔しく思い、恥ずかしく思い、そして漫画の絵を描くことを以来やめた。漫画が禁止されている家で良かったと思う。読むことも無くなった。

 

 ゆりなにとって、正しいということは、みんなの意見と違うのであれば、それは正しいことにはならなかった。

 算数の授業で、表が青、裏が黄色の麻雀の牌のようなものを使う授業があった。その牌のようなものは“おはじき”と呼ばれた。

「みなさん、おはじきを六つ、黄色に裏返してください」

 クラスメイトたちはおはじきを六つ、黄色に裏返した。

「みなさん、六つはわかりますね。では一度みなさん青に戻してください。戻しましたか?では次は、おはじきの六つ目を裏返してください」

 クラスメイトたちは何の疑いもなく、先ほどと同じようにおはじきを六つ、すべて、黄色に裏返した。

 私は“六つ目”の意味がわかっていたので、“六つ目”のみを黄色に裏返した。そして涼しい顔で、“六つ目”がわからないバカなクラスメイトたちの誤答を眺めていた。後ろを振り返り、しめしめとクラスメイトの誤答を眺めていると、左後ろのゆりなの席に視線が行った。

 ゆりなは右隣の席の男子の机の上を見て、おはじきを持ったり置いたりしていた。そして左隣の女子の机の上を見て、また自分のおはじきを持った。またいつものモジモジ癖が出ていた。

 ゆりなはふと視線をあげた。私と目が合った。ゆりなは多分、ほかのクラスメイトたちと違って、正しい答えが分かっているのだろう。ゆりなは予習も復習もしっかりやっているし、この問題を知らないわけなかった。周りがあまりに間違った回答を連発しているので、それに対して自分の答えが正しくても、周りにのまれてしまっていた。

 ゆりなは私の顔を見ると、力が抜けたようにふにゃっと笑った。泣きそうな顔だった。私がどう答えているのか知りたがっている。私はそんなふうに泣きそうになりながら笑うゆりなを無視して、顔を正面に戻した。私がどんな答えを出したかなんて、教えてやらない。背中越しのゆりなの困った顔を想像して、私はほくそ笑んだ。

「みなさん、では六つ目を裏返しましたね。では答えを発表します」

 先生は黒板に貼り付けられた、マグネット式の巨大なおはじきの六つ目を裏返した。

「正解したのは絵里香ちゃん一人だけです。きちんと予習してきたね」

みんなの前で褒められた私は得意になって、でも得意になったことを悟られないように澄ました顔をした。

「絵里香ちゃん」

 授業終わりの休み時間に、ゆりなに話しかけられた。

「どうしたの、ゆりなちゃん」

ゆりなはなにかいいたげに私に視線を投げかけた。さっき目があったことについて聞きたいのだろうと私は思った。ゆりなは私に声をかけておきながら、何も言わなかった。

「ゆりなちゃん、何?言わないとわからないよ」

言わなくてもわかっていた。さっきどうして助けてくれなかったの?ゆりなはそう言いたいのだろう。

「......なんでもないよ」

ゆりなはそういうと、下を向いた。

そんなゆりなを見て私は満足し、ゆりなを赦してやろうという気持ちになった。

「ゆりなちゃん、まだ時間あるから一緒にトイレ行こ」

そう提案んするとゆりなは一瞬驚くも、破顔させ

「うん!」

と元気よく私についてきた。

どこまでも言うことを聞く、従順なゆりなだった。


「絵里香ちゃん、あのね」

三年生になっても、私たちは同じクラスだった。私たちの家は近かったので、放課後はいつも二人で同じ道を辿って帰っていた。

「なあに、ゆりなちゃん」

「一年の最初の頃からずっと友達でいてくれてありがとう」

ゆりなは友達を作るのが下手だった。私も友達を作るのが上手ではなかった。クラスには馴染んではいたが、よく遊ぶ友達というのはゆりなくらいしかいなかった。

私たちは学校でも放課後でも、いつも二人で一緒に行動していた。

「絵里香ちゃんとゆりなちゃんってほんと大親友って感じだよね!」

クラスメイトの雪ちゃんが私たちに向けてそう言ったことがあった。

私はゆりなを親友だとは思ったことがなかったが、私以外に友達のいないゆりなはちがう。心のから私のことを慕っていた。

 真っ直ぐな目で「友達でいてくれてありがとう」というゆりなを、私は恥ずかしく思った。

「そんな、今更何をいうの、ゆりなちゃん」

「なんか、急に伝えたいって思ったの」

ゆりなが私のどこに敬意を払っているのかわからなかった。

「ねえ絵里香ちゃん、今日私の家来る?」

「行く行く」

 私は放課後、ほぼ毎日ゆりなと遊んでいた。

帰り道が一緒で家も近い。自宅にランドセルを置きに行き、それからすぐに遊びに行くことができる距離だった。逆にゆりなが私の家に遊びに来ることもあった。

 私たちは“近道”を通って帰った。私たちの家は高台にあり、近道は山道を通っていく。近道は山を一直線に切り開いた獣道で、細かい枝や草が道を阻み、私たち小学生以外は使っていなかった。近道を通ると、指定された通学路よりも十五分は早く帰ることができた。

 家についてランドセルをおき、ゆりなの家へ向かった。

 ゆりなの家は私の家から歩いて五分程度の場所にあった。近道ではない、正規の通学路の途中にあり、家の周りは木々に覆われていた。インターホンを押すと、ゆりなが出てきた。

「絵里香ちゃん、いらっしゃい」

「お邪魔します」

 ゆりなの家族を、私はこの三年で数回しか見かけたことがない。

 黒髪が異様に長く痩せたお母さんと、髭を生やしていつもニットベストを着た優しそうなお父さん。

 きょうもゆりなの家族はいなかった。ゆりなの部屋は二階にあった。ゆりなの部屋に着くと、

「私ね、魔法が使えるの」

「魔法」

「そう」

 突然そんなことを告白された。

「まだ修行中なんだけれど」

「じゃあ何か見せてよ」

「なにがいい?」

なにがいいもなにも、なにができるのかも知らなかった。

「なにができるの?」

「簡単な変身ならできるよ」

「見せて」

 私はゆりなを疑っていた。小学校三年生に上がった四月の転校生が「風とお話しができる」と言っていたことがあったことを思い出した。今思えばその転校生は、新天地に赴くに際していわゆるキャラ変を行ったのだと思う。

 風とお話ができる同級生は結局嘘がバレて、その後クラスに馴染めずにいつも一人で過ごしていた。その同級生のことをなんとなく思い出していた。

「なにがいいかなあ」

 雲が下に広がる晴天の午後三時だった。ゆりなの部屋の窓は開いていた。そこに一頭の蝶が飛び入ってきた。

「じゃあ、蝶は?」

「蝶?」

「蝶になって」

「いいよ」

 できるのかよ、そう思いながら窓から入ってきた蝶に目を配った。蝶は部屋を一周した後、入ってきた窓から出て行った。

 すると目の前に青い蝶が現れた。今出て行った蝶ではなかった。ゆりなが部屋から消えていた。

「ゆりな?」

 私がゆりなを呼ぶと、青い蝶が私の周りひらひらと舞った。

「ゆりななの?」

 青い蝶は返事をしなかった。ただ私の周りを、ゆりなの部屋を舞っていただけだった。

 美しい青い蝶だった。モルフォ蝶というのだろうか。詳しい種類はわからないが、午後の光に透けた翅が美しかった。

 美しかった。何もかもが。ゆりなの色。描く絵。午後三時の光。開放的な窓。清潔な部屋。ちゃおのアーカイブたち。クーピーのピンクと水色。

 私は青い蝶を捕まえた。そしてそのまま翅を毟った。

 そして私はゆりなの部屋の窓を閉め、部屋から出て行き、玄関を出て、家路に着いた。

 

 次の日からゆりなは学校に来なくなった。

 私は、私たちは小学四年生になり、五年生になり、云々、中学生になってもゆりなは姿をあらわさなかった。

 その後、ゆりなの家の前を通ると空き家になっていた。魔法の国だか何かに家族ごと帰ったのかもしれない。

 その後のゆりなの行方は私も知らない。


「ということがあったんだよね」

 酔っ払って私は隣の客にそんなことを話した。

「あー酔っ払って喋るの楽しい、私なんでここにいるんだっけ」

 隣の客は笑いながら聞いていた。

「君頭おかしいわ。いや、いい意味で」

 私なんでここにいるんだろ。澱んだ意識で楽しいまま、私は誰にも話したことのない私の秘密を、素性も知らない相手に話している。

「もうね、いいんだよ」

 何がいいのか。自分が言ったのか、隣の客が言ったのか。

「私ね、もう戻れないんだよ」

「戻れないんだよ、か」

「なんで楽しくやってるんだろう私。なんかさ、もう」

そして私はゆりなの顔を思い出せないことに気づき、自分が今どこにいるのかわからないことにも気づき、小学校三年生のころからすべてが手に負えなくなっていたことに気づいた。

「帰ろ」

「もう帰るの?」

隣の客はどれくらい私と話したのだろう。仲良くなったのだろうか。

 もう手遅れになった私にはどうでもよく、もう今日の全てを終わらせるためにタクシーに乗って、時計を見ると午前三時。全てが遅かった。

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魔法少女ゆりな @McDsUSSR1st

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